点と線の幾何学から自然の数学化まで

 昨日は点と線の幾何学について述べました。最初の例だった「三つの点からなる幾何学」を考えてみましょう。小学生なら躊躇なく三つの点にそれぞれ名前をつけて、太郎、次郎、三郎などとする筈です。そうすれば変項は必要なく、この幾何学の命題はどれも主語が太郎、次郎、三郎のいずれかからなり、量化記号は必要なく、基本的に命題論理だけで表現できます。大人なら、x、y、zといった変項を使って述語論理によって命題を一括して扱うでしょうが、どの変項も実際は上記の太郎、次郎、三郎のいずれかを指示しています。
 実用上は小学生のやり方が圧倒的に優れていて、簡単です。でも、点の個数がどのくらい多くなると大人のやり方が有利になるのかはとても面白い問題です。
 「私」という個人、その家族、親戚、住んでいる町内、…、国から、同じ系図や系統に属する人々までの間で、私たちは固有名詞から一般名詞への移行を状況に応じて巧みに行い、個々の生き様と人権や人間関係の一般的な話とがそれによってつながっているのです。ですから、「人は概念を駆使することによってこそ世界を正しく知ることができる」という主張は正しそうに見えます。実際、知識は概念的な内容をもち、一般名詞で表現できるとプラトンアリストテレスは考え、それがカントやヘーゲルに至るまで信じられてきました。そして、その名残が今でもしぶとく生き残っているのです。
 でも、この「概念」の歴史は途方もない偏見に満ちていたのです。中世の普遍論争はその一例です。概念が実在するという実念論と、単なる記号に過ぎないという唯名論の争いは、「概念」を巡る論争なのですが、その概念の典型例は一般名辞(名詞)で表現されるものでした。でも、この「一般名辞の指示対象が概念」という前提は一体どのような根拠があったというのでしょうか。自然言語がそのような前提に基づいていることをそのまま認めてしまい、それを採用してしまった点にあります。そして、それを正当化したのがアリストテレスの名辞の論理学の権威だったのです。その論理学の基本は名前の通り、名辞にあります。二つの名辞の間に4通りの文型があり、それらが三段論法を構成する言明になるのです。基本となる名辞は一般名詞であり、概念を指示するのです。概念を孕み、表象するは私たちの精神、心ということになります。
 アリストテレスの論理学の中で彼が開発した三段論法について見てみましょう。アリストテレスは推論が命題によって表され、二つの名辞M、Pが「MはPである」ように結ばれた命題を推論の構成単位であると考えました。そして、推論を構成する基本になる命題を次の4つに分類したのです。

すべてのMはPである 全称肯定型 A
すべてのMはPでない 全称否定型 E
あるMはPである 特称肯定型 I
あるMはPでない 特称否定型 O
*「すべての人間が善人とは限らない」は上の4つの基本型のいずれでしょうか。

アリストテレスは推論の構成単位になる命題を定めた上で、推論は二つの前提から一つの結論を導き出す形が基本であり、それらを組合せることで複雑な推論をつくりだすことができると考えました。二つの前提から一つの結論を導く基本的な推論が三段論法と呼ばれるものです。正しい推論は、したがって、正しい基本的な三段論法がわかれば、それらを組合せることによって、その正しさを証明することができます。これは、推論の内容からではなく、三段論法の正しい組み合わせという形式から、推論が正しいか否かが説明できることを意味しています。
 その中でつい軽んじられてきたのが「個物(individual)」と「関係(relation)」です。「普遍的な知識は特定の個体を含まない」というのはプラトンアリストテレスの伝統のもとでは最もらしく思えます。例えば、「人間」という概念の直観的な理解に比べると優劣や大小の関係の理解は少々戸惑うのが普通です。アリストテレス以来、概念は何となく一項述語(F(x))で表現されるものが代表的で、多項述語(F(x,y,...))で表現される関係的な概念はわかりにくいためか、脇に置き忘れられたままでした。さらに、高階の述語で表現される概念(いわゆる概念の概念)も無視されたままでした。ですから、項の論理学(term logic)は述語の論理学(predicate logic)に変わらなければなりませんでした。
 一般名詞で表現される概念は広い意味での概念のほんの一部なのです。「人間、動物、自動車」などの一般名詞が表す概念は概念の中のほんの僅かに過ぎなく、多項の関係や高階の概念が大部分を占め、それらを論証の中で支障なく使うには変項が不可欠であり、それゆえ個体も概念に劣らず重要なのです。「自然の数学化」を推進した最初の人がガリレオで、科学革命は正にその数学化だった訳です。自然の物語化として神話や叙事詩から自然理解が始まり、物語の一部が論理的な証明へ、表象内容が言語化され、直観的な理解が数学的な理解に変わっていきます。実質的にこの移行を担ったのは自然言語です。アリストテレスギリシャ語の表現を基本に形而上学のシステムを構築することになります。そして、この自然言語の文法規則の背後にあるのが論理規則であり、この抽出が上述の項の論理学になったのです。
 私たちの知識が普遍的であることは、それが概念と概念の正しい組み合わせであるというかつての一般通念はつまるところ名辞の論理学に具体化された自然言語の構造にあったのです。抽象的な概念は自然言語の一般名辞によって表現されるというイメージに疑問が持たれ、自然言語ではない形式言語によって表現されることになるのは19世紀から20世紀にかけてのことでした。

 フッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』では、どのように自然が「数学化」、つまり、世界はすべて数値化できる、といった考えが生まれたか、そしてなぜ諸学問は危機に陥ったのかが説明されています。でも、数値化と数学化は違いますし、尺度や測度が生まれたのは必要だったからに過ぎません。数学化によって危機に陥り、それを救うのは現象学だというのは、進化によって人間には寿命が生じ、それを救うのは医療だというかのように聞こえます。
 フッサールの言明は妙に私たちを魅了します。例えば、「ここでいう危機とは、それぞれの個別科学の理論的、実践的成果を問題にするのではなく、その真理の意味の全体を徹底的にゆるがすような危機なのである。」、「世界がその意味を得るところの『絶対的』理性への信頼、歴史の意味への信頼、人間性への、人間の自由への信頼が崩壊するのである。人間の自由とは、人間の個体としての存在、また普遍的人間としての存在に理性的意味を与えうるという人間の可能性にほかならない。」と言われると、つい頷きたくなります。科学の進歩によって、世界はすべて数学的に説明できるという信念が一般に広がりました。でも、そのことが、学問から意味世界を排除し、学問は絶対的に客観的な世界を説明するものとなってしまったのでしょうか。
 意味の世界を排除するとか、客観的世界があるとか、科学はそれほどきっぱりと主張していた訳ではありません。数学化を可能にした述語論理を既に知っていた筈のフッサールならば、生活世界の常識的な理解がアリストテレスの項論理に基づいていたことも知っていた筈です。本来のガリレオの「自然の数学化」が数値化だけでないとすれば、「自然の述語論理化」を含んでいたと考えるべきでしょう。