節分に(3)

 鬼は(1)祖霊や地霊、(2)天狗、(3)邪鬼、夜叉、羅刹などに分けられるが、ここにも神仏習合が浸透していて、様々な要素が混淆しているのが日本の鬼。元々は死霊を意味する中国の鬼が6世紀後半に日本に入り、日本に固有の古来の「オニ」と重なり、「鬼」になった。古来の「オニ」は祖霊や地霊であり、「一つ目」の姿をもち、死霊というより民族的な神の姿を彷彿とさせる。また、説話の「人を食う凶暴な鬼」のイメージは平安時代の人々が冥や闇に感じていた恐怖の具体化だった。

 鬼とは顕の世界に侵入する冥界の存在。平安時代から中世にかけての説話に登場する多くの鬼は怨霊の化身や人を食べる怪物。京都の大江山には酒呑童子と呼ばれる鬼の親分が住み、京の町で拉致した若い女性の肉を食べていたという。社会不安の中で頻出する人の死や行方不明は冥界の鬼の仕業と解釈された。鬼は冥界から来訪者し、人を向こう側の世界に拉致する悪魔だった。

 平安時代には経典に鬼が描かれ、人々に大きな影響を与えた。『源氏物語』に登場する鬼は怨霊で、女性の姿で出てくる。能の世界には多様な鬼が登場する。鬼退治の能には「紅葉狩」、「土蜘蛛」、「大江山」などがある。人の情念が鬼となる能には「道成寺」、「葵上」、「安達原/黒塚」などがある。また、「土蜘蛛」や「大江山」は土蜘蛛や酒呑童子という鬼を退治する英雄譚である。「道成寺」や「葵上」では、想い人に裏切られた女性が鬼女になってしまう。「安達原/黒塚」」では、鬼として生きてきた自分への深い後悔と、それを隠したかったのに暴露されてしまう老婆の悲しみが描かれている。

 こうして、冥と顕との習合によって人と鬼とが共存し、交流し合う世界が現出し、それが中世の世界となり、現在までつながっている。とはいえ、今日は鬼を追い払う日である。

 鬼を知りたい人には馬場あき子『鬼の研究』 (三一書房、1971、ちくま文庫)がおすすめである。歌人馬場あき子が「形は鬼なれども、心は人なる鬼」に惹かれて研究したのが本書(馬場あき子は1928(昭和3)年、東京生まれの95歳、日本芸術院会員であり、文化功労者)。鬼は王朝時代の冥界に生きた霊であり、反体制的破壊者とでもいうべき人たちの怨霊だった。死者の霊が幽霊で、その中の怨霊は妖怪であり、その妖怪の典型が鬼。人間的な鬼、土俗的な鬼、仏教的な鬼が混然としたまま共存し、数限りない妖怪譚が生まれたのが平安時代だった。私の好きな彼女の歌に「衰えし 魂ひとつ さすらわん 夕日浄土の ふるさとの山」があり、老人の私にピッタリの歌。

  馬場は鬼が人の別称に過ぎず、人の心情面から「鬼」を捉えようとしている。恐れ、慄き、怒り、怨念、嫉妬、願い、祈り等々の中で、人の負の情念が鬼を生み出した。鬼が生まれたのは平安時代で、「鬼の昔話」は日本人の心の世界で生み出された冥界の物語であり、貴族から武家へと変わる時代の人々の心理世界を描いた物語である。

 鬼の系譜と分類を馬場の研究からまとめてみよう。鬼の歴史は人間の鬼に対する「関心」の歴史と言い換えることができる。例えば、鬼と出会った人々が鬼のことをどのように認識してきたかによって、その性格や姿形が変化してきた。

 馬場はまず、鬼を4種類に分類する。

1 「民俗学上」の鬼。祝福にやってくる祖霊や地霊で、鬼の最古の原像。

2 山人系の人々が道教や仏教をとり入れて修験道を創成し、組織的にも巨大な発達を遂げることで活躍し始めた「山伏系」の鬼(や天狗)。

3 「仏教系」の邪鬼、夜叉、羅刹の出没、地獄卒、牛頭、馬頭鬼。

4 放逐者、賤民、盗賊など「人鬼系」の鬼。この系譜に位置する鬼たちは、それぞれの人生体験を経て自ら鬼となったもので、前記の3系譜の鬼とも微妙なかかわりあいをみせる。

5 「変身譚系」とも名づけられる鬼。怨恨・憤怒・雪辱など、さまざまな契機から鬼へと変貌を遂げたもので、そうした情念をエネルギーに、復讐を遂げるために鬼となることを選んだものたちである。

 妖怪研究の権威である小松和彦も、『鬼と日本人』(2018年)で、「鬼」という語は古代の『日本書紀』や『風土記』から、中世、近世と生き続け、現代人の生活のなかにも登場すると指摘している。鬼の代名詞とされる「酒呑童子」や「茨木童子」も中世に生まれた鬼。芸能や文学のなかの鬼たちも、その多くがこの時代に誕生した。

 しかし、近世に入って社会秩序が安定すると、鬼は両義的な性格を奪われ、邪悪な力の形象とみなされるようになり、悪として制圧され、封じ込められてしまう。小松はまた、日本の鬼は「社会的に存在するもの」と「目に見えない想像上のもの」の2つの系統に区分できると言う。一方に鬼とみなされた人々が存在し、他方には、絵画や文献、演劇の中に登場する人々が想像した鬼たちがいる。この二つの系統は、互いに深い関係を取り結んでいることから、鬼のイメージも、画一化しつつ多様性を備えているはずだった。鎌倉時代に描かれた鬼には、角がない鬼がいたり、牛や馬の形をした鬼がいたり、一見しただけでは鬼とはわからない異形の鬼もいた。それがだんだんと画一化されていき、江戸時代になると筋骨隆々で、頭には角(ツノ)があり、肌の色は赤や青、黒、口から牙がはみ出ていて、虎の皮の褌(ふんどし)をつけた姿が、典型的な鬼のイメージになっていった。