謙信の「第一義」(2)

 上杉謙信に関する記述に登場する「義」は、「儒教の「仁・義・礼・智・信」の「義」であり、それは「利」の対局にあるもの」とされている。義は、人間の正しい行動について言われ、義の人とは正義を守る人のこと。また、大名にとっての「義」とは、「攻める正当な理由」という意味で、「大義名分」である。確かに、上杉謙信は「大義名分」にこだわる武将だった。「義」は「利が無くても正しい行いをする」ことなのだが、大名にとっては義と利は行動の両輪で、片方だけでは行動できなかったのである。

 上杉家は関ケ原の合戦のあと、会津120万石の領地を米沢30万石に減封された。さらに、景勝から3代目に当たる上杉綱勝が1664(寛文4)年、後継ぎのないまま死亡すると、15万石に半減させられる。米沢転封以来、財政は逼迫する。そんな折、定着し始めたのが儒教に基づく「義」の思想で、信玄との川中島での激闘は講談などで語られ、広く知られるようになっていった。その中で、謙信の義理堅さが次第に評価を高めていき、上杉家も謙信の「義」を積極的に継承していく。その継承の結果の一つが藩校「興譲館」の教育方針に表れている。細井平洲と上杉鷹山は学問を興すことによって目指す目的が「譲るを興す」ことにあると考えた。細井平洲は人間にとって最も大切なことは「譲る」、つまり「相手を思いやる」ことであると説いている。人間関係の中で譲り合う気持ちをもてば、お互いの心が通じ合い、物事もうまく運ぶと考えたのである。今風に言えば、倫理の基礎を謙信の正義から善へ移行したのが平洲や鷹山なのである。高田高校と米沢興譲館高校の違いは謙信と上杉家の倫理思想の違いを表現しているのかも知れないが、「興譲の精神」を第一義としたのが興譲館高校と言ったのでは、越後高田の人々は「では、高田高校の第一義は何か」と改めて問い直すことになる。

 江戸社会では、まず林羅山が義理について「人の履むべき道」と述べ、朱子学が日本に義理を導入した雰囲気を伝えている。次の中江藤樹では「明徳のあきらかなる君子は義理を守り道を行ふ外には毛頭ねがふ事なく」となり、儒教が次第に浸透していく。これが大道寺友山では「義理を知らざるものは、武士とは申しがたく候」となる。これは町人文化が台頭し、「利欲にさとき町人」が跋扈してきたため、「利欲にさときものは義理にうとく候」と捉え、武士の真骨頂を称揚するためだった。
 このような義理に関する朱子学的な解釈が急速に薄れ、新たな義理の意味が広まっていくのが江戸社会だった。そのスタートは西鶴の『武家義理物語』であり、その展開は近松作品によって完全な日本化を果たした。かつて亀井勝一郎が「仮名の誕生によって日本文化の草化現象がおこった」と述べたが、義理こそ「江戸文化の草化現象」の一つである。

 

 「第一義」を校是や標語にする学校は高田高校だけではない。その代表が成城学園で、創立者澤柳政太郎は、「所求第一義」(求むるところ第一義)を生涯の志としていた。「第一義」は本当のもの、一番大切なもの、根本にあるものを意味し、「所求第一義」は「究極の真理、至高の境地を求めよ」ということである。成城学園の建学の精神を表す言葉として学園の50周年記念講堂に掲げられている。成城学園の「第一義」は謙信や仏教用語から離れ、通常の言葉の意味で使われている。では、その通常の意味はどこに由来するのか。

 「第一義」で忘れてならないのが夏目漱石の『虞美人草』。そこでは「人生の第一義」は何かという問いのもとに物語が展開される。そして、「人生の第一義は道義である」というのが漱石の答。そして、この答えが「第一義」の近代的な意味である。「第一義」とは、道義に裏打ちされて、真面目に生きることである。自分をしっかり見据えた生き方である。文明人にとって第一義に生きることは容易ではない。第二義、第三義で活動することもあり、それはそのまま生き難さとなる。そして、それが行き過ぎると悲劇となる。『虞美人草』では、小野、甲野、宗近の三人の対照的な生への姿勢が描かれている。この『虞美人草』の第一義が多くの日本人の第一義の意味となり、それが成城学園の標語にも影響していると思われる(『虞美人草』の初出は1907年)。

 その漱石が感銘を受け、『虞美人草』執筆に至る扁額がある。それは宇治市にある萬福寺総門(1693年建立)の第五代高泉和尚による扁額である。萬福寺は中国から招請された隠元江戸幕府の許しを得て開山したもので、和尚は書や詩文に長じた高僧。三門(山門)の前の総門を建て替えることとなり、その額字を書いたのが高泉和尚。84枚も書いた話は評判となり、高泉といえば「第一義」、「第一義」といえば高泉と言うほどになった。さすが高泉和尚で、その「第一義」は見事な能筆。黄檗宗では、明代に制定された仏教儀式が維持され、建造物も中国の明朝様式を取り入れた伽藍配置で、創建当初の姿そのままを今日に伝える寺院は日本では他に例がなく、代表的な禅宗伽藍建築群として、国の重要文化財に指定されている。初代隠元から第13代まで中国渡来僧が代々住持(住職)を占めた。

 他にも「第一義」はあちこちに登場する。例えば、鈴木大拙の『禅の第一義』(1917年)や島木健作の小説『第一義』(1936年)、『第一義の道』(1936年)がある。さらに、偶然に見つけたのだが、太宰治の書に「聖諦第一義」がある。謙信や高泉の書と対比しながら、彼がどのような心持でこの書を書いたのか様々に想像するのもまた一興か。