小学何年生の時か忘れたが、一度遠足で林泉寺を訪れたことがある。それは兎も角、「春日山（かすがさん）」、「林泉寺（りんせんじ）」とはどんな名前なのか。かつて寺は修行の場として山中を選んで建立された。「…山」は「山号」と呼ばれ、中国で寺の所在を示すためにその寺のある山名を冠したのが始まり。だが、飛鳥・奈良時代の寺は主に平地に造られたので、山号がなかった。平安時代に山上に造られた寺は「比叡山寺」、「高野山寺」など山の名をそのまま用いたが、後に所在をさらに明瞭にするために山号を寺名に冠して寺の名前とした。
中国で禅宗の代表的寺院に「五山十刹」の制が定められ、それが禅宗とともにわが国に伝えられると、「巨福山建長寺」のように寺名の上に山号が付けられるようになり、山名は鎌倉五山・京都五山などから選ばれた。その後、ほかの宗派の寺院も、寺名の上に山号をつけるようになった。春日山林泉寺の「春日山」は山号、「林泉寺」は寺号で、米沢市と上越市の両方に同名で存在する。そして、謙信が揮毫した「第一義」の扁額があるのは上越市の春日山林泉寺。
扁額は寺の名前を表す看板で、商店の看板とほぼ同じ。林泉寺の扁額も表題は「春日山」という山号であり、裏題が「第一義」。林泉寺が曹洞宗の禅寺であることを考慮すれば、「第一義」が扁額の題字であることに何ら不思議はない。「第一義」は禅の公案に登場する常套の語彙。実際、「第一義」を扁額にする寺は私が知る限りでも以下のようなものがある。黄檗宗の萬福寺以外はいずれも曹洞宗の寺院。謙信の独特な個性が扁額に「第一義」を揮毫させたのではなく、むしろ禅宗の常識に素直に従った揮毫と見るのが正しいだろう。
最勝山真高寺（千葉県市原市）
陽光山玄照寺（長野県小布施町）
瞑想によって解脱する原始仏教（小乗仏教）は、大乗仏教の革命によって多くの経典がつくられ、それを研究し、学ぶことによって世界宗教の一つとなり、信仰が維持されてきた。その後、禅宗では経典の内容を座禅を通じて悟ることが修行として定着し、さらに経典を唱えるだけで救われるという他力本願の仏教へと変身していく、これが日本での仏教の変遷。仏教の教義は経典に述べられているが、禅宗では「公案」が経典と同じような役割を果たす。公案は修行者が日常生活において実践的、直観的に学ぶものであり、仏教教義を学ぶ手段となった。
「第一義」も「意識」も一般名詞で、「何かの第一義、誰かの意識」と補わないことには何を指すのかがわからない。抽象的な名前になると、その「名前」だけでは一般的過ぎて、「何の名前」と補わないと具体的にわからないのである。これは「第一義」も同じで、「幾何学の第一義」と言えば、幾何学の最初の公理ということになる。同じように「古典力学の第一義」となれば、慣性の法則ということになる。
さて、寺にとっては「第一義」は屋号のようなもの。表題に寺号が、裏題に禅寺のシンボルである公案第一号の語彙を入れるというのは、菓子屋のブランド名のようなもの。
謙信の「第一義」に固執すると、それは公案の中の仏教の基本原理の呼称でしかなく、具体的内容を一切表現していない。これは、「私の名前」と言っただけでは誰なのかがわからないのと同じである。謙信を離れ、「第一義」に意味を与えた決定的な一つは夏目漱石の「道義」。漱石は人生の第一義を道義と解釈して理解したのである。人生の第一義、つまり人生にとって最も重要なことは道義だと漱石は考えたのである。
「第一義」を謙信、漱石のいずれとして理解しても、「第一義」は字句を見るだけで意味がわかるという訳にはいかない判じ物である。
