ルールとその表現

(1)言葉のルール
 私たちは言葉を使って考えます。その言葉は文法というルール、規則をもっています。また、私たちの思考は論理の規則を使っていて、私たちはそれを使わないと考えることさえできません。ですから、私たちが考える時には、言葉の規則と思考のルール、つまり文法と論理という二つの違うルールを使っていることになります。では、どうして言葉のルールと思考のルールは同じではなく、異なっているのでしょうか。この疑問について以後考えてみることにしましょう。まずは、言葉そのもののルールではなく、俳句という定型詩のルールを取り上げてみましょう。
定型詩(俳句)のルール:一つの俳句に一つの季語という原則と、季重ね、季違い
 俳句は季語を入れて作るものですが、一句に入れる季語の数は一つにしておくのが良いとされています。なぜなら、握り寿司のネタがなかったり、逆に重ねたりすることがないように、俳句の季語はネタにあたる最も重要な句の構成要素。なければ駄目ですが、むやみやたらに重ねるのも駄目で、寿司を食べる側は、ネタ(つまり、季語)を楽しむことができなくなってしまいます。この月並みな説明に対して、ちらしずしや海鮮丼、パエリアは色んなネタを使っていて、それによって寿司とは逆に美味しさを生み出しています。寿司はそれぞれの季語が互いに持ち味を打ち消しあい、一句を台無しにしてしまう喩えになりますが、パエリヤやブイヤベースはこの反対に、互いに旨味を出し合い、味を深める例になります。一句に一季語というルールはあくまで寛容な原則で、例外を認めると考えた方がよさそうです。
 冬桜が咲き、凧が元気に揚がっている正月風景を想像して下さい。冬桜なら季節は冬で疑問は出ませんが、十月桜も冬桜の一種と分類されています。それを季語に使おうとすれば、冬桜は冬で十月桜は秋です。何か釈然としません。果物の筈なのに、とても硬くて、渋く、食べられない花梨が枝に取り残されたままになっている景色を見ると、俳人でない私が似非俳句を詠もうとすると困惑してしまうのです。今は冬なので「十月桜」は使わず、「冬桜 凧を引き留め 色を増す」と詠めばOKなのでしょうが、「冬空に 黄色い花梨 残りたる」、「寒風に 黄色い花梨 晒される」と詠むと、疑問符がつきます。「花梨」は果実酒をつくるのが秋なので、秋の季語、冬空や寒風は当然冬の季語、これでは辻褄が合いません。眼前の景色をそのまま句にしたのでは、俳句のルールに反するとなると、私は到底俳人にはなれそうもありません。
 でも、こんなことに真剣に悩むのは何かおかしいのです。見上げれば、枝に残る花梨があり、今は文句なしの冬。ならば、俳句の季語のルールを変更する、無視することでどんな不都合が生じるというのでしょうか。言葉、慣習、法律、道徳等々、いずれもルールの集まりからなっていますが、不都合なら変えて構わないというのが人間の知恵です。これらルールは自然法則や数の計算ルールと違って融通無碍なのです。実際、俳句に関心がない人には季語など馬の耳に念仏で、失念しても無視しても一向に構わないのです。それが人為的なルールの特徴であり、上述のような問題は大問題でも何でもありません。俳句にこだわる人たちにだけ通用するローカルな問題に過ぎません。
 「冬桜 凧を引き留め 色を増す」、「冬空に 黄色い花梨 残りたる」、「寒風に 黄色い花梨 晒される」のような、一句に季語が二句以上入った句を「季重ね」、季節が違えば「季違い」の俳句と言われます。安易な「季重ね」、「季違い」は、脂の乗ったトロと、程よく酢でしめたコハダを、わざわざ重ねて握って寿司の味を台無しにしてしまうことだと考えることも、違うネタを重ね合わせて味の深みを出すパエリアやブイヤベースと捉えることもできます。そこで出てくる一般的な注意は、初心者は「季重ね」の句、「季違い」の句をできるだけ作らないように心がける方が良いということです。
 でも、季重ね、季違いの俳句が全て悪いかというと、実はそうではなく、『おくのほそ道』に収められた松尾芭蕉の次の句を見てみましょう。

  一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月 (芭蕉

 この句は、越後の市振の自らが泊る宿に、遊女も泊っていることに気付いたという設定で詠まれていますが、「萩」と「月」という二つの秋の季語が互いを補い合って、なんとも言われぬ雰囲気を醸し出しています。この句のように、二つ以上の季語が、生かし合い、補い合っている場合は、季重ねは全く気になりません。
 二つの季語が互いに生かし合っている場合や、強い季語と弱い季語の取り合わせになっているような場合は、「季重ね」、「季違い」は問題になりません。最後の例は極めて例外的な季重ねの名句です。

  目には青葉 山ほととぎす 初鰹(はつがつお) (山口素堂)

 視覚で青葉、聴覚でホトトギスの声、味覚で初鰹と、三つの感覚を駆使して初夏を楽しんでいるわけですが、やはり初鰹が句の中心に座っています。素堂は芭蕉とも親交のあった江戸時代前期の俳人
 無季俳句(むきはいく)は、季語を持たない俳句のこと。また季語はあっても季感(季節の感じ)を持たない俳句や、季語の有無を問わず詩感(ポエジー)を第一義とする俳句を含めることもあります。「無季」に対し、句が季語・季感を持つことは「有季」(ゆうき)です。無季の問題は江戸期、松尾芭蕉の時代から議論されてきた難題でした。近代になって独立した発句を俳句と呼ぶようになりますが、「ホトトギス」を長く主宰した高浜虚子は、花鳥諷詠を俳句の本質と唱えて無季俳句を排斥し、俳句は季語を含むべきものとする伝統俳句の考えを普及させました。
 近代俳句史においては、無季の問題は明治末期から大正期にかけての新傾向俳句運動、昭和初期の新興俳句運動、昭和30年代の前衛俳句運動という三つの俳句革新運動で主張されました。その結果、今日の俳壇での無季俳句に対する立場は個々の俳人や結社・師系などにより様々です。
 俳句が短歌と同じように現代の都市に生きる人々や物事を描写したいとすれば、季語が一つも入らなかったり、また逆に重複したり、違う季節の季語が一つの句に複数登場しても一向に構わないのではないでしょうか。一方、短歌が季語にとらわれない選択をしてきたのだから、だからこそ俳句の方は季語に拘り続け、俳句は自然を詠み続けてこそである という考えもあります。あくまで素人の私の考えですが、作者が季語にそぐわない世界に生きている場合は、季語にとらわれない句を創る方がよほど自然です。
 例えば、寒風の強い冬に、アカツメグサ(赤詰草、クローバーのことで、春の季語)の花を見つけたとしましょう。そこで自然に出てくるのが、「クローバー 寒風の中 咲き誇る」。でも、クローバーは春の花で、典型的な季違いです。今では一年中食べられるキュウリ、トマト、ナスなどは冬でも日常のものになっています。ですから、「冬至には 南瓜やめて 茄子を食べ」は普通に見られることです。でも、こう詠むと季重ね、季違いの二重違反ということになります。「クローバー 春の地面を 花で埋め」と「クローバー 一月の野に 花咲かせ」は同じようなことを詠んでいるのですが、前者はOKだが、後者は季違いです。
 さて、「正風俳諧」は松尾芭蕉が大成した俳諧の理論のこと。名付け親は荒木田守武ですが、俳諧という自然と人生に基礎を置く民衆的な文学を完成したのは松尾芭蕉であり、芭蕉俳諧を指すことばとして「蕉風俳諧」とも言われます。「正風俳諧万葉集の心なり。されば貴となく賎となく味うべき道なり。」とは芭蕉不滅の名言。でも、明治に入り、正岡子規をはじめ、河東碧梧桐高浜虚子たちは新派ホトトギスをおこし、正風打倒を目標としました。
 俳句の原則「季語は一句に一つ」は寛容なルールですが、季語を中心に俳句が作られてきたことは疑えません。そんな原則は俳句に関心がない人には原則でも何でもありません。この原則は物理学の法則とは違って、普遍的な原則ではなく、俳句に関心をもつ人たちにだけ通用する原則なのです。物理学の法則は物理学に関心のない人たちにも同じように成り立っていて、無関心の人たちも無視できない法則なのです。この二つの違いについてこれから暫くこだわって考えてみましょう。俳句の原則と運動法則の違いは何であり、その違いはどんな意味をもっているのか、消化不良を起こしそうな問題です。
 「季語がなければ川柳か」というのが常識。川柳には俳句にみられる季語や切れのルールがなく、現在ではもっぱら口語で、字余りや句跨りの破調、自由律や駄洒落もよく見受けられます。将棋とチェスは似ていますが、二つが異なるゲームであるように、俳句と川柳は似ていても、異なるルールをもつ違う文芸です。とはいえ、既に見たように俳句のルールも川柳のルールもとても曖昧ですから、いずれとも区別のつかない作品が多く出てくることになります。その典型例が種田山頭火の作品ではないでしょうか。
 山頭火と言えばラーメン屋さんと思う人が多いでしょうが、俳人種田山頭火は酒浸りの廃人に近い生涯を送りながら、自由律の俳句を作り続けました。何も飾らず、何も隠さず、ただ感じるままに、「語ること=詠うこと=呟くこと=想うこと」が混然一体になって彼の世界が表現されています。でも、どれほど直截に表現しようと、背後の傷ついた自分が滲み出てしまうのです。安穏で、小さな平和でさえ、朧で不安だらけで、それに怯える自分が余りに惨めであっても、自分にはなす術がない、そんな心境が伝わってきます。
 その山頭火でさえ、日本語の文法はしっかり守っていますし、それより基本的な論理ルールにも違反していません。俳句のルールは勝手に破ったのですが、日本語の文法ルールや論理ルールはしっかり守っているのです。それらを破ると、折角の句が単なる文字系列に堕してしまうことを彼は熟知していました。彼は意味が通じる最低限の表現を自分に課しているかのように余計な虚飾はすべて剥ぎ取っていますが、文法や論理のルールはしっかり守っているのです。恐らく、彼は論理のルールには無意識に、文法には意識的に立ち向かっていたと思います。山頭火は俳句のルールは無視し、時には破ったが、文法や論理のルールは破っていないのです。
 彼の句の幾つかを挙げてみます。どれも素直に俳句とはいえないものばかりです。

 こんなに うまい水が あふれてゐる
 まっすぐな 道で さみしい
 どうしやうもない わたしが 歩いてゐる
 風ふいて 一文も ない
 お天気が よすぎる 独りぼっち
 あたたかい 白い飯が 在る
 殺した虫を しみじみ 見てゐる

 山頭火が俳句のルールなど無視して自由に詠ったように、私も研究者のルールなど忘れて自由に話を展開してみましょう。山頭火の俳句ルールの無視は俳句の可能性を広げ、新しい地平を切り開きましたが、私のルール破りもそんなことが僅かでもできればという下心をもってのことです。兎に角、100%人為的なルールから、限りなく人為的なものがないルールまで、ルールは千差万別です。そして、寛容なルールを使っても風景や心情を厳格に表現できますし、厳格なルールを使っても現象や出来事を曖昧にしか表現できない場合があるのです。