些細な批判の彼岸にあるもの

 ヨーロッパでの感染状況から基本再生産数を2.5とする。新型コロナウイルスについて、ワクチンを打つ、薬を飲む、社会的距離をとる、幾つかの行動を禁止する、自粛を要請すること等々、によって R0を減じることができる。それによって決まるのが実効再生産数 R。二つの再生産数の間には、R = (1-e)R0の関係がある。R<1 ならば、感染者は増えない。つまり、e<1-1/R0 = 3/5 = 0.6(R0=2.5)。R0を 6 割以上減らすことができれば、Rは1より小さくなる。R0=2.0 なら、同じように計算すると、e<0.5。

 以前このようなことを書いた。それをもとにした、AERA dot.などの記事についての雑感である。日本の新型コロナウイルス感染症への対応の科学的な根拠は厚労省クラスター対策班の押谷、西浦の両氏に依存している。政府には新型コロナウイルスの対策本部があり、その下に専門家委員会、そして厚労省クラスター対策班がある。また、諮問委員会が設置され、政府が「緊急事態宣言」を発令する際に諮問を受け、妥当かどうか見解を示す。こんなところが正式の組織で、クラスター対策班が予測と対策の、感染研が疫学的な実働を担い、医療機関が感染者の治療に当たっている。

 そこで、まずは4月2日の福岡伸一氏の記事。2週間でコロナウイルス問題を解決する方法、つまり、完全隔離が述べられる。2週間家族が完全に引き籠れば、ウイルスと人の免疫系は2週間以内で決着するので、人が勝っても負けても、ウイルスの増殖は止む。20億家族の0.1%にウイルスがいて、それが家族の一人にうつると、400万人が感染。このうち半数が発症し、致死率が1~2%だとすると、2~4万人がこの完全隔離作戦の犠牲になる。また、免疫系が勝っても、体内にウイルスが潜伏する人がいることが弱点。
 ウイルス感染がどのようなものかを概念的に知るには良い話だが、それで何かが解決できるというものではない。この話は理屈を知るには十分だが、その理屈を数学化しない限り、正確な予測ができないという好例。今の日本人はウイルス感染について聞きかじりではあってもよく知っている。家のない人たち、集団で暮らしている人たち(刑務所、病院、軍隊など)はどうするのか、と考えてしまう。そして、ほとんどの人は「2週間家に籠る」ことが可能なためには何が必要かと咄嗟に案じるのだ。インフラを保持する人たちがいないと、ガス、電気、水道は維持できない。となると、ロックダウンでさえ実行は難しいのに、2週間の引き籠りは夢のまた夢となってしまう。

 次は4月18日のWHO上級顧問・渋谷健司氏の記事。英国キングスカレッジ・ロンドン教授でもある渋谷氏が、日本の感染拡大防止策に警鐘を鳴らし、政治から独立していない「専門家会議」の問題点、クラスター対策、自粛ベースや3密の限界に言及し、「手遅れに近い」状態を招いた専門家会議の問題点が述べられている。「専門家会議のメンバーの西浦教授は4月3日、東京が爆発的で指数関数的な増殖期に入った可能性を指摘しています。その2日前の、1日には専門家会議が開かれていました。この日は、宣言を出すように促す最後のチャンスだったと思います。1週間の遅れは、新型コロナウイルスの場合、非常に大きいのです。」

*まず、西浦氏は専門家会議のメンバーではない。だが、当然専門家会議のメンバーは彼の予測を知っていたろう。専門家会議と対策本部の意見が分かれたことは各種の報道から容易に察することができる。だが、積極的に西浦氏の考えを取り上げたのは日経だけ。
 アエラは、「日本は「クラスター」と言われる感染集団の対策を重視してきた。日本の対策は有効だったのか」と問う。それに対して、「クラスター対策とそれを支える『積極的疫学調査』の枠での検査を進めたので、保健所とその管轄の衛生研究所での検査が中心となりました。まだ感染が限られていた初期は、保健師さんのインタビューと質の高い検査データで接触者を追い、その感染ルートを追いかけて、クラスターを潰すという方法が有効でした。」と渋谷氏は答えている。「しかし、それではいずれ保健所の負担は増し、検査キャパシティーが限界になることは明らかでした。検査については、保険適用になった後も医療機関から保健所に許可をもらい、その上で患者は帰国者・接触者外来に行って検査をする必要があります。こうした複雑な仕組みのために検査は増えず、結果として経路を追えない市中感染と院内感染が広がってしまいました。」
*複雑な仕組みのために検査数が増えなかったというより、検査をする人と装置が貧弱だったから複雑な仕組みにしたのであり、その辺の事情を知る渋谷氏に今ではなく、2月の段階で指摘してほしかった。
 さらにアエラは尋ねる。「初期段階でのクラスター対策は有効とも指摘されました。日本ではどの段階で「徹底的な検査と隔離」に方針転換する必要があったのでしょうか。」
「早い段階で感染が拡大した北海道などの地方都市ではクラスター対策が有効でした。しかし、大都市では感染経路をすべて追うことは非常に困難です。『どの段階』というよりは、そもそも検査を絞り続けた戦略がよくありませんでしたし、今こそ『検査と隔離』の基本に戻るべきでしょう。「検査数を抑える」は的外れ」
*検査数を抑えることとクラスター対策とは本来別の事柄で、検査数を増やしてクラスター対策をさらに徹底することは可能だった。検査数を押さえたのはクラスター対策班ではない。台湾、韓国、シンガポールの対策は多くの共通点をもっていて、それを学習するのは今でもできることである。
 アエラはさらに尋ねる。日本では当初から「検査を抑えて医療態勢を守る」という考えがありました。そもそも、世界の専門家の間でこのような手法はどう評価されているのでしょうか。「検査を抑えるという議論など、世界では全くなされていません。検査を抑えないと患者が増えて医療崩壊するというのは、指定感染症に指定したので陽性の人たちを全員入院させなければならなくなったからであり、検査が理由ではありません。むしろ、検査をしなかったことで市中感染と院内感染が広がり、そこから医療崩壊が起こっているのが現状です。」

*検査と医療崩壊とがリンクしていると考える人が今でもいることは日本が感染症発展途上国の印である。だが、今では普通の人でさえ、検査と医療崩壊は別の事柄と考えていて、渋谷氏に今指摘されなくても既にわかっていること。

 アエラの定番の質問「政府の専門家会議は、機能していると考えていますか。」渋谷氏の答えは「科学が政治から独立していないように見受けられ、これは大きな問題だと感じています。先ほど指摘しましたが、4月1日時点で「東京は感染爆発の初期である」と会議メンバーは知っていたはずです。それならばそこで、緊急事態宣言をすべしという提案を出すべきでした。…一方で、米国のトランプ大統領の妨害にもかかわらず国立アレルギー感染症研究所のファウチ所長は凛として科学者としての役目を務めており、大統領とは全く違う声明も出します。彼は『自分は科学者であり、医師である。ただそれだけ』と述べています。そういう人物が今の専門家会議にはいないようです。」である。
*では、科学者が自分の意見を表明することによって、アメリカの国の対策は変わったのだろうか。イギリスもアメリカも科学者が自由に語ることによって流行を防げたのだろうか。日本でも西浦氏だけでなく、山中、本庶両先生は提言を繰り返してきた。専門家委員会やクラスター対策班が政府や厚労省から独立しているかと問われると、専門家委員会もクラスター対策班も国の組織であるのは確か。だが、だからと言って機能していないというのは暴論。科学知識と政策は喧嘩するのが当たり前、折り合いをつけるのも当たり前。科学と政治が独立していることは今更声高に叫ぶことでもあるまい。

 それより問題なのはJPpressの記事。そこでは政府寄りのクラスター対策班というアエラの評価とは裏腹に、西浦氏は青年将校として政府に楯突く存在として描かれることになる。彼の信念を通す行動が目につくからだろう。人の評価はかくも異なるものかと、開いた口が塞がらないのだが、いずれであれ、一部が正しいこともまた確かで何とも気分がよくない。肝心な点は議論を行い、それを述べる際に起こる政策と科学知識の混同。

 アエラの最後の問い「一人一人はどう行動すべきでしょうか。」に対する渋谷氏の答えは「「家にいる」ということです。「自分が感染者かもしれない」と考えて行動すべきです。」ということ。これはその通りで、聞くまでもないこと。

*Stay homeと押谷氏はTwitterでボードに大書していたし、今やコマーシャルにまで登場している。「家にいることができない」人でも三密を避ければ感染を免れるというのが専門家会議の提言。暇な人は次のものを参照してほしい。

 

山中伸弥https://www.covid19-yamanaka.com/

新型コロナウイルス対策専門家のTwitter

https://twitter.com/home?utm_source=homescreen&utm_medium=shortcut

数理モデルについては、

西浦 博、稲葉 寿 「感染症流行の予測:感染症数理モデルにおける定量的課題」 統計数理 第 54 巻第2 号 461–480 (2006)、

https://rpubs.com/ktgrstsh/tokyor84

中村潤児、新型コロナウイルス感染者数推移の予測(中村教授のホームページ)

など。

 

 冒頭の節が示しているように、感染の記述や予測という説明と、私たちがそこに介入する(intervene)ことは通常の科学モデルでは別のだが、疫学、感染症学のモデルには私たちの介入が特徴になっている。モデルの対象が私たち自身であるだけでなく、私たちの行為が未来の姿を変える、私たちが介入する仕方に応じて未来が変わるモデルなのである。R = (1-e)R0で、R<1 ならば、感染者は増えない。つまり、e<1-1/R0 = 3/5 = 0.6(R0=2.5)。R0を 6 割以上減らすことができれば、Rは1より小さくなる。R0=2.0 なら、e<0.5。このeの値を決めるのは私たちであり、それが描かれているのがモデルである。ここにあるのは科学知識と私たちの行為の直接的なリンクであり、政策を決める人たちだけでなく、私たち自身が巻き込まれたモデルなのである。