異安心を巡って

(3)金子みすゞの詩

 次の詩は金子みすゞの詩で、それを読んで、まずは心を覚醒させよう。

大漁

朝焼小焼だ 大漁だ 大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ。

浜はまつりの ようだけど 海のなかでは 何万の 鰮のとむらい するだろう。

(『金子みすゞ童謡全集』JULA出版局)

 

 昔から童謡には謎めいた歌詞があり、それが童謡のもつ特異な世界を醸成してきた。そのとても古い例の一つが「いろは歌」。

 

いろは歌

 いろはにほへと ちりぬるを(色は匂へど散りぬるを)

 わかよたれそ つねならむ(我が世誰そ 常ならぬ)

 うゐのおくやま けふこえて(有為の奥山 今日超えて)

 あさきゆめみし ゑひもせす(浅き夢見じ 酔ひもせず)

 

 平安時代に起源を持つ「いろは歌」は仏教の諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽の四つを表している。この世は無常で、生滅の法則に支配され、生と死のない涅槃の境地に至ることによって真の大楽が得られるというのが「いろは歌」で、仏教の世界観が表明されている。

 さて、先入見なしに次の二つの童謡を見比べてほしい。

 

(1)西條八十「かなりや」

唄を忘れた金絲雀(かなりや)は

うしろの山に棄てましょか。

いえ、いえ、それはなりませぬ。

唄を忘れた金絲雀は

背戸の小藪に埋めましょか。

いえ、いえ、それもなりませぬ。

唄を忘れた金絲雀は

柳の鞭でぶちましょか。

いえ、いえ、それはかはいそう。

唄を忘れた金絲雀は

象牙の船に、銀の櫂

月夜の海に浮べれば

忘れた歌を想ひだす。

 

 多くの人は白雪姫やピーターパンを連想しながら、この童謡を読み、唄うのではないだろうか。背後にある不気味さは微妙に抑えられ、子供世界の危うさが垣間見えるが、私たちが直接に問題を突きつけないような配慮がなされている。だが、そのような大人の配慮がまるでないのが次の童謡。

 

(2)北原白秋「金魚」

母さん、母さん、どこへ行た。

紅い金魚と遊びませう。

母さん、歸らぬ、さびしいな。

金魚を一匹突き殺す。

まだまだ、歸らぬ、悔しいな。

金魚を二匹締め殺す。

なぜなぜ歸らぬ、ひもじいな。

金魚を三匹捻ぢ殺す。

涙がこぼれる、日が暮れる。

紅い金魚も死ぬ死ぬ。

母さん、怖いよ、眼が光る。

ピカピカ、金魚の眼が光る。

 

 白秋の「金魚」は強烈。子供の本性が直接に表現され、多くの大人には残酷で無慈悲な内容である。だが、反倫理的、反仏教的にみえる子供の行為は無垢のもので、人の本能を素直に表現している。とはいえ、子供の心理については今でも多くの推測が入り混じり、白秋の子供観が強く出ているのも確か。小学校の音楽の時間に歌うには不適切と考える大人がほとんどだろう。

 八十、白秋の上記の童謡は子供の心理が大人と違うことから説明、解釈できるが、次の金子みすゞの詩はそう簡単にはいかず、子供の「なぜ、どうして」の問いにとても答えにくいものになっている。

 

(3)金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」:一視同仁

 私が生まれた妙高市小出雲の賀茂神社の正面入り口の石碑は「賀茂神社」と「一視同仁(いっしどうじん)」。「一視同仁」は「視を一にし仁を同じくす」と読み、「一視」は平等に見ること、「同仁」はすべてに仁愛を施すこと。つまり、一視同仁は依怙贔屓(えこひいき)の反意語で、ほぼ公平無私という意味で、すべての人を分け隔てなく、平等に愛すること。「一視同仁」は中唐の文人政治家韓愈(768-824)の『原人(人の本質を原(たず)ねる)』の中に出てくる。韓愈は古文復興運動を勧め、儒教の復興を目指し、古文復興運動を提唱した。「原人」、つまり人の本性を探ることによって「一視同仁」の主張となるのだが、人の本性は同じどころか多様性に満ちている。人の本性(Human Nature)は依怙贔屓の塊、好き嫌いの塊であり、個人差に溢れている。しかし、その違いを乗り越え、「一視同仁」の主張は民主主義のスローガンにさえなってきた。人には差異があり、それが個人差として、個性として、社会的に認められてきたのに対し、人の権利として自由で平等でなければならないと叫ばれてきた。「異なる個性、形質をもつ人たちを一視同仁の立場から捉える」ことは実はとても厄介で、困難なことだが、人はその途方もない願いを目標にして、今でもその夢を飽くことなく追い続けている。

 個性、多様性、相対性を認めながら、自由平等を訴えることが一視同仁の主張であったとすれば、金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」の「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」も同根の主張と言える。「ちがっていても、みんないい」と言えるにはちょっとした仏教的な悟りが必要なのかもしれない。

 

「私と小鳥と鈴と」

 私が両手をひろげても、

 お空はちっとも飛べないが

 飛べる小鳥は私のやうに、

 地面を速くは走れない。

 私がからだをゆすっても、

 きれいな音は出ないけど、

 あの鳴る鈴は私のやうに

 たくさんな唄は知らないよ。

 鈴と、小鳥と、それから私、

 みんなちがって、みんないい。

 

 金子みすゞは1903(明治36)年山口県大津郡仙崎村(現長門市仙崎)に生まれた。彼女のどの作品からも優しさに貫かれた「一視同仁」の独特の宇宙が滲み出る。みすゞは23歳で結婚し、娘を授かるが、4年で離婚。みすゞは親権を要求するが、受け入れられず、そのため、1ヶ月後に娘を自分の母に託すことを求めた遺書を残し、服毒自殺する。とても短い一生だったが、その詩は門徒の優しさ、美しさに満たされている。

 さらに、金子みすゞの作品を二つ挙げる。

 

「星とたんぽぽ」

 青いお空の底ふかく、

 海の小石のそのように、

 夜がくるまで沈んでる、

 昼のお星は眼にみえぬ。

  見えぬけれどもあるんだよ、

  見えぬものでもあるんだよ。

 

 散ってすがれたたんぽぽの、

 瓦のすきに、だァまって、

 春のくるまでかくれてる、

 つよいその根は眼にみえぬ。

  見えぬけれどもあるんだよ、

  見えぬものでもあるんだよ。

 

「雀のかあさん」

 子供が

 子雀

 つかまへた。

 その子の

 かあさん

 笑つてた。

 

 雀の

 かあさん

 それみてた。

 

 お屋根で

 鳴かずに

 それ見てた。

 

 「雀のかあさんが何を見て、何を感じたか、なぜ見ているだけだったのか」と子供たちに問われると、私たちは答えに窮してしまう。神話や宗教、子供たちの心理からでは説明できないものが通奏低音として響いている。

 金子みすゞ門徒の多い山口県大津郡仙崎村で生まれた。金子家は仙崎で金子文英堂という書店を始める。母も祖母も門徒で、みすゞもその環境で育った。そこで、最初の「大漁」に戻って、読み直してみよう。そこに門徒の気持ちを感じないだろうか。