冥顕の世界

(1)「耳なし芳一

 小泉八雲の『怪談』の中の「雪女」が典型的な昔話だとすれば、「耳なし芳一」は歴史的な出来事や文献が背後に控えている物語だと分け、祖父はこの話を神仏習合の一例だと言う。平家一門の怨念、怨霊が琵琶法師芳一の語る「壇の浦」を聞きたいと願う。仏法によって悲劇が起こらないように試みるも、芳一の耳が犠牲になるという話で、神道の祟りや怨霊と、仏教による鎮護が混淆して物語が展開される。

 怨霊と仏法の係わりは古い。長屋王の祟り、怨霊をどう鎮めれば良いか、このままでは我が身が危ないと考えた聖武天皇は、奈良に東大寺と大仏を、各国には国分寺国分尼寺を建てようと考えた。奈良の大仏は「盧舎那仏」。盧舎那(るしゃな)とは「太陽」を意味し、それによって日本中を光で照らし、国分寺国分尼寺によって、国家の繁栄と安泰を願い、長屋王に対する自分たちの罪を浄化する。怨霊による祟りを仏教の力で鎮めること、つまり、これは神道と仏教の習合そのものである。

 日本の琵琶は奈良時代に中国から伝わり、器楽の琵琶楽(雅楽)と声楽の琵琶楽(盲僧琵琶)とがあるが、琵琶法師は宗教の音楽としての盲僧琵琶を担い、話に登場する芳一はそのような琵琶法師だった。『平家物語』は仏教の無常、因果応報、浄土、末法の思想を色濃く含み、鎌倉時代には琵琶の伴奏に合わせて語る平曲が完成する。

 平家の怨霊が自ら「平家物語を語ってくれ」と言い、芳一の弾き語りに涙流しながら熱心に聞くという「耳なし芳一」の話は、『平家物語』よりも後のものだが、鎮魂の方法が具体的に表出している。慈円は『愚管抄』で「この世の乱れはすべて怨霊が原因」と述べ、怨霊信仰の信者だった。怨霊の鎮魂にあたって大きな転換となったのが菅原道真。道真の場合、託宣により北野天満宮が建立され、天満自在天神という神号が付与され、「御霊」になった。

 ところで、『平家物語』はその後の能に大きな影響を及ぼした。演劇としての能の「男」は大概武士を指している。しかも、その武士は平安時代末期に活躍した平家、源氏の武士たち。武士たちの仕事は戦うことで、戦いでは人を殺す。仏教では、人を殺すと、死後修羅の地獄に落とされる。平家や源氏の武士たちも当然、死後は修羅の世界に行き、修羅に苦しむ武士は生前の世界(現世)に救いを求める。その世界から救われる道は、僧侶に自分の生涯や心を語ることである。人に祟り、悪さをする怨霊とは違うのが修羅。修羅能では修羅道に落ちて苦しむさまが語られ、多くは『平家物語』に取材し、源平の武将が主人公となる。修羅の能は仏教的な世界観によってつくられていて、「耳なし芳一」でも芳一に祟り、悪さなどしていない。修羅に苦しむ平氏の人たちは現世の人々に助けを求めこそすれ、彼らに祟ることはなかった。

 こうして、「耳なし芳一」の芳一の災難は神仏習合の不具合の一例だということになるのだが、それが単なる不具合ではなく、本質的な断絶なのかどうかはさらに歴史を見なければわからない。

(2)私の日本の霊魂

 まずは、常識的な言葉遣いから始めよう。「怨霊」は特定の相手に怨みを持ち、その怨みを晴らすためにその相手に災いをもたらす霊。「悪霊」は不特定多数の人に災いをもたらす霊で、怨霊を一部に含んでいる。どちらも災いをもたらす霊で、その働きは同じ。悪魔も悪霊も悪人に似ていて、誰に対してもいつでもどこでも悪である。だが、怨霊は特定の人、特定の状況で悪を働く。善悪の悪の具体例が悪霊、悪魔であり、普通の人が悪い行いをする場合は怨霊になる。

 善霊は生前に殺されたにもかかわらず、復讐を望まない霊で、霊界において高位に位置する霊。よく、善霊と悪霊に分類するときは、人を守護する守護霊や支配霊が関係している。一般的に守護霊は善霊。守護霊は先祖霊が多いとされているが、先祖霊は6割ほどで、恩人や友人であることもある。逆に、人間は悪霊にそそのかされて、道を踏み外す。悪霊は文字通り悪い影響をもたらす霊。人間に宿る悪霊は二種類あるといわれている。一つが人間の霊で、死んで間もない未熟な霊で、いわゆるまだ成仏していない霊。人間にとりつくもう一つの悪霊は動物霊。動物霊は低級霊よりも下のランクに位置し、本能のままに行動し、お金や異性関係などに固執し、物質主義的な悪影響を人に及ぼす。

 こんな常識とも迷信ともつかない霊の話が今でも存在していること自体、人間は何とも不思議な存在だということの証でもあるが、このような霊魂の常識について若い頃の私をゆすぶった日本の文献が幾つかある。

 最初は梅原猛の『隠された十字架』で、「聖徳太子が怨霊である」ことが述べられていて、推理小説のようだったのを憶えている。法隆寺は仏法鎮護のためだけでなく、聖徳太子の怨霊を鎮魂する目的で建てられたという仮説の展開は夏休みの私に暑さを忘れさせてくれた。そこから、慈円の『愚管抄』に見られる怨霊鎮護の御霊信仰や、『平家物語』での仏教的な怨霊鎮護が仏教と神道の習合として浮かび上がってきた。インドの仏教には怨霊は存在しない筈だが、それがこれらのテキストには怨霊がふんだんに登場し、日本の神仏習合の長い歴史が見えてくる。これらのテキストが大きな刺激となって、私が心身問題に興味を持ち、心身の習合や、心と脳の一元論などが私の哲学的な関心の一つになっていく訳だが、日本的な霊魂の中での核心に位置していたのが折口信夫の『死者の書』。折口は1953年に亡くなっているから、1947年生まれの私は直接彼に会ったことはない。だから、私が『死者の書』を読むのは折口が亡くなってからずいぶん経ってからのことである。

 折口は1928年に國學院大学から慶應義塾大学の文学部国文学専攻に移る。その折口の弟子の一人が池田弥三郎で、私はその池田先生の弟子の方々から折口の話を間接的に聞いた程度である。折口は民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空と号した詩人、歌人としても有名。折口の研究は「折口学」と呼ばれ、民俗学では柳田國男の高弟だった。

(3)冥と顕と、知と無知と

 慈円の『愚管抄』や『平家物語』には冥(みょう)と顕(けん)の混淆、習合が表現され、折口信夫の『死者の書』にはそれが遥か昔の物語として語られている。中世人の世界像を考える上で、「冥」と「顕」の世界、すなわち「見えない存在、現象」と「見える存在、現象」の習合の重要性が指摘されてきた。

 私たちは中世までの人たちと違って見える世界にばかりとらわれがちだが、見えない存在(冥衆(みょうしゅ))が重視されるのが中世の世界観の特徴だと言われている。そして、冥顕の世界観を知ることこそが中世思想を知るために重要だと主張されているが…

 こちらから向こうは見えないけれど、向こうからこちらは見ることができ、実際に見られている、という眼差しの非対称性があり、これが中世の世界観を考える鍵となる。慈円の『愚管抄』は冥顕を重視した歴史書だが、人間の眼に見えない「冥衆」の存在が種々に論じられ、その力(冥利・冥罰)が重視されている。人間の眼には見えないけれども、見られており、しかも見られていることを実感しているという被透視感覚がそこにある。

 明るい世界(顕)から暗い世界(冥)は見えないが、暗い世界から明るい世界はよく見える。暗闇は明るい世界を見るには好都合の状況なのである。とはいえ、「見える」と「見えない」の非対称性から、「知る」と「知らない」の非対称性にそのまま直線的に連結することができるのか。確かに、スポーツや楽器の演奏が「できない」ことが「できる」ことの意味を明瞭にするかも知れないが、逆にスポーツや演奏ができない人にはそれが「できる」ことを理解できないことも如実に示している。

 「知る」と「知らない」の対も上記の「できる」と「できない」の対と同じように、混淆や習合ができないもので、水と油のようなものである。冥と顕もそのような対の筈なのだが、なぜか混淆、習合できると人々は考え、それを遥か昔から受け入れてきた。ここに神仏習合だけでなく、日本人の混淆、習合の本質があるのかも知れない。

 この世界観を如実に表す例が既に言及した「雪女」や「耳なし芳一」。壇ノ浦で敗れた平家の人々は怨霊となって芳一の平曲に聞き入る訳だが、俗世に住む僧を含む人たちには彼らが見えない。私たちの世界は向こう側の冥の世界に取り囲まれていて、しかもこちら側からは見えないのに、向こう側からは見られているというのが中世の世界観。日本の神々であれ、仏教の如来や菩薩であれ、さらには死者、怨霊、魑魅魍魎などであれ、彼らが私たちを見ている、これが冥顕という世界観である。

 この世界観を転用するなら、知っている世界を取り囲んで未知の世界が広まっているというのが現代の私たちの知識と世界の関係だと表現できそうである。「既知」と「未知」の関係は冥顕の関係に確かに類似しているが、それを「知」と「無知」の関係にまで広げられるのか。これは私にはまだ謎である。

(4)能の中の冥と顕

 慈円の『愚管抄』で述べられた冥顕観を芸術として具体化したのが世阿弥。神、怨霊、精霊の主人公(シテ)が名所旧跡を訪れる旅人(ワキ)の前に出現し、土地にまつわる伝説や身の上を語るのが「夢幻能」。この演劇スタイルは世阿弥が完成させたものだが、それに対して登場人物全員が生身の人間であるのが「現在能」。能は現在能と夢幻能に大別でき、現在能は「顕」の世界に生きる人々だけが登場し、時間の経過とともに物語が展開する。夢幻能は、顕と「冥(みょう)」の世界が交錯し、過去と現在を往来しながら、冥界の怨霊が人間に自らの魂の救済を求めて舞台が展開する。

 能は前場(まえば)、後場(のちば)と呼ばれる前半と後半からなり、主人公のシテと相手役のワキの掛け合いで進行する。現在能のシテやワキはすべて生きている人間。一方、夢幻能のシテは、最初は人間として登場するが、実は神、亡霊、怨霊、鬼、天狗、龍などで、いずれも冥の世界の存在で、「冥衆」と呼ばれる。ワキは僧侶や武士で、こちらは必ず生きている人間。例えば、前場では旅僧がある土地を訪れ、その土地の人から昔話を聞く。そして、前場の最後に「実は、いま話したのは私の話だ」と言い残して、シテが消え去る。後場では、ワキの夢の中にシテが本来の冥の姿で現れ、過去の出来事を振り返りながら舞を見せ、夢が覚めると同時にその姿を消すという次第である。

 ところで、ワキは今では確かに「脇役」だが、能ができた当時は今の脇役の意味はなく、ワキは体の脇に由来し、「分く」の連用形で、前と後ろに分ける部分という意味である。つまり、ワキは冥と顕の境目であり、能の言葉では間(あわい)である。ワキの多くは生者と死者との境界を旅している。ワキは定住せず、諸国を放浪し、世間の栄華や名声などとは無関係である。ワキは生死の間にいるからこそ、神や怨霊とコンタクトできる。どんな創世神話も「区切る」、「分ける」ことから始まる。『古事記』では、天地(あめつち)が分かれた瞬間から物語が始まる。聖書では、神が光を創造し、昼と夜を分け、そして昼と夜、天と地などを命名し、創造の業を行う。区切る、分けることで何かが生まれる。区切るという意味では、言葉も文字と音とに区別される。文字が誕生したのは紀元前3500年頃、シュメール人が生み出した楔型文字だと言われている。文字の誕生によって、様々なことが激変した。音としての言葉は自分に密着したものだが、文字としての言葉は自分から離れていく。音としての私の言葉は私が死ねばなくなるが、文字で書かれたものは私の「外側」に出て、私が死んでも生き残る。

 能で表現されるのは、冥と顕の世界(つまり、彼岸と此岸)であり、双方をつなぐのが謡、仕舞で、祈りと共通する行為と考えられる。夢幻能の物語は、顕と冥、そして、過去と現在が併存し、混在する。夢幻能は冥と顕をまとめ上げたが、冥界の神や怨霊、物の怪や妖怪の姿を顕界で表現しようとすると、どこか間抜けで、滑稽な姿になる。龍、鬼、化け物の姿をリアルに描くことはそもそも不可能に近く、それをカバーするのが能の面であり、仕舞であり、それらを熟知してまとめ上げた世阿弥である。

(5)鵺(ぬえ)がグロテスクで滑稽にさえ見える理由

 慈円は自らの史書のタイトルを『愚管抄』(愚管=つたない意見、私見の抜粋記録)と卑下しながらも、冥顕の世界観と道理による史的展開を説き、中世思想を生み出したのだが、それが能や歌舞伎によって時間をかけて具体的に表現されて行く。既に冥顕の認識論を略述したが、今回はより具体的に既述の「鵺」に的を絞って、冥界の不自然で、異常に見える対象と顕界の自然で、正常と思われている対象との違いについて考えてみよう。答えを先取りすれば、ゴジラやゾンビは不自然な冥衆で、ジョーズや恐竜は自然な顕衆と言っても構わないのだが、ゴジラやゾンビが「不自然」に見えるのは私たちがそれら冥衆を顕界で見ているからである。

 私たちが知っている三角形を考えよう。三角形はノートや黒板に書けるように、二次元の平面のユークリッド幾何学の対象。ところが、地球のような球面にも三角形を書くことができる。北極を頂点にして、赤道上の二点を決めて、それら三点を結ぶなら、とても大きな図形ができる。それは球面上の三角形に見えるが、内角の和は二つの底角が共に直角(赤道と子午線は直交する)だから、180度を越える。実際、この三角形は各辺が外に膨らんでいて、随分と太っている。球面とは反対に、窪んだ平面上に三角形を書くと、その三角形の各辺は凹んでいて、内角の和は180度に達しない。どちらの三角形も二次元のユークリッド平面ではグロテスクな形をした図形で、誰もそれらの図形を三角形とは言わない。その上、球面上の三角形は内角の和が180度を越えてしまうだけでなく、その球面上で与えられた直線に平行な線を引こうとすると、一本も引けないこともわかる。そもそも球面上に引く直線とはどのような線なのか考えると、平面の直線ではないことがわかる。この球面はユークリッド的でない、つまり、三角形の内角の和が180度を越える非ユークリッド幾何学のモデルの一つなのである。

 ユークリッド平面に非ユークリッド的な図形を描くと、その図形はユークリッド平面では奇妙な形の図形として表現される。ユークリッド平面をもとに考えると、球面上の三角形はグロテスクな図形で、平面の三角形とは異なる図形になる。これと同じようなことが冥界と顕界の事柄や現象にも言えるのではないか。冥界の対象を顕界に置いてみると、その対象は奇妙、滑稽、不思議に見える。

 このように考えてくると、冥顕に関するこれまでの議論への私の不満はある程度解消されると思われる。「ユークリッド的な世界=顕界」と仮定するなら、「非ユークリッド的な世界=冥界」と考えることができ、顕界に住む私たちが見る冥界の神や怨霊は、平面で見える太った三角形と同じように見えるのではないか。なんとも単純なカラクリだが、これは意外に辻褄の合う説明である。

 ユークリッド的な世界でつくられた非ユークリッド的なモデルをユークリッド的な世界で知覚すると、モデル内の対象は歪んでいるように見える。それと同じように、冥界の対象を顕界で見ると、グロテスクで滑稽でもある姿に見える。それなら、冥界の対象を冥界で見ればいいのだが、顕界の私たちにはできない相談である。

(6)『愚管抄』への素朴な疑問

 末法思想を背景に、冥顕論、真俗二諦論、道理を習合させて論述されたのが『愚管抄』だという日本史の解説の主張に疑問をもったことなどなかったが、それらが上手く習合しているかどうかが私の疑問である。つまり、それら三つの習合は無矛盾なのかと問うと、そうとは思えないというのが正直な私の感想で、歴史で習ってきた『愚管抄』の内容の一貫性についての専門的な論評を再検討したくなるのである。

 「道理」は古代中国で「道」と「理」の習合として成立した。物事がそうあるべき筋道、人の行うべき正しい道などが道理である。『荀子』、『韓非子』、『史記』などに登場し、日本でも『続日本紀』に現れている。ヨーロッパの似た概念を探すと、自然法や正義が道理に近い概念だろう。この「道理」の観点から日本歴史を通観し、歴史を支える理念を明らかにしようとしたのが『愚管抄』と説明されている。慈円は歴史における因果関係を「三世因果の道理」、歴史が推移することの必然性を「法爾自然の道理」、この世界が生長衰退することを「劫初劫末の道理」など、「道理」の必然的な展開としてとらえる一方、「道理」自体の変質も「うつりかはる道理」、「つくりかふる道理」という風に表現した。

 『愚管抄』の著者慈円は関白九条兼実の弟で、当時の代表的知識人であり、政治家、僧だった慈円について、次のように言われてきた。個人的には阿弥陀信仰をもっていたが、彼は最澄以来の「真俗二諦」、つまり、仏法と王法を統合する伝統に立って、歴史を貫く理法、すなわち「道理」を明らかにしようとした。真諦は世間的でない絶対的真理を、俗諦は俗世の真理を指す。大乗仏教では「すべてのものには実体がなく、空である」と知ることが真諦、言葉や思想で表現されるものが俗諦、そして真諦を表現するには俗諦に依存する必要があると説いている。『愚管抄』と並び、中世社会をささえる武家の政治理念を「道理」を中心に成文化したのが『御成敗式目』。この式目は武家社会の慣例と「道理」によって法の公平と国制の定立を図ったものである。

 このような常識的な理解について、素朴な疑問を挙げてみよう。

・既述の冥顕の違いを真俗二諦論はどのように説明するのか。冥界は俗諦なのか否か。

・道理は自然法、正義、あるいは史的弁証法のようなものなのか。

末法の世の道理が異なるなら、冥顕の区別も史的に変化するのか

 こんな簡単な疑問についても、すっきりした解答は厄介で、その理由はそれぞれの主張が整合的に習合されていない故だと考えたくなる。その判断の蓋然性は極めて高いと私は思う。というのも、ヨーロッパでの自然法、正義論、聖俗の二重真理説の長い歴史をもつ議論を眺めれば、それらをすべてまとめて習合的に考えることはほぼ不可能と思われるからである。神と仏の習合、神仏と俗物の習合、冥と顕の習合、真諦と俗諦の習合という対が同じような習合ではなく、どれも異なることを考えると、異質なものが混淆しているだけと考えたくなるのは私だけではないだろう。

(7)天狗、鬼、そして、山姥

 能に「鞍馬天狗」、「黒塚」、「山姥」という曲があるが、天狗、鬼、山姥のどれかが一緒に登場するものはありません。だから、三者が互いに戦った場合、いずれが強いのかはよくわからない。冥界の存在が互いにどのような関係をもつかは曖昧そのもので、顕界の人間のような密接な相互関係はなく、それゆえ、互いの人間臭い関係などなく、それが冥界の特徴になっている。顕界にある異種格闘技は冥界にはなく、それゆえ、いずれが強いか、弱いかの判定はできない(「鬼滅の刃」のような作品中では可能)。

 山姥は女性の妖怪で、山に入った女が山姥となったと考えられる。僧侶だけでなく、尼僧も、また、俗人の男女も天狗になる。鬼も性別に無関係なので、いずれの妖怪、怨霊も性差別はないのだが、能の曲を見渡すと、圧倒的に女性の妖怪、怨霊が多く、冥界は圧倒的に女性優位である。また、冥界の存在は次のような立場から解釈されてきた。

・冥界の鬼、天狗、山姥を人間の情念や憤怒、懺悔や悔恨の象徴として心理学的に解釈する。

・冥界の対象を形而上学的な存在として理解する。

・冥界の対象を宗教的な存在として民俗学的に了解する。

・文学的な対象として表現する。

 これらは独立したものではなく、複雑に入り混じっている。具体的には能の曲、『平家物語』のような文学作品や『愚管抄』のような歴史書に登場する冥界の存在、柳田、折口の民俗学の性格、冥顕論、歴史の大義、仏教的世界観、末法思想神仏習合修験道密教等が雑煮のように組み合わされている。そして、それらの結果として、山岳地域に伝説として、天狗、鬼、山姥が存在することになった。

 天狗の飯綱三郎、紅葉狩の鬼、金太郎と山姥はその代表的な伝説である。飯綱三郎は平安時代末期に飯縄山に祀られ、軍神として多くの戦国武将に信仰され、全国に広まった。今でも東京の高尾山薬王院や、千葉県の鹿野山神野寺、飯縄寺、栃木県日光市の日光山輪王寺など、各地で熱心に信仰されている。

 信濃国戸隠に鹿狩りにやってきた平維茂(これもち)の一行が紅葉狩の酒宴に遭遇し、宴に参加した維茂は美女の舞と酒のために不覚にも前後を忘れてしまう。維茂は夢中で、美女に化けた鬼神を討ち果たすべしと告げられ、覚醒した維茂は鬼を退治する。これが能「紅葉狩」の中の鬼である。

 山姥の山廻りの曲舞をうまく演じたことから、百ま山姥と呼ばれ、人気を博していた遊女が善光寺参詣を志し、その途中で、越中・越後の国境にある境川に至り、そこで本物の山姥に会うことになる。異形の姿の山姥は、深山幽谷に日々を送る山姥の境涯を語り、仏法の深遠な哲理を説き、いずこかへ消えた。これが能「山姥」。

 いずれも山岳地域が舞台になっていて、冥界が山にあり、そこに異形の鬼、天狗、山姥が存在していることが文学的に表現されていることがわかる。

(8)私の昔話と伝説

 鬼女、天狗、山姥の伝説は信濃、越後のあちこちに残り、それらは『平家物語』、『愚管抄』などにも見事に表現されていた。能の舞台として戸隠や鬼無里(きなさ)が、神仏が集合した修験道の地として妙高、関山が歴史的に人々に記憶され、鬼や大蛇が人と存分に戦い合う世界が伝えられてきた。いつの間にか、昔話や伝説は私たちのふるさとの象徴であるかのように扱われ、ふるさとを語る必須の材料にされてきた。

 私たちだけでなく、今の歌舞伎役者、能楽師に鬼などの冥界の存在はどのように理解されているのか。伝統芸能は型や形を大切にする。その理由は魂、精神、心を直接に扱うことができず、その外観、外形しか扱えないからである。それは一般の人たちについても同じ。人は直接的に冥界と関われないため、文学的に表現された型に従って理解するのである。嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」、能の「紅葉狩」や「黒塚」だけでなく、冥府魔道の「子連れ狼」等々、冥界と顕界が文学、演劇、絵画によって様々に表現されてきた私の子供時代の情報は、今の子供が怖がり、恐れる「鬼滅の刃」に登場する鬼たちの情報とは共通点を持っていても、微妙に異なっているのです。

 昔話のルーツは大昔にあるのではなく、意外にも新しいと私は考える。私たちが知っている戸隠の鬼女の伝説は恐らく能の「紅葉狩」の後のもの。私の祖先の記録など数代前さえろくにわからないように、伝説や昔話の今の形は意外に新しく、しかも現在の伝統芸能に従って微妙に変化し続けている。昔話は、その意味で、つい最近の昔の話なのだと考えるべきなのである。昔話の名目的な起源ではなく、昔話の内容、その表現のされ方を中心に考えれば、昔話の最新改訂版こそ真面目に考えられるべきである。

 それでも、昔話のルーツを探れば、平安時代後期の世の乱れに必ずや突き当たる。仏教と神道が入り混じり、末法思想が蔓延し、人の持つ心の特徴が鬼や妖怪に集約されて表現されることになった。浄土と冥界は随分違う。穢土と顕界はよく似ている。この差が多くの人に人の心の持つ凄さ、重さを認識させたのだと思われる。

 現在の私たちの冥界への認識は平安末期の人たちとは随分違う。現代の鬼や天狗、山姥や妖怪はいったいどのようなものなのか。私のような老人の鬼と、孫のような若者の鬼の共通点、相違点を列挙してみるのも面白いだろう。

 人には天女だけでなく、鬼が必要。少なくても、私にはそのように思われる。恐れるもの、怖いものがなくなった世界は実はとても退屈な世界。楽しいものばかりの世界は退屈極まりない世界で、嫌いなものがあってこその世界である。冥府魔道を突き進むのが魅力的なのは、鬼滅の刃をもって奮闘することが魅力的なのと基本的に同じである。これは昔話や伝説の中に時代を超えて共通するものなのだろう。

平将門が討たれ、滝夜叉姫が呼び出した骸骨の妖怪

(9)鬼と龍、そして神や仏

 『鬼龍院花子の生涯』の「鬼龍」は姓やシンボルとして今でも意外にポピュラーである。鬼伝説は能の「紅葉狩」から生まれたという乱暴な推測を既に述べたが、鬼より古い化け物が龍である。慈円の『愚管抄』を具体化した世阿弥の「夢幻能」には冥の代表として鬼が多く登場するが、龍の登場は少なく、「春日龍神」が数少ない代表(鎌倉時代の高僧明恵上人が天竺の仏跡参拝を決意し、暇乞いのため春日社に参詣する。春日明神の使いの宮守は春日山が霊山浄土だと引き留め、渡天を思い止まった明恵上人に龍神が釈迦一代を再現してみせるという曲)。

 出雲の国でスサノオノミコトに退治されたのがヤマタノオロチヤマタノオロチの正体は川の氾濫、盗賊の襲来、出雲の国そのものと諸説あるが、実在したものの喩えと考えるならば、斐伊川、出雲の国ではないかと考えられている。九頭龍伝説は日本各地に残る九頭龍(大神)に関する伝説。その一つが戸隠神社で、神社の奥に九頭竜神社がある。九つの頭をもち、龍の尾を持つ鬼がいて、村を襲っていた。村人に頼まれた修行僧はこの鬼を見事に成敗。鬼は岩戸の中に閉じ込められて、やがて改心し、神となる。龍は鬼の一種で、それが神になるという伝説も意外に新しいことがわかる。

 仏教の八大龍王は仏法の守護神として登場する。八大龍王は仏教世界では釈迦の眷属(けんぞく、仏,菩薩につき従う者)として描かれている。八大竜王観音菩薩の守護神となり人々にご利益をもたらす。八大龍王の物語は意外に古く、九頭龍とは関係ない。

 今の私たちには龍より鬼の方が親しみ深いが、その古い理由は能にあることがわかる。世阿弥は夢幻能を確立する際に冥界の対象として龍より鬼を好んだのである。それは彼の芸術的な理由からである。蛇に拘る龍に対して、変幻自在に扱える鬼の方が舞台構成に優れていたからという、とても近代的な理由が考えられるのである。

(10)さらに、子供の世界観と冥界

鬼やドラゴンだけでなく、スーパーマン鉄腕アトムも子供の世界には存在し、それは冥顕の世界以外に、やはり人間によって作り出された別の世界があることを私たちは知っている。だから、童話の世界も同じように、新しいヒーローやヒロインが活躍する場になってもいいと多くの人が考えるのではないか。

その前に、まずは鷗外の「山椒大夫」と未明の「赤い蝋燭と人魚」について、冥顕の世界がどのように扱われているか確認してみる必要がある。二つの作品には6年の違いがあり、鴎外の「山椒大夫」の方が先に作られている。だが、近代的な鷗外作品に対し、未明の作品は中世的な雰囲気が漂っていると多くの人が感じる。

鷗外の「山椒大夫」も未明の「赤い蝋燭と人魚」も青空文庫で簡単に読むことができる。また、二つの童話が冥顕の世界に関わる理由などについては2月24日の「沈黙の小川未明」でも詳しく論じたので、それも参考にしてほしい。