過疎と過密の間

 コロナ禍で「過密」という単語がよく使われましたが、過密と過疎はコロナ以前から人口に対してよく使われてきました。コミュニティーデザイナーの山崎亮さんは「適疎」の状態を過疎地域で実現しようとしています。適切な数値ということで、過不足なし、適度、適量などが中庸の量や値として考えられてきました。

 では、最適の値というのが地域の人口に関してあるのでしょうか。それにうまく答えられないことが、地域ピッタリの人口を表現する語彙のないことに繋がっているようです。理想的人口というのがそもそも考えにくいのです。ある文脈が定まり、そこでの様々なパラメーターによって決まってくるのが人口で、状況依存するのが人口の特徴となると、超越的に人口に理想の値がある訳ではないのです。

 一方、過剰や過小を超えて、「適度、最適」を求めたのが経済学者エドウィン・キャナン、クヌート・ウィクセルらによる理論で,経済社会で最も効率的な人口が「適度人口」、あるいは「最適人口」と考えられました。一定技術があり、資本、土地、天然資源が一定の状態を仮定すると、人口がある値に達するまでは、人口増加によって収穫逓増の現象がみられます。ところが、この値をこえると、収穫逓減が起こります。この値が適度人口です。この適度人口を超えた人口が過剰人口です。これは経済的な文脈では説得力ある理論ですが、経済面以外の文脈でも同じような議論ができ、それらを重ね合わせて、普遍的な適度人口があるかどうかとなると、よくわからなくなります。地球規模の適度人口となると、一層わからなくなります。

 このようなことから、各地域の適度人口が何かは意外に厄介な概念であり、それを具体的に想像することが難しいことがわかります。実際、自分のふるさとの適度人口が何かを自問しても、適切な数値が浮かんでこないのです。