メキシコからの贈物:コスモスとダリア

 オオハルシャギク(大春車菊、大波斯菊)はキク科コスモス属の一年草で、「コスモス」と呼ばれるのがほとんどで、稀にアキザクラ(秋桜、漢字の「秋桜」はコスモスとも読まれる)とも呼ばれています。桜が日本の春を代表する花なら、コスモスは菊と共に秋を代表する花です。コスモスは秋にピンクの花を咲かせますが、今では白、赤、黄色、オレンジ、そしてそれらが組み合わされた色の花が作り出されています。原産地はメキシコの高原地帯で、18世紀末にスペイン・マドリードの植物園に送られ、ヨーロッパに渡来し、日本には明治20年頃に渡来しました。

 キバナコスモス(黄花コスモス)も「コスモス」の名がついていますが、オオハルシャギクとは同属別種で、当然ながら、種が異なるので、交配はできません。やはりメキシコ原産で、日本には大正時代の初めに輸入されました。草丈は1〜2mでよく分枝し、やや横に広がります。花の色は黄色や橙色でしたが、より濃色の赤色系品種も出ています。

 コスモスとダリアをメキシコから世界に広めたのは、1789年にスペインから派遣された植物調査隊のセルバンテスです。彼はマドリードの植物園長ガバニレス神父にコスモスとダリアの種子を一緒に送ったのです。「コスモス」と命名したのは、このガバニレス神父です。その後、ダリアはヨーロッパで広く栽培されるようになるのですが、コスモスは当初普及しませんでした。

 日本へのコスモスの渡来には二説あります。一つは東京美術学校講師ラグーザが明治12年頃に故国イタリアから持参したという説。もう一つは明治29年頃に渡来したという説。いずれにしても、明治中頃に渡来したことは間違いありません。明治42年に文部省(今の文部科学省)が栽培法と一緒に全国の小学校に種子を配布したのが、日本にコスモスが急速に普及した理由と言われています。以来、日本の在来種の花より華やかな花姿から、コスモスが小説に登場し、詩歌に詠まれることが多くなりました。コスモスはその後「秋桜」と書かれることになりますが、これからの季節では「冬桜」と言いたくなります。

 ダリアはスペイン人が来る前はナワトル語でアココショチトル(acocoxóchitl)、アココトリ(acocotli)などと呼ばれていました。メキシコでは人気があり、1963年にメキシコの国花に指定されました。「花の女王」と呼ばれるダリアは、アステカ文明の時代から栽培され、重要な植物の一つでした。ダリアはクエルナバーカ、テポソトランなどの高原で自生していた野草をインディオが長年かかって栽培し、交配により3000ほどの品種が生まれました。15世紀のアステカ帝国時代には球根を食用や薬用としていました。その最初の正確な記録はスペインの博物学者フランシスコ・エルナンデス(Francisco Hernandez、1515-1578)がメキシコ調査中にまとめ、死後出版された『新スペイン動植鉱物誌』(1651)にあります。ヨーロッパには1789年に上記のセルバンテスによってコスモスと共に送られ、それを図解で紹介したスェーデンの植物学者アンデシュ・ダール(Anders (Andreas) Dahl、1751-1789)を記念して、カバニレス神父によって「ダリア」と命名されました。

 コスモスとダリアの見事な花を見比べていると、共にメキシコからはるばるやってきたことに不思議な気分になり、しきりと感動を憶えてならないのです。