2024-02-01から1ヶ月間の記事一覧

マルバ スボバータ

画像の花がゼニアオイの仲間だと推測し、調べた結果、アオイ科のマルバ スボバータ(Malva subovata)とわかったのがほぼ1年前でした。そこでは次のように記しました。「Malvaはゼニアオイ属を指していて、例えば、ウスベニアオイの学名はMalva sylvestrisで…

「無限」の不可思議さの例

この世界には私たちの知らないものが溢れています。さらに、私たち自身が知らないものを自己生産するために、この世はわからないものが増え続け、一寸先はますます闇が深くなっていきます。中でも「無限」概念は、私たちが生み出した知らないものとしては、…

アメリカフウロの花

アメリカフウロ(亜米利加風露)はフウロソウ科フウロソウ属の雑草。道端のアメリカフウロの葉はヨモギにそっくりで、花はゲンノショウコ(現の証拠)に似ています。でも、花の開花時期はアメリカフウロが春から夏、ゲンノショウコは夏から秋で区別できます…

キュウリグサの小さな花

2月も中旬を過ぎると、野原に春の花が咲き始めます。そんな野草の一つがキュウリグサ(胡瓜草)。キュウリグサの花はとても小さく、よくよく見ないと見過ごしてしまうのですが、目を近づけてみると、ワスレナグサによく似た花をつけています。 キュウリグサ…

キンセンカの花:補足

キンセンカ(金盞花)は「カレンデュラ」と呼ばれていると述べましたが、光沢のあるオレンジや黄色の花をつけ、最近では八重咲きの種類も増えています。その花色と盃状に咲く花の形から「金盞花」と名づけられました。南ヨーロッパの地中海沿岸地方原産で、…

カレンデュラの一重の花

私のような老人にはキンセンカは仏花で、仏壇を飾る花。キク科のキンセンカ(金盞花)の別名はカレンデュラで、今はカレンデュラの名前の方が使われている。画像は一重のカレンデュラで、園芸ではカレンデュラまどかレモンマドレーヌ、あるいはチーズトルテ…

アセビの下向きの花

アセビ(馬酔木、梫木)は、ツツジ科アセビ属の常緑低木。アセビの花色は白色とピンク色で、スズランに似た小さな下向きの花を枝いっぱいに咲かせる。日本の山地に自生しているが、庭園樹、公園樹としてもよく利用されていて、湾岸地域にも多い。 「馬酔木」…

上を向く花、下を向く花、横を向く花

「なぜ花が咲くのか」に答えることができればが、その答えを実現するために「花はどこで、いつ、どのように咲くか」が追及されることになります。花が咲く理由と花を咲かせる具体的な方法とが結びつき、私たちは花について知ることができるようになります。 …

スノードロップの下向きの花

スノードロップ(snowdrop)は、学名からガランサス、待雪草(まつゆきそう)、雪の花(ゆきのはな)、雪の雫(ゆきのしずく)とも呼ばれ、名前からして冬の花だとわかります。スノードロップは白い下向きの花を1輪咲かせ、春を告げる花として人気があり、湾…

カワズザクラの花から…

私は既に交配や交雑について記してきました。交配と交雑の違いは種を作るための親の組み合わせにあります。そこで、サクラの例を挙げてみましょう。 交配は同じ品種を掛け合わせ、種を作る:カンヒザクラ×カンヒザクラ=カンヒザクラ 交雑は違う品種を掛け合…

異端への誘惑;グノーシス主義

神は全知全能なので、彼に対して隠し事など通用しない。神は私のすべてを知っていて、彼の前では私のプライバシィーなど存在しない。ところが、私は神のほとんどを知らない。だが、「それゆえ、誰もが知らない神だけの秘め事が存在する」などとは考えもしな…

プリムラの多彩な花

プリムラ(Primula)はヨーロッパやアジアに自生するサクラソウ属 (Primula) の原種やその変種を交配して作られた品種群。和名はクリンザクラ(九輪桜)。花期は冬から春で、花色は青色と紫色、赤色や桃色、黄色や白色等があります。 プリムラ・ポリアンサや…

平凡:凡庸な一生の生物学的意義

凡庸な女性が遠くの村の見知らぬ若者と結婚し、何人かの子供に恵まれ、その後さらに多くの孫に囲まれ、実に平和な一生を過ごす。平凡この上ない物語のどこにも謎など隠されていない。何の取り柄もない人の平凡な一生は、生きることと生むことに尽きる。性欲…

有明の月

「有明の月」は夜が明けても、まだ残っている月のことで、月齢16~月齢29までの月というのが紋切型の説明。有明の住人が自分の見る月はいつも有明の月と言い張っても詮無いことで、この奇妙さは「有明」という地名のために過ぎない。そんなローカルなことは…

ルピナスの花

2月中旬なのにルピナスの花が咲き始めています。ルピナスは藤の花を逆さにしたような小さな花をたくさん咲かせるマメ科植物。天に向かって下から順に花を咲かせる様子から、「昇り藤」、「立藤」、「逆さ藤」という別名があります。また、葉の形がうちわに似…

ギョリュウバイ(檉柳梅)の花

ギョリュウバイはフトモモ科の常緑低木で、ニュージーランドとオーストラリアが原産。「ギョリュウバイ」という名前はギョリュウに似て葉が小さく、花がウメに似ていることからついたが、ギョリュウ科のギョリュウ(檉柳)ともバラ科のウメとも関係はない。1…

同じも違うも気持ち次第:ラナンキュラスの補足(2)

ラナンキュラスを特定するという試みの次は、色と形とで見分けた時に、どのようにラナンキュラスをクラス分けできるかという試みである。補足(1)の試みの方が今回の試みより単純に見えるが、果たしてどうだろうか。補足(1)は植物の種間での識別、捕捉(2…

同じも違うも気持ち次第:ラナンキュラスの補足(1)

「同じも違うも気持ち次第:ラナンキュラスの花たち」での小難しい能書きは抜きにして、ラナンキュラスの花に似た花と見比べながら、ラナンキュラスの花を見つけるのが最初の試みだった。様々な花の中からラナンキュラスを選び出してみようというのがこの試…

同じも違うも気持ち次第:ラナンキュラスの花たち

ラナンキュラスの花を見比べながら、それぞれの花が皆大きく異なることを際立たせようとすることと、どの花も実は同じことを見極めようとすることとが交互に登場して、妙に穏やかでない心持になる。どうもそこには人の意識と意識内容の微妙な関係があるよう…

同じも違うも気持ち次第:イバラとバラ

「人生は茨の道」と言われ、「薔薇色の人生」とは大違い。だが、イバラは棘のある木の総称(茨、棘、荊)で、日本の「薔薇」の原種「ノイバラ」の古称である。ノイバラ(野茨)はバラ科の落葉性のつる性低木で、別名はノバラ(野薔薇)。ノイバラの開花は5…

「正常・異常」から「多数・少数」へ

「同じ」仲間は正常者たち、「違う」者は異常者たちというのが、かつては社会の中の常識となっていました。正常なものの中にそうでないものがあると、それを異常なものと捉え、それは違うもの、異なるものであるという判定に使われました。一方、それを少数…

同じも違うも気持ち次第:リナリアとその仲間

最近ヒメキンギョソウ(姫金魚草)の園芸種はリナリア(Linaria)と呼ばれることが多くなったが、最初の画像は主に流通しているリナリア・マロッカナ(Linaria maroccana)で、日本へは明治時代末期に渡来し、近年一部の地域で野生化している。 キンギョソウはゴ…

同じも違うも気持ち次第:ヒメジョオンとハルジオン

「高級品も安物も、それをつける人の気持ち次第」と言われるが、どんなものも味噌も糞も一緒でありながら、変幻自在の百面相でもあると言うのがこれからの話。 ラナンキュラスとダリアはよく似ている。だが、目を凝らすなら、二つの違いを指摘するのは易しい…

サクラにメジロ

「梅に鶯」と言っても、それは梅の花に鶯が寄ってくるという意味ではなく、二つのものが時間的に一致している、今風にはシンクロしていることの喩えである。梅は春を待つ人々に咲きかけ、「春告鳥」とも言われる鶯は春の訪れを歌い、二つは時間的にシンクロ…

ユリカモメ、そしてウミネコ

隅田川は川も川辺もすっかり変わった。水は綺麗になり、川辺はテラスと呼ぶにふさわしい遊歩道に変身した。だが、ユリカモメ (百合鴎)は変わらない。『伊勢物語』に登場する「都鳥」は、今ミヤコドリと呼ばれている鳥ではなく、ユリカモメだとする説が有力…

アネモネの花:色と形

クリスマスローズ、クレマチス、ラナンキュラス、アネモネはどれも同じキンポウゲ科の植物で、その花色はよく似ています。今頃目立つのはアネモネ・ポルトの花で、私たちを強く惹きつけます。確かに、ルノアールを魅了しただけのことはあります。 アネモネ・…

ラナンキュラスの花宇宙

ラナンキュラス(Ranunculus asiaticus)はカラフルで大きな花を咲かせ、庭植えや鉢植えにして楽しまれている球根花です。ラナンキュラスという名前はラテン語の「小さなカエル」を意味し、葉がカエルの足に似ていることに由来します。 ヨーロッパの南東部か…

冬のニホンズイセン

画像はヒガンバナ科スイセン属の八重咲のニホンズイセン(日本水仙)。八重の花弁は副花冠の部分が多弁化したものである。 スイセンは地中海沿岸の原産で、室町時代に中国を経て渡来し、本州(関東以西)、九州の海岸沿いに野生化している。スイセン属に含まれ…

ビオラの花たち

ビオラ(Viola)はスミレのラテン語名で、パンジーとの区別は曖昧そのもの。花径5cm以上をパンジー、4cm以下をビオラと呼ぶことが多いようです。パンジーはヨーロッパの野生の「スミレ」から改良されたもので、花期は秋から春にかけて。ですから、今頃はパン…

言葉の相反する二つの力

言葉は私たちの本質の一つとなってきました。言葉こそ人を人たらしめると信じられてきました。言葉に対する礼賛は尽きることがありません。でも、人は言葉を操るどころか、言葉に支配され、翻弄されてきたのもこれまた事実です。言葉の特徴は人を操ることに…