オリ・パラの選手たちのタトゥーに戸惑う

(1)入れ墨は落書きか、それとも壁画か?

 『刺青(しせい)』は谷崎潤一郎の小説ですが、そのタイトルが「いれずみ(入れ墨)」と読まれるようになり、刺青=入れ墨=いれずみとなりました。英語ではタトゥー(tattoo)で、これも今では日本語の単語として普通に使われています。つまり、現代日本では「いれずみ=刺青=入れ墨=タトゥー」という訳です。

 ボクシングの井岡一翔のタイトルマッチ(9月1日)では、JBCルールの「入れ墨など観客に不快の念を与える風体の者」は試合に出場できないため、井岡はJBC立ち会いのもとファンデーションを施して登場しました。挑戦者のメキシコのロドリゲスにもタトゥーがありましたが、JBCルールの適用は日本ジム所属選手のみのため、井岡のファンデーションの不自然さだけが目立ち、しかも試合の後半にはそれが落ちて入れ墨がはっきり浮かび上がり、ルールは消失状態になっていました。

 そんな光景を見ながら、オリンピックとパラリンピックの出場選手たちを思い起こすと、実に多くの選手がタトゥーを入れていて、多くの日本人がそれに違和感を持った筈です。スポーツ選手のタトゥーは21世紀に入り目立つようになり、プロスポーツの世界ではむしろ当たり前のようになっています。

 でも、日本人の古い世代は遠山の金さんや高倉健やくざ映画での刺青を連想し、タトゥーをファッションの一つと考える欧米や日本の若い世代とは随分違っています。これも典型的な世代間のギャップと言えるでしょう。私のような世代は確かに刺青に対して先入見が強く、公平な目で見ることができないのかも知れません。そのためか、新聞もテレビもまだ沈黙したままですが、いずれ詳しい報告や分析を知りたいのは私だけではない筈です。

 学生時代、私は日本堤近くの銭湯に下宿していて、毎晩遅く銭湯を利用させてもらっていたのですが、土地柄入れ墨を入れた人が多く、3人に一人程の客の背中には見事な彫り物が入っていました。傑作が多く、自分の身体を洗うのを忘れ、暫し見惚れていたのが思い出されます。

 さて、そんな私を含めた古い世代がスポーツ選手をはじめとする若人のタトゥーについてどのように捉えたらいいのか、そのきっかけになる二つの見方、「入れ墨=落書き」論と「入れ墨=壁画」論、をまず考えてみましょう。

 先のJBCルールは「入れ墨=落書き」という考えに基づいています。入れ墨は悪質な落書きと同じように、それを見る人を不快にするものです。オリ・パラの会場は湾岸地域に集中していましたが、この地域は都心に比べると落書きのしやすい環境にあり、実際多くの落書きがありました。バンクシーに匹敵する傑作がないのは当然としても、どれもが稚拙なものばかりで、文字通りその落書きを見ると、不快になるものばかリでした。それら落書きの大半はオリ・パラのために消されたのですが、その対応はJBCルールとほぼ同じです。遠山の金さん、高倉健の刺青は単なる落書きではなく、綺麗で見事と思わせるものですが、今のスポーツ選手の刺青にも似たような印象を持つ人が多い筈です。それでも、彫り物は落書きに過ぎず、すべきものではないというのが古い世代の見方で、入れ墨は「悪」を象徴するものと捉えられてきました。

 次は「入れ墨=壁画」という考えです。システナ礼拝堂にはミケランジェロボッティチェッリの壁画が溢れています。他の教会や宮殿も同じで、「壁には壁画が描かれている」というのが通り相場となってきました。日本人の美学では白壁には何も描かないことになっていますが、ヨーロッパでは空白を埋めるべく、壁画を描き尽くしたのです。それが内側の壁面だけでなく、外側の壁面にも描いたのがメキシコの壁画です。壁面に画を求める文化を受け入れることは、無垢の肌に入れ墨を入れることも許容することになります。とはいえ、気に入らない、あるいは気に入らなくなった絵は取り換える、描き変えることができますが、入れ墨は無理やり消すことしかできません。つまり、一度入れたら、描き変えることができない壁画なのです。

(2)私の脳への『刺青』の彫り込み

 谷崎潤一郎の『刺青』は入れ墨のもつ近代的な意味を見事に表現した作品ですが、それを最初に褒めたのが永井荷風でした。1910年、慶應義塾の文学部は文学・哲学・史学の3専攻制を採用し、森鷗外上田敏の推薦によって永井荷風慶應義塾大学文学部の主任教授として迎えます。荷風は洒落た洋風の服装で講義し、「講義は面白かった。しかし雑談はそれ以上に面白かった」と佐藤春夫が評しています。この頃の荷風谷崎潤一郎を見出し、訳詩集『珊瑚集』を発表し、自らが編集主幹となる雑誌『三田文学』を創刊しています。

 1911年、荷風はその『三田文学』に「谷崎潤一郎氏の作品」と題した評論を発表し、前年に『新思潮』と『スバル』に発表された谷崎の短編小説五編を対象にしました。谷崎はまったくの新人でしたが、この荷風の激賛により、一気に新時代を代表する作家の地位に踊り出たのです。その中でも『刺青』は特別で、荷風は「小説『刺青』は江戸の刺青師清吉が刺青に対する狂的なる藝術的感興を中心にした逸話で、自分の見る処この一作は氏の作品中第一の傑作である」と賞讃し、作品について「此の一篇は此の残忍なる藝術家が深川の女の真白な肌に己が精神をこめた蜘蛛の刺青を施すことを主眼にしてゐる」と述べています。

 入れ墨を大別するなら、二つの異なる目的がありました。縄文時代には、魔除けや婚姻や成人にかかわる習俗(文身)として部族ごとに行われていましたが、その後は刑罰として強制的に腕などに入れられる場合と、愛情の誓いとして誰それ命の文字を腕に彫る場合に分けられます。男女が変わらない愛情の印に互いに相手の名を腕に彫ることは「入黒子(いれぼくろ)」と呼ばれ、主に遊里において行われました。それが遊女の粋で、いれずみ、ほりものとも呼ばれました。そして、これらが日本の伝統的な入れ墨についての見方です。

 さて、谷崎の『刺青』の最後の部分を見てみましょう。刺青を彫られた娘は清吉に向かって、「お前さんは真先に私の肥料になったんだねえ」と「剣のような瞳を輝かした」のです。すると、清吉は懇願するように「帰る前にもう一度、その刺青を見せてくれ」と言います。そして、最後の一行は次のものでした。

「女は黙つて領いて肌を脱いた。折から朝日が刺青の面にさして、女の背は燦爛とした。」

 谷崎の『刺青』は短編で、ネットの「青空文庫」に入っていますから、誰でも簡単に読むことができます。この作品によって入れ墨のもつフェティシズム、性的倒錯が見事に表現され、それまでくすぶっていた陰の存在が文学的に捉えられたのです。個人の意識や感情にとって入れ墨がどのような存在なのかが見事に描き出されました。私の脳にもこの短編が彫り込まれ、歴史学民俗学やくざ映画と違う入れ墨の本性が入れ墨されたのです。

 さて、谷崎による入れ墨の近代的な解釈は現在では古典ということになるでしょう。現在の「入れ墨」観はファッションであり、アクセサリーでもあります。入れ墨は身体の装飾であり、そこに陰の薄暗いイメージはありません。でも、そこには化粧装置、装飾道具としての入れ墨しか存在せず、平板過ぎて寂しい限りです。

(3)Modification

 谷崎潤一郎の『刺青』は入れ墨の持つそれまで十分に表現されていなかった側面を見事に表現して見せたのですが、今世紀の入れ墨の役割はそれとは明らかに異なり、オリ・パラで見せつけられた入れ墨の洪水に多くの日本人が戸惑い、その意味は何かを改めて問い直さざるを得なくなっています。入れ墨の歴史的、社会的な意味を保存してきた保守的な日本社会は谷崎の耽美的な入れ墨の役割を許容しても、現在の入れ墨の役割に対しては戸惑いが先に立ち、どう対処すべきかの答えに窮しているように思われます。それを裏付けるかのように、オリ・パラでのタトゥーに対して、それらを紹介する程度で、明確な議論が出てきておらず、そのことが日本社会の戸惑いを如実に示しています。

 恐らく、オリ・パラ選手や有力なプロスポーツ選手に共通する基本的な概念はBody Modificationと呼ばれる身体改造にあり、それを代表するのがタトゥーとピアスです。そして、そこに具体化されている心身の改造、改変、変容の具体的手段の装飾的で、些細なものがタトゥーやピアスなのです。スポーツ選手は練習によって身体を鍛えますが、それを補助的に支えるのがタトゥーやピアスで、ライオンのたてがみのように、自らを強く、大きく見せる装飾装置となっています。

 スポーツの普及、ダイエットによる心身の健康保持、美容整形も含めた身体改造は21世紀のブームの一つであり、心身への関心の高まりは他の世紀を遥かに凌駕しています。医療の飛躍的な進展もそれに拍車をかけ、Sex Rearrangementさえ夢物語ではなくなり、知識による心身への侵略、介入が容赦なく進行しています。

 心身を自ら変えることは積極的な生活スタイルだと考えるなら、革新的で能動的な服装をすること、身体を積極的に鍛えること、身体に自発的に手を加え、生活様式を革新することなどは多くの人に抵抗なく受け入れられるという風潮が出来上がりつつあります。その具体例がファッションや化粧の一つとしてのタトゥーやピアスなのです。

 タトゥーに対する日本の反応は西欧とは異なり、20世紀までの日本的なタトゥー概念が現在のタトゥー概念にあちこちで衝突しています。これはピアスとは随分と異なり、文化の差と呼ばれるものなのでしょう。日本におけるピアスの歴史はタトゥーの歴史に比べれば、貧弱この上なく、ピアスには日本特有の戸惑いはありません。

 さらに、年代だけでなく、地域差も相当にあるのではないかと推測されますが、それは私にはまるでわかりません。私と同世代の、各地域の人たちがオリ・パラの選手たちの身体に刻まれたタトゥーの洪水にどのような反応を示すのか、それがわからないのです。

 そのような中で、谷崎の『刺青』が記憶に彫り込まれた私には今のスポーツ選手の身体に彫られたタトゥーを理解しようとすると、タトゥーに関するパラダイムシフトが必要で、その手掛かりがBody Modificationだと推測するのですが…それでも多くの気懸りを持ったままなのです。

 面倒なBody Paintingや化粧に比べれば、一度彫れば消えないタトゥーの方がずっと手軽と若者たちは考えているのかも知れません。そうだとしても、私には「一度彫れば消えない」ことが便利だというスポーツ選手や若者たちの考えをなかなか受け入れることができないのです。そのためか、タトゥーへの戸惑いはなかなか消えないのです。

*これまで三回に分けて書いたものを一部改変し、まとめたものです。