秋の柿

 二日前に柿の実について記しましたが、柿は秋の季語として俳句にもよく登場します。柿が大好きな子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という句はとても有名です。柿を食べていると、折よく法隆寺の鐘の音も聞こえてきた、というのがこの句の情景ということになっていますが、私には句の意味がぼんやりしたままで、不可解でした。柿を食べることと法隆寺の鐘が鳴ることとの間に何の関係があるのか、私には秋の法隆寺風景という以外は分かりませんでした。碧梧桐はこの句について、なぜ「柿食ふて居れば鐘鳴る法隆寺」と言わなかったのかと疑問を呈しました。

 ところが、「柿」は実は漱石のことで、「お前さんから貰った十円の金をここでみな使っちまった」という子規の挨拶の句だというのです。子規と漱石の間の私的な関係を知っていれば、こんな解釈も大いに可能です。子規の代表的な俳句でも、多様な解釈ができてしまい、わかったようで、わからないのが俳句だと妙に納得できる逸話です。

 西野文代の「通称はちんぽこ柿といふさうな」は子供の頃の柿の名称を思い出してしまいます。「ちんぽこ」という呼び方は地域によって微妙に異なります。私の場合は、子供の頃に呼んでいた別の言い方を思い出します。大人たちが使うのを聞き、何か恥ずかしいような、緊張するような気分になったことが今では懐かしく思い出されます。

 今はそれを聞いても、まるで平然としたままというのも、これまた寂しい限りです。