すぐ近くにあった柿の木をすっかり見落としていたのですが、その実が大きくなり、既に色づき始めています。
柿は晩秋の季語。正岡子規が法隆寺を訪れた際の句が「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」で、この柿の句が書かれたのが10月26日。柿好きで知られる正岡子規は、他にも「渋柿や落ちて踏まるゝ石の上」など多くの柿の句を残しています。
私が子供の頃の田舎ではどの家にも柿の木があり、今の時期は柿の実はまだ熟していませんでした。柿の実は秋のおやつでしたが、その半分以上の柿の木は渋柿で、色んな形の柿の実があり、食べ方も様々、渋柿もしっかり利用されていました。
既に縄文時代の遺跡から柿の種の化石が発掘されています。奈良時代には日本中に柿が広まり、祭祀に使われ、冬場の糖分の補給源として利用されてきました。当時流通していたのは渋柿で、渋柿を熟柿や干柿にして食べていました。甘柿は鎌倉時代に渋柿の突然変異種として登場し、江戸時代には次々と品種改良がなされました。
今の湾岸地域では柿の木を見つけるのは大変です。ヒメリンゴの木があちこちにあっても、柿の木は古い辰巳団地の数本のみです(画像の柿の木は有明のもの)。