私たちは知りたいという好奇心をもち、それは私たちの本能の一つと思われている。その好奇心をタブーとして捉えた最初の人がアウグスティヌスだった。アウグスティヌスによれば、好奇心は感覚的なものに陶酔して精神の腐敗をもたらす「目の欲」であるため、虚栄欲(野心)や肉欲と共に三つの罪とされた。その「好奇心を嫌う」文化はヨーロッパ中世を支配し、修道院内の道徳規範によれば、好奇心はうぬぼれに向かうものと見做されることになる。好奇心は異端や魔術とも関連付けられ、自然についての知識探求は人間には無意味なもので、それより自らの内面へと関心を向け、救済を求める方が有益であると考えられた。アウグスティヌスは外部世界の探求が誤った傲慢さを引き起こすと考えており、外部世界に対する態度は現在の私たちとはまるで異なったものだった。そのため、彼は天文学や占星術に好奇心をもち、天空に関心をもつ人を批判したのである。彼にとって、魂の正しい道は星へと向かう好奇心ではなく、自分自身の中へと下降し、そこから神へと上昇していく信仰だった。彼にとって好奇心は煩悩の一つだったのである。
そのような好奇心蔑視の世界で真空の存在に対する科学的な好奇心が高まる。真空の存在を実験的に確認することは、その後の原子論成立の必要条件であるというのが科学史的な意義なのだが、その発端はアリストテレスの「自然は真空を嫌う」という説のもとで、鉱山の鉱水汲み上げのポンプや井戸ポンプが10m以上は働かないこと、ポンプの筒の上の部分は空ではないかという疑問が出たことだった。ガリレオの弟子トリチェリの真空実験(1643)によれば、水は10m、水銀なら76cmとなった。彼は水銀柱の上部の空間は真空で、水銀を押し上げる力は大気圧だと推測した。それに対して、そこの空間は空ではなく、エーテルのような媒質があるとして、真空を認めないのがデカルト。彼は宇宙に充満する流体(微粒子、媒質)の存在を仮定し、その渦運動で天体の運行や重力を説明した。デカルトは空間即物質のアリストテレス的空間論を受け継いでいた。
このような真空を巡る議論を支えてきたのが科学者たちの知的好奇心である。スタートは「自然は真空を嫌う」というアリストテレスの主張。空気は重く、圧力をもつと言っても、今なら誰も驚かない。だが、これは350年ほど前ならまるで違っていた。「自然は真空を嫌う」というアリストテレスの説が信じられていて、大気圧による現象をすべてこの考えから説明しようとしていた.例えば、ふいごの口をふさいで、把手を拡げようとしてもなかなか拡がらない。拡げられると真空が生じるが、「自然は真空を嫌う」から拡がらないのだと主張された。アリストテレスによれば、物体の落下速度は空気などの媒質の抵抗が大きいほど遅くなるから、媒質の密度に反比例する。真空が存在すれば、その密度は0だから、抵抗は0となり、速さは無限大になる。だが、無限の速さは不可能だから、真空は存在しない、と結論できる。むろん、この推論の誤りは日常現象の観察結果をそのまま真空中の運動にも適用してしまい、その速さを無限大とした点にある。だが、「自然は真空を嫌う」といった目的論的自然観が誤っていることを示唆している。
ヨーロッパでは中世から近世に時代が下るとともに、目的論的世界観から因果論的世界観へのパラダイムシフトが起こりつつあった。その結果、現象の背後の原因は何かという点に目を向け,その原因を実験によって明らかにしようとする動きが登場する。その一例は揚水ポンプの現象。金属の需要の増大によって鉱山業が発達し、鉱坑は地下深くまで掘られるようになり、そのため深い所から水を汲み上げる必要が生じた。10mを越える深さになると、ポンプは働かない。これを聞いたガリレオは、「自然が真空を嫌う」ならば、水はいくらでも上がるはずであることから、アリストテレスの考えは誤りであることに気づく。弟子のトリチェリの実験は人びとの関心の的となり、「空所」をめぐって議論が続出した。当時は,空所に希薄な空気が満ちていると主張する真空否定論者が多かった。「空所」を真空と認め、水銀が宙に停止する原因を大気の重さに求める説を受け入れるためには、多くの実験と新しい考えが必要だった。そして、そこに現れたのがパスカル。
大気圧を証明したパスカルは巧みな実験によって、問題となっている空所には知覚し、認識できるような物質はないと結論を下した。次の彼の関心は、水銀が下降して空所を残す原因を見出すことだった。内心ではトリチェリの「空気の海」の説に同意していたが、自然学では実験こそが真の師であると信じていたパスカルは、あらゆる反論にも耐え得る確かな証拠を示そうと様々な実験を工夫した。中でも大気圧の考えを確証づけたのが次の二つの実験。一つは「真空中の真空」と呼ばれる実験。J字形とまっすぐな管とを接続したガラス管に水銀を満たして、水銀槽中に倒立させるこの実験は大気圧がかかっている場合と、そうでない場合とを見事に対照させている。もう一つの実験は「ピュイ・ド・ドームの実験」と呼ばれている。水銀柱が宙に停止する原因が大気の重さならば、高い山の山頂に置いた水銀柱の高さは、山麓に置いた場合よりも低くなるはずである。この仮説を検証するために義兄ペリエに頼んでピュイ・ド・ドーム山で実験を行った。
パスカルは大気圧の問題をより一般化し、流体の平衡の問題として論じた。彼は静止流体の研究を進めて、ガラス管の口から流れ出す水を防ぐのに必要な力は水の高さにのみ比例することを示した。そして、その力の大きさとして、今でいう全圧力を定義していたのである。また圧力の伝わるしくみを説明しようとして、「流体のある部分に加えられた力は,流体の連続性と流動性のために容器のあらゆる部分にくまなくゆきわたる」という原理を提示している。彼はこれらの原理を用いて、水圧器の平衡やアルキメデスの原理などを説明した。こうして、それまで「自然は真空を嫌う」ことから説明されてきた現象を、流体の平衡の理論を用いてことごとく大気の重さに帰着させて説明したのである。
好奇心に突き動かされた科学的探求はボイルの法則へと繋がっていく。空気は大気圧を生じるという他に、弾性という性質ももっている。当時、空気に膨張する性質があることは既に知られていた。ボイルは性能のよい空気ポンプを使って、トリチェリの実験で水銀柱が上昇する原因は外部の気体の圧力にあること、また空気が弾性をもつことなどを示した。だが、真空を否定する説は依然として根強く、水銀柱は目に見えない糸によってつるされているといった反論も現れた。この批判を反駁するために数々の実験を行ったが、有名な「ボイルの法則」を導いた実験もそのうちの一つである。
真空の存在に関する探求を続行し、結論に至ることを実行するには好奇心が不可欠だが、その好奇心が適切に働くためには適切な知識を前提にした探求が求められる。好奇心が働く方向を定めるのが適切な知識と予測ということになる。一方、盲目の好奇心は不適切な信念に基づく好奇心で、煩悩の持続のための好奇心と言ってもいいだろう。このような好奇心はアウグスティヌスが嫌い、否定した好奇心である。ところが、パスカルはアウグスティヌスに似て、好奇心に対して否定的な立場をとっている。彼の名言の一つを思い出してみよう。
Curiosité n'est que vanité. Le plus souvent, on ne veut savoir que pour en parler.
(Curiosity is only vanity. We usually only want to know something so that we can talk about it.)
(好奇心というものは、実は虚栄心に過ぎない。たいていの場合、何かを知ろうとする人は、ただそれについて他人に語りたいからだ。)
好奇心はキリスト教的文脈では、悪しき欲望であると捉えられてきた。パスカルは「肉」、「精神」、「知恵」の三つの秩序が存在することを指摘する。「肉」の秩序は金銭、権力が価値基準となる世俗的世界を指している。「精神」の秩序は学殖、知識が基準となる学問的世界、「知恵」(あるいは「慈愛」)の秩序は至高善であり、正義である神へと向けられる愛が基準となっている。 この時、三つの秩序は「肉」、「精神」、「知恵」の順で価値的な階層構造になっている。そして、それぞれの秩序に「邪欲」、「好奇心」、「傲慢」の 三つの欲望が割り当てられ、精神の秩序と結び付けられた好奇心は病に例えられている。
有限な存在である人間は無と無限の二つの中間に位置し、どちらの極も認識することができない。そのため、すべてを知ることはできない。にもかかわらず、人間は全てを知りたがる。パスカルは有限な人間には不釣り合いな無限の真理を追い求める、際限のない知識欲として好奇心を問題視する。さらに、好奇心の自己愛との関係もパスカルは指摘する。好奇心はたいていの場合、虚栄でしかない。それについて語るためだけに人は知りたがる(上記の名言参照)。好奇心は知る快楽だけでなく、知識を他人に語る快楽の側面もある。この時、好奇心は自己愛の一形態となる。学問的知識を他者に語ることで他者よりも自己を上に置き,自己愛を満たすのである。好奇心に関して、パスカルは何とアウグスティヌスに似ていることか。
さて、この辺で現代の真空について触れてみよう。「真空」とは何かへの典型的な回答は、「一切の物質がない空間」。ただそこに空間があるだけで真空の「物」はない。現実的にはそのような空間は作れないので、「大気よりも密度の薄い気体で占められた空間」=「大気よりも圧力の低い空間」を真空と呼ぶことがある。場の量子論によれば、空間は粒子の対生成・対消滅が起こっている。これらの粒子は観測されることがなく、従って、一番最初の「一切の物質がない空間」と考えることができる。つまり、この空間は真空であっても、粒子が現われたり消えたりしている空間となる。自由場の基底状態を真空と定義すれば、量子はその励起状態として表現される。相互作用があると、さらに複雑になり、対称性の自発的破れの概念の中では、ある量子場が有限の真空期待値を持ち、凝縮ヒッグス場やカイラル凝縮と呼ばれ、質量の起源になる。これらも外的状況によって相構造を持つ、大変複雑なものになる。
水を張った水槽を揺らさないように静かに置いておくと、水面は平らになる。横から壁をたたくと、波が立って反対の壁に向かって進んでいく。では、壁をたたく力をもっと弱くして、立てる波をどこまでも小さくしてみたらどうか。量子論によれば、波にはそれより小さくなれない最小単位がある。それは小さな「粒子」でもあり、それゆえ、この小さな波は粒子と呼ぶことができる。水面を伝わる波ではなく、空気を伝わる波は音である。では、光のように、空気のないところでも伝わる波はどうか。この場合、波は「真空」を伝わっていく。光の波の最小単位は「光子」だが、他の素粒子もすべて、真空を伝わる小さな小さな波だと考えられる。
現代の素粒子論は、「場の量子論」と呼ばれ、素粒子にはその種類に応じて「場」がある。「場」は空間のあらゆる場所に広がっている。電子には電子場、クォークにはクォーク場があり、これらが水や空気の役割をもち、波を伝える。そして、「場」に立った最小のさざ波が素粒子。宇宙空間のように空気も何もない空間が何もないように見えるのは単に気づいていないだけ。水槽にバケツの水をぶちまけよう。すると、最初は泡立ったり、大きな波や渦ができたりする。水槽をそっとしておくと、落ち着いていく。水面は静かになり、やがて静止。波が一つも立っていない状態が「真空」と呼ばれるが、そこにはまだ水があり、何もない空間ではない。素粒子の世界の真空も同じ。超高温で生まれた宇宙の初期には、電子場やクォーク場などのすべての「場」が動いている。宇宙が冷えるにつれて、場もエネルギーも低い状態に落ち着いていく。これが現在の真空。場が持つエネルギーは自然法則によって決まる。場がゼロになった状態よりも、その周辺のゼロでない状態の方がエネルギーが低くなっている場合がある。エネルギーの低い状態に落ち着きたい「場」はそちらに落ちていく。どっち向きに落ちるかは運次第。このように自然に真空が決まることは「自発的対称性の破れ」と呼ばれる。
トリチェリから始まる真空への執拗な好奇心の結果が上述のことであり、持続的な好奇心が如何に物理学的な真空概念を変えてきたかの一端が垣間見えるだろう。人間が新しいものに惹きつけられることは「拡散的好奇心」と呼ばれ、新しい知識や経験を求めたり、新しい人間関係ができるきっかけとなる。そのため、拡散的好奇心は知的好奇心と共感的好奇心の基礎となっている。この拡散的好奇心を意識的に方向付けることができ、知識と理解を求める意欲が内面から湧き上がってきたなら、それが「知的好奇心」。知的好奇心は印刷機の発明によって共有が容易になり、今ではネットでいつでも手軽に接することができるようになった。そして、好奇心には理解を深めたいという知的好奇心の他に、他人の考えや感情を知りたい「共感的好奇心」もある。今の私たちは好奇心をこのように理解している。
アウグスティヌスやパスカルは好奇心を嫌い、精神内部に向かう信仰心を重視するが、それと正反対の好奇心重視の科学的探求を推進する科学者とは極めて好対照である。二つの立場は哲学的には相反するもので、それゆえ、多くの科学哲学者は無神論の立場に立ち、好奇心による経験的探求が終わりのないことを受け入れている。経験的な知識は更新を続けるもので、反証可能性をもつことが運命づけられている。果てしなき探求には果てしなき好奇心が必要で、そのような好奇心はアウグスティヌスやパスカルには知的な探求の必需品として到底受け入れられないものだった。そこに信仰と科学の相容れない根本的な対立が浮かび上がってくる。そして、「二人の解答が何になるか」について私の好奇心はいやがうえにも高まるのである。