「無限」の不可思議さの例

 この世界には私たちの知らないものが溢れています。さらに、私たち自身が知らないものを自己生産するために、この世はわからないものが増え続け、一寸先はますます闇が深くなっていきます。中でも「無限」概念は、私たちが生み出した知らないものとしては、この世のどんな対象よりも異彩を放っています。無限概念がもつ妖しく、危険な謎の虜にならないように、ギリシャ以来「無限」は存在すべきものではないとして研究の彼方に追いやられ、「無限」について考えることは半ば禁止されてきました。「君子危うきに近寄らず」という先人の知恵でした。そのため、「可能無限」だけがまともな概念として議論されたに過ぎなかったのです。でも、「無限」概念の真の魅力は「実無限」にあります。

*二つの無限概念の違いは「すべての要素を数え終え、その全体が無限の場合に実無限、いつまで数えても数え終わらない場合が可能無限」です。

 ここで無限と確率を組み合わせた問題を考えてみましょう。実数の数直線の区間[0,1]を考えると、この実数区間の中には無限の数の有理数が存在しています。例えば、0.1, 0.01, 0.001,…,0.0…01,…という数列を考えると、いずれも有理数で、この区間の中にあり、しかもその個数は無限個です。この数列が示しているのは、区間[0,1]の中には有理数が無限個あるということです。

 さて、「区間[0,1]の中から有理数を一個取り出す確率は何か?」と問われたら、その答えはどうなるでしょうか。答えは簡単で、(正式には確率計算をした上での答えとして)確率0です。つまり、実数区間[0,1]からある有理数を一個取り出す確率は0。これは確率論に従った正しい答えなのですが、不自然な感じが否めないのではないでしょうか。区間[0,1]には無限個の有理数があるにも関わらず、どれか一つの有理数を取り出す確率は0なのです。また、区間[0,1]から何か有理数を一個、例えば0.3を実際に取り出すことができるのに、その確率は0。このような奇妙な結果になる理由を探ると、「無限」概念に行き当たります。

**実数区間[0,1]から100個の任意の有理数を取り出す確率、あるいはその区間有理数のどれかを取り出す確率、実数区間[0,0.5]の任意の実数を取り出す確率をそれぞれ考えてみて下さい。

 確率0は「可能性が何もない」ではありません。確率1は「必然性がある」ではありません。つまり、確率0でも起こることがあり、確率1でも起こらないことがある、ということなのです。これは無限概念を認めた代償なのです。繰り返せば、「確率0でも生起することがあり、確率1でも生起しないことがある」のです。