コスモス(秋桜)雑感

 「秋桜」と書いて「コスモス」と読むのは、「百日紅」と書いて「サルスベリ」と読むのによく似ている。1977(昭和52)年に山口百恵が歌った「秋桜」という歌謡曲が大ヒットしたが、さだまさしは曲のタイトル「秋桜」を「コスモス」と読ませた。コスモスは確かに秋の花だが、キバナコスモスは私には夏の花である。

 「コスモス」の別名が「アキザクラ」、「オオハルシャギク」で、「キバナコスモス」は別の種であることを既に述べた。両種とも1年草で、原産地は同じメキシコ。コスモスの日本への渡来は1896(明治29)年で、花の色は白色、淡紅色、深紅色などだったが、黄花の品種である「イエローガーデン」が日本で生まれ、その後改良されて、より黄色の部分が多い「イエローキャンパス(画像)」も市販されている。

 キバナコスモスは大正初期に渡来し、花の色は黄色や橙色だったが、より濃色の赤色系品種が発表され、市販されている。花期は比較的長く、6月から11月にかけて直径3〜5cm程度の黄色やオレンジの花を咲かせる。濃い黄色の花はコスモスとは違った印象を与えるが、最近は赤色の花もでて、「黄花」とは呼びにくくなっている。

 コスモス、ダリアはメキシコから日本にやってきた。私の故郷の近くの黒姫高原にはダリア園とコスモス園があり、美しい花姿を存分に楽しめるのだが、故郷の妙高にはなく、物足りない思いをずっとしてきた。コスモスの日本への渡来は1896(明治29)年。同属別種で交配できないキバナコスモスもやはりメキシコ原産。

 秋に咲く桜に似た花、つまり、秋の桜という意味で、「秋桜」と名付けられたと言われているのがコスモス。コスモスの花弁の形が桜に似ているので、「秋桜」となったらしいのだが、どこがどのように似ているのか、私にはよくわからない。さらに、それを「コスモス」と読むようになったのだが、それは戦後のカタカナ語(英語の単語をカタカナ読みしたもの)の一つではないのか。「秋桜」は「コスモス」の別名で、本来「あきざくら」と読むべきところを、戦後の流行で「コスモス」とカタカナ語で読んだに過ぎないと言われると、興醒めである。これに似ているのが、「秋桜」より2年前の1975(昭和50)年にヒットした「シクラメンのかほり」。シクラメンの和名には牧野富太郎命名の「かがりびばな」、大久保三郎命名の「ぶたのまんじゅう」があるが、どれもこのヒット曲のタイトルにはまるで馴染まない。その上、当時のシクラメンには香りがなく、「かほり」が「かをり」へ、さらに「かおり」へと表記が変化してきた歴史を考えると、このタイトルは何とも落ち着かない。シクラメンの学名はCyclamen persicumで、ペルシャのシクラメン(中世ラテン語の発音)という意味だが、米語だとサイクラメンで、間が抜ける。

 こんな文句を並べても詮無いことだが、これが文化史の常態。ついでに、もう一つ疑問を述べておきたい。それが「秋桜子」という俳号の由来。「秋桜」も「コスモス」も秋の季語になっているが、「秋桜」で思い出すのは俳人の水原秋桜子(1892-1981)で、私の祖父と同年配である。彼は「俳句を論ずるに当たつて、まづ第一に明らかにして置くべきことは、「俳句は抒情詩である」といふことであります。」(『俳句の本質』(交蘭社、1937年)と述べ、子規が主張した写生ではなく、抒情的な俳句を提唱した。彼の「コスモスを離れし蝶に谿(たに)深し」は、コスモスの花の中にいた蝶が、そこから舞い上がり、深い谷の上に出たという情景を詠んだものだが、彼の主張がよく出ている。

 「秋桜子」という俳号の由来は私にはわからないのだが、「○○子」という俳号は子規の流れをくむ人であることを表している。子規の後継者で、水原秋桜子と対立することになる高浜虚子は1891年に子規から「虚子」の号を受けている。コスモスは1906年には一般に知られていたことから、1892年生まれの秋桜子が成人した頃にはコスモスを「秋桜」と呼んで、知っていたことがわかる。

イエローキャンパス