節分に(4)

 荻野慎諧の『古生物学者、妖怪を掘るー鵺の正体、鬼の真実』(2018年)は、地質・古生物学者である著者が古文献を渉猟しながら、妖怪の正体の「科学的」解明を目指した快著。鬼や悪魔といった想像上の生物はともかく、角を持つ実在の動物には、シカやウシ、ヒツジ、サイといった哺乳類、カブトムシやクワガタムシなどの昆虫がいる。絶滅種である恐竜のなかにも、トリケラトプスをはじめ特徴的な角を持つものがいる。荻野によれば、角付きの生物に共通する大きな特徴として、すべてが草食である。シカもヒツジも草食。カブトムシも樹液を吸う草食者。角のある生物に肉食のものはほとんど存在せず、角は保身やオス同士の争いに用いられるだけである。角は積極的に他の生物に襲いかかるために使用されるものではない。それに対し、このルールは架空生物の世界では適用されず、世界各地の神話やおとぎ話にでは、角のある生物が人を襲って食べたり、ほかの生物を困らせたりする。角という記号は神話的、民俗的、かつ通俗的に鬼には欠かせないものになっている。

 鬼が悪役としての「おに」の意味を持つのは、漢字ができてからかなり後で、仏教の考え方が入ってきてからのこと。二月三日の節分の夜、「鬼は外」と煎り豆を打っている。この風習は室町時代の公家の家から起きたとされている。それが公家達の間で広がり、やがては庶民に伝達されたとされ、それほど古い話ではない。

 日本人の大多数は仏教徒で、『般若心経』を知っている。この経典は釈迦の教えのダイジェスト版。「般若」は古代インドの言葉であるサンスクリット語梵語)の「プラジュニャー」やパーリ語の「パンニャー」に由来する仏教用語で、これらの言葉の音に合わせて漢字を当て、「般若」と書くようになった。意味は「仏の智慧」。仏の智慧は修業を積み、その結果として得られる悟りで、能の般若面が暗示する鬼女とは随分違う。

 智慧と知恵は音が一緒だが、意味は異なる。智慧は世の中の真理を知ることを指す言葉で、時代によって変化しない普遍的なもの。一方、知恵は頭が良い、賢い、優れているといった意味を持ち、時代とともに変化する。仏教では、私たちはもともと、仏の智慧を授かって生まれてくるとされている。しかし、生きていく上で生じる煩悩によって、智慧を見失ってしまいがちである。そのため、仏の智慧とは学問のように学ぶものではなく、自分自身の中にあって気づくものとされている。

 『般若心経』はその仏の智慧を説く経典。般若心経は大乗仏教の根本経典とされ、真実や本質を見抜く力によって悟りの境地にいたるための大切な教え。300文字足らずの短い経典だが、大乗仏教の中核となる思想の一つである「空(くう)」の思想が要約されている。空は「から」のことではなく、「実体がない」ことを指す。空の思想とは「無常」、つまり「この世に常なるものはない」と悟ることである。それが「色即是空・空即是色(色は空、空は色である)」という名句で表現されている。