ダリの「記憶の固執」、「記憶の固執の崩壊」:非写実的なものの命名

 「記憶の固執」はダリの作品の中でも最も広く知られている作品の一つ。ぐにゃりとチーズのようにとろけた時計はダリ作品のアイコンにもなっている。だが、この作品は24.1×33㎝というA4の紙ほどの大きさしかない。その小さなキャンバスに、細密にリアルに描かれた不思議な世界で、舞台となっているのはダリ作品に何度も登場する故郷の砂浜。魚なのか胎児なのか判別不能な物体が中央に横たわり、そこに柔らかな時計がのっている。時計の細部や画面左端の懐中時計の蟻などは非常に写実的で、細密に描かれている。ダリはこの柔らかい時計を、妻のガラがカマンベールチーズを食べているのを見て思いついた。
 昨日は「記憶の固執」、「記憶の固執の崩壊」というタイトルに疑義を呈した。だが、描かれているものが抽象的で、心的イメージのようなものである場合、それは世界の「何か」について写実的に描写することではなくなる。対象を忠実に描くことは重要でさえなくなる。それゆえ、抽象絵画と呼ばれるのである。つまり、抽象画は志向的でないのである。世界の「何か」についての絵画でなくなるなら、絵画のタイトルは描かれているものを表現する必要はなくなってくる。極端に言えば、作品名はその作品を他の作品から識別できればそれで十分ということになる。私たちの名前は命名時には志向的でない。誰も赤ん坊がどうなるのか予測できない。ある程度以降の年齢になると、その人の経歴に応じて、その名前が何を指すかが決まってくる。それと似たようなことがダリの絵にも成り立つのである。カンディンスキーモンドリアンの絵の名前は描かれている内容を指示するためにつけられたというより、名札のように他と区別するための命名で、名辞の因果説が主張する通りのものである。それと似たところがダリの「記憶の固執」や「記憶の固執の崩壊」にもある。だが、完全な抽象画ではなく、自らのイメージの寓意的な描写が入っているので、タイトルにはそれが反映されていると考えるのが無難だろう。そこで、ダリの作品制作の特徴を垣間見てみよう。

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モンドリアンコンポジション2 赤、青、黄」(1930)

 ダリは、あるイメージを別のあるイメージに重ね合わせて表現するダブルイメージ手法「偏執狂的批判的方法」の発明者であるとシュルレアリスム運動の中では評価されてきた。代表作品の「記憶の固執」では、時計とカマンベールチーズを重ね合わせて表現している。ダリが発明した偏執狂的批判的方法とは、簡単にはあるイメージが別のイメージにダブって見えるということである。そこで、時計とカマンベールチーズの組み合わせを表現する最も単純な言葉は「時計とカマンベールチーズ」。だが、これをタイトルにしたのでは平凡過ぎて、インパクトなし。そこで、さらに時計とカマンベールチーズの背後を探索すると、「記憶の固執」の要点が二点見えてくる。それらは、「柔らかいものと硬いもの」、「不安と欲望」の二つの表現であり 、後者はダリ自身の性的な不安と欲望の表現である。

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ダリ「記憶の固執」(1931)

 「記憶の固執」の中で描かれている「溶けている時計」は、ダリによれば、キッチンでガラが食べていたカマンベールチーズが溶けていく状態を見て、着想を得たという。その理由は、ダリの哲学や生い立ちを調べることで、ある程度は推測ができる。ダリの芸術哲学の中心には、ダリ自身が何度も主張しているが、「柔らかいもの」と「硬いもの」という両極への執着がある。そうした「硬いもの」と「柔らかいもの」という両極に対する執着が一つの画面に圧縮されたのが「記憶の固執」である。ダリはなぜ、「硬いもの」と「柔らかいもの」に執着していたのか。ダリは子供の頃からずっと女性に対する性的恐怖心をもっていた。このようなトラウマによって、ダリはEDだったらしく、彼の「硬いもの」と「柔らかい」ものへの執着は、ED問題が根底にあると言われている。さらに、「記憶の固執」で気になるのが中央にある白い謎の生物である。この謎の白い生物は、同じ年、1929年に描かれた「大自慰者」であり、大自慰者とはダリ自身の自画像である。この自画像はダリの作品のいたるところに登場する。

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ダリ「大自慰者」(1929)

 「溶けていく」という変化は、ダリにとって「衰える」、「崩壊する」、「柔らかくなる」などネガティブな状態を象徴している。一方、ダリにとって「硬いもの」、「硬くなっていく」という変化は好意的なものでポジティブな状態を象徴している。実際、ダリが好きな食べ物は固定した形のもので、硬いものだった。具体的にはロブスターや貝などの硬い性質をもった甲殻類が好きだった。反対に嫌いなものはホウレンソウなど柔らかいものや無定形なものだった。柔らかいものと硬いものの狭間で感情が激しく揺れ動き、一番自分にぴったりの食べ物と感じたのが、陽光を浴びて溶けていくカマンベール・チーズだった。 左下にあるオレンジ色の時計に蟻がたかっている。ダリには蟻は「腐敗」の象徴。子供の頃、蟻に食べられた昆虫を見て、中身がなくなっていたことにショックを受けたという。また、同時に蟻は大きな性的欲望を表すモチーフでもある。

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ダリ「記憶の固執の崩壊」(1954)

 その後、ダリは「記憶の固執」のリメイク作品「記憶の固執の崩壊」を制作する。オリジナル版との違いは、まず背景の海岸が前作よりも前に寄せており、浸水した状態になっている。主題となる「崩壊」を浸水で表現し、故郷カダケスの風景は浸水状態、つまり崩壊状態にある。中央の白い物体はオリジナルよりも透明なゼラチン状となり、その上方に魚が描かれている。ダリによれば「魚は私の人生を象徴する」と語っている。 オリジナル版にあった左側の平面ブロックはフロートレンガ状の小さな形状に分割された表現に変わる。この細かく分割されたブロックは、当時、ダリが関心をもっていた原子核で、ミクロな量子力学の世界を表現している。さらに、ブロックの背後にある多くの角は原子爆弾を象徴するもので、秩序ある地球の持続を人類が破壊する可能性があることを強調している。柔らかい時計がかけられているオリーブの木も、四つの時計の縁やダイヤルも、いずれもバラバラに分解され、死が迫っている。
 再度、ダリの絵画にとってその絵画のタイトルはどのような役割や意義をもっているのか、まとめておこう。絵画は「何か」を描いている。その何かが外部世界の対象や出来事であれば、絵画は志向的ということになり、この意味では古典的な絵画はみな志向的である。特に、肖像画は志向的であり、そうでなければならない。それに対して、印象派の絵画や抽象絵画は志向的でない絵画である。それゆえ、ダリの絵画も半ば志向的ではなく、とても理念的で直観的という相反するような性質を併せ持っている。作品名は固有名だと割り切れば、人の名前と同じで、名前と人格とが無関係だということになり、従って、作品名と何についての絵画かは無関係ということになる。まず「記憶の固執」、「記憶の固執の崩壊」とダリによって非志向的に命名され、その後人々に鑑賞され話題にされながら、その名前がどのような意義をもつかが次第に定着していった。私のタイトルの翻訳への疑義も二つの名前に付けくわえられて、その意味を僅かでも変えていくなら、大いに結構なことだが、無視されること間違いなしだろう。