ふるさとの小児往生

 死後に極楽往生するには、一心に仏を想い、念仏の行をあげる以外に方法はないと説き、浄土教の基礎をつくったのが源信の『往生要集』。源信が考える念仏には観想するための仏と、救済するための仏が併存したままだった。それが止揚され、総合された結果として、浄土宗、浄土真宗が生まれることになった。

 夢の世に あだにはかなき 身を知れと 教えて還る 子は知識なり

とどまることない無常の道理を教えてくれたのが自分の娘の死であったと気づき、和泉式部が詠んだのが上の和歌。この知識は善知識と呼ばれ、正しい道理を教える人のことであり、仏道に入らせる縁を結ばせる人、ともに仏道に励む人のことでもある。この和歌は、実際には後世に親鸞を称えるために創作されたらしいのだが、生命のはかなさを娘の小式部が自らの死によって和泉式部に教えてくれたという意味である。この和歌の真意は、子の夭折の意味を自分で探す大切さであり、その先に信心の確立がある、ということ。親は子に導かれ自ら信心に出会い、救済を得ることになるのである。
 浄土真宗には子供の死を親がどのように受けとめるかを「小児往生」という枠組みの中で議論してきた歴史がある。そして、その帰結となれば、上記の和泉式部の和歌の真意とほぼ同じである。肝心の小児往生の議論は近世の教団確立期に教義解釈と現場の実践的意義の狭間で大きく揺れ動いた。まだ信心を得ていない小児に往生が可能なのか、不可能なら弥陀の本願に背くのではないかという疑問は、「異安心(いあんじん)」問題として何度も議論されてきた(異安心とは異端のこと)。
 この問題が大論争となった舞台の一つが越後。越後と北信濃触頭寺院(ふれがしらじいん)として絶大な教勢を誇っていた新井の願生寺(大谷派)と親鸞聖人の居多ケ浜上陸以来のゆかりの有力寺院だった高田の浄興寺との間に教義論争が巻き起こったのだ。新井願生寺方対高田浄興寺方に二分されて、多くの末寺門徒と本山東本願寺を巻き込んだ大論争が起き、その裁定に寺社奉行までが乗り出す始末となった。論争は「小児(15 歳以下の者)は往生して仏になれるか、なれないか」という問題についてだった。この問題を巡って「小児は往生できる」という浄興寺方と、「小児は往生できない」という願生寺方との主張が真っ向から対立した。論争は願生寺方が敗れて終わった。その結果、願生寺は取り潰され、新井別院へと姿を変え、浄興寺は自らの地位を守り、今でも浄土真宗の有力寺院として存続している。現在の浄興寺と新井別院の間にかつての争いのしこりは感じられず、共に上越市妙高市を代表する浄土真宗の大寺院であることに変わりはない。
 阿弥陀仏の「本願」というのは、阿弥陀仏の本当の願いのことであり、私たち一人一人を間違いなく救おうとしている、深く大きな願いのことである。そのような広大な願いが、私がこの世間に生まれてくる以前から、すでに私に差し向けられ、私のために用意されているとされる(そこには大人も子供も違いはない筈だが…)。釈迦がたまたまこの世間に生まれ、たまたま仏になり、人びとに教えを説いた、ということではない。この世間に現れたのは、ただこの私を救ってやりたいという阿弥陀仏の本願が、私に差し向けられている、その事実を私に教えようとしているためである、と考えられている。小児は弥陀の本願を知る由もないのだが、それでも阿弥陀仏はその小児を救うために存在するという状況をどれだけ重視するかで意見の分かれることになったのである。小児の信仰を小児の意思に基づいて考える願生寺側と、小児の信仰を阿弥陀仏の本願をもとに考える浄興寺側とで、小児往生が可能か否かの答えが異なることになる。

 では、キリスト教での小児往生はどうなのか。子供は「無邪気」で、何ら罪はないというのは間違いで、大人だけでなく新生児や子供も神の前に等しく有罪である。アダムとイヴから受け継がれた原罪を、子供はその両親から受け継いでいる。例えば、詩篇51篇でダビデは「ああ、私は咎あるものとして生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました」と述べている。新生児はアダムの原罪の結果だから、アダムの罪の影響を免れることができないのである。
 子供も大人も神の前に有罪で、神の聖さを侵害したのだから、その人がキリストへの信仰によって赦しを受けること以外に道はない。では、赦しを受けるという個人的な選択をする能力のない子供たちはどうなるのか。責任をとれる年齢に至らなかった子供たちは、神の恵みと憐みによって自動的に救われるというのが、その答え。こうして、キリストに従うか反するかを決めることができる前に死んだすべての人が救われる(では、私のようにキリストを知らないまま大人になった者も救われるのか)。
 結果だけ見るなら、カトリックと浄興寺は似た立場で、小児は往生できる。だが、宗教改革後のプロテスタントの一般的な立場は小児洗礼を認めないものであり、信仰が自覚的な判断を求めることを強調している。それゆえ、信仰と往生の関係は一筋縄ではいかないことがよくわかる。

 このように仏教とキリスト教を比較するなら、過去の正統と異端、他力と自力、自由意思の有無、安心と異安心などが浮かび上がり、歴史そのものが迫ってくる。ここで私が確認しておきたいのは宗教論議の根底にある土台の危うさである。上のメモの例が示す他のどの場合とも同じ点は、いずれも「解釈」だということである。それも事実や出来事、現象の解釈ではなく、何かの主張、意見についての解釈なのである。だから、小児往生の是非について、それは多数派、少数派の違いに過ぎないという解釈も可能で、注釈によく似た行為なのである。「信じる」という行為の中に咲いたあだ花のようなものがこの種の論議で、そのためかとても人間的なのである。
 科学では理論の解釈より理論の真偽が重要で、理論が何を主張しているかの確認のためだけに解釈が求められる。それが、(真だと決められた)憲法では真偽より解釈が圧倒的に重要になる(科学と法律での大きな違いが使われている言語)。宗教でも真偽の問題は(信仰によって、真に決まっているので)最初からなく、解釈だけが問題になるのである(上のメモもその解釈の問題)。ところが、解釈は(歴史の中で)状況次第で変わるから、憲法や信仰は変わらなくても、それらの解釈とその真偽はローカルな真偽として変わり続けるのである。