昨日の散歩では小さなチョウたちがたくさん花に群がっていて、嬉しいだけでなく、その数に驚きさえ覚えたのである。10月末の湾岸地域はコスモス、セイタカアワダチソウなどが元気に咲き乱れ、確かにチョウにとって蜜源が豊富な季節である。また、温暖化によってチョウたちの生息域が北上し、ツマグロヒョウモンなどの南方系のチョウが近年では関東や東北でも確認されるようになっている。
陽の中で 花に集まる 秋の蝶
陽が差して 小春日近く 蝶が舞う
*画像は順にキチョウ、ウラナミシジミ、モンシロチョウ



昨日の散歩では小さなチョウたちがたくさん花に群がっていて、嬉しいだけでなく、その数に驚きさえ覚えたのである。10月末の湾岸地域はコスモス、セイタカアワダチソウなどが元気に咲き乱れ、確かにチョウにとって蜜源が豊富な季節である。また、温暖化によってチョウたちの生息域が北上し、ツマグロヒョウモンなどの南方系のチョウが近年では関東や東北でも確認されるようになっている。
陽の中で 花に集まる 秋の蝶
陽が差して 小春日近く 蝶が舞う
*画像は順にキチョウ、ウラナミシジミ、モンシロチョウ



「秋桜」と書いて「コスモス」と読むのは、「百日紅」と書いて「サルスベリ」と読むのによく似ている。1977(昭和52)年に山口百恵が歌った「秋桜」という歌謡曲が大ヒットしたが、さだまさしは曲のタイトル「秋桜」を「コスモス」と読ませた。コスモスは確かに秋の花である。コスモスの別名が「アキザクラ」、「オオハルシャギク」で、「キバナコスモス」は別の種である。両種とも1年草で、原産地は同じメキシコ。コスモスの日本への渡来は1896(明治29)年で、花の色は白色、淡紅色、深紅色などだった。
キバナコスモスは大正初期に渡来し、花の色は黄色や橙色だったが、より濃色の赤色系品種が発表され、市販されている。花期は比較的長く、6月から11月にかけて直径3〜5cm程度の黄色やオレンジの花を咲かせる。濃い黄色の花はコスモスとは違った印象を与えるが、最近は赤色の花もでて、「黄花」とは呼びにくくなっている。
コスモス、ダリアはメキシコから日本にやってきた。私の故郷の近くの黒姫高原にはダリア園とコスモス園があり、美しい花姿を存分に楽しめるのだが、故郷の妙高にはなく、ずっと物足りない思いをしてきた。
秋に咲く桜に似た花、つまり、秋の桜という意味で、「秋桜」と名付けられたと言われているのがコスモス。コスモスの花弁の形が桜に似ているので、「秋桜」となったらしいのだが、どこがどのように似ているのか、私にはよくわからない。さらに、それを「コスモス」と読むようになったのだが、それは戦後のカタカナ語(英語の単語をカタカナ読みしたもの)の一つ。「秋桜」はコスモスの別名で、本来「あきざくら」と読むべきところを、戦後の流行で「コスモス」とカタカナ語で読んだに過ぎないと言われると、興醒めである。
これに似ているのが、「秋桜」より2年前の1975(昭和50)年にヒットした「シクラメンのかほり」。シクラメンの和名には牧野富太郎命名の「かがりびばな」、大久保三郎命名の「ぶたのまんじゅう」があるが、どれもこのヒット曲のタイトルにはまるで馴染まない。その上、当時のシクラメンには香りがなく、「かほり」が「かをり」へ、さらに「かおり」へと表記が変化してきた歴史を考えると、このタイトルは何とも落ち着かない。シクラメンの学名はCyclamen persicumで、「ペルシャのシクラメン」という意味だが、米語だとsáikləmən(サァィクラァマァン)で、間が抜ける。
こんな文句を並べても詮無きことだが、これが文化史の常態。ついでに、もう一つ疑問を述べておきたい。それが「秋桜子」という俳号の由来。「秋桜」も「コスモス」も秋の季語になっているが、「秋桜」で思い出すのは水原秋桜子(1892-1981)で、私の祖父と同年配である。彼は「俳句を論ずるに当たつて、まづ第一に明らかにして置くべきことは、「俳句は抒情詩である」といふことであります。」(『俳句の本質』(交蘭社、1937年)と述べ、子規が主張した写生ではなく、抒情的な俳句を提唱した。彼の「コスモスを離れし蝶に谿(たに)深し」は、コスモスの花の中にいた蝶が、そこから舞い上がり、深い谷の上に出たという情景を詠んだものだが、彼の主張がよく出ている。「⃝子」という俳号は子規の流れをくむ人であることを表している。子規の後継者で、水原秋桜子と対立することになる高浜虚子は1891年に子規から「虚子」の号を受けている。コスモスは1906年には一般に知られていたことから、1892年生まれの秋桜子が成人した頃にはコスモスを「秋桜」と呼んで、知っていた筈である。
*4枚目の画像のチョウはヒメアカタテハ、5枚目はレッドイル―ジョン、最後はイエローキャンパス




(ヒメアカタテハ)

(レッドイル―ジョン)

(イエローキャンパス)
朝に白く咲き、午後にはピンクに染まるのが酔芙蓉。その中でも、白とピンクが同時に混在する花が「獅子頭」と呼ばれます。獅子頭の特徴は通常の酔芙蓉が時間とともに白、淡ピンク、濃ピンクへと変化するだけでなく、一輪の中に白とピンクが同時に現れるのです。その色合いや花の重なりが、獅子舞の獅子頭のように見えることが名前の由来です。獅子頭は白とピンクが同時に混在する状態の酔芙蓉を指す愛称で、通常の色変化の途中で、花びらの一部が白く、他の部分がピンクに染まるような、複雑な色合いを呈する酔芙蓉を指しています。
今年の夏の間に私が見ていた酔芙蓉の花はどれも朝は白く、午後にピンク色に変わり、白とピンクの混在は観察できませんでした。ところが10月中旬を過ぎると、午後に白とピンクの花の混在が目立ち出しました。最初は白い花とピンクの花の混在だったのですが、下旬になると、一つの花に白とピンクの花弁が混在するもの、つまり、獅子頭が登場してきました。一つの白花と一つのピンク花の混在、一つの花の中の白い花弁とピンクの花弁の混在がみられる画像がありますので、確認してみて下さい。それぞれの花色の発現の条件と詳しいメカニズムを知りたいと思わなくもないのですが、まずは花色変化の妙を自らの眼で知り、味わえたことに驚きを感じています。





ゴードニア・ラシアンサス(Gordonia lasianthus)の葉は光沢のある濃緑色の長円形で、わずかに鋸歯があり、10月から2月頃まで白い花を咲かせます(画像)。ゴードニア・ラシアンサスの花はナツツバキ(シャラの木)の花に似ているので、「ジョウリョクシャラ(常緑沙羅)」が別名。また、「台湾椿」とも呼ばれています。
有楽町駅辺りから三菱1号館美術館までの歩道に植えられているのがこのゴードニア・ラシアンサスで、まだ花が咲いていませんが、台場では花が見られます(画像)。ツバキ科ゴードニア属のゴードニア・ラシアンサスは北アメリカ原産の常緑高木で、ツバキのような白い花が次から次へと一日交替で咲きます。
同じツバキ科の常緑樹サザンカは私の住む江東区の花です。そのためか、街路樹や生垣にサザンカが多く使われています。サザンカの花と言えば、童謡の「たきび」の歌詞が反射的に口をつきます。子供の頃は当たり前だった焚火が、今はすっかり見られなくなりました。それでも、サザンカの花も直に咲き出すでしょう。


トキワヤマボウシはヤマボウシと同じミズキ科ミズキ属の果樹。ヤマボウシは落葉樹ですが、「常緑山法師」と書かれるように常緑樹。また、トキワヤマボウシは中国原産だが、普通のヤマボウシは日本原産。トキワヤマボウシの葉は常緑、濃い緑色で、光沢があり、冬期には赤褐色を帯びます。果実はヤマボウシの実に似ているが、大きく目立つ。
秋になると、ヤマボウシの緑色の実が黄色味を帯びた赤色となり、膨らんでくる。外皮は硬く、特徴的なイボイボがついていて、完熟すると地面に落下する。ヤマボウシの実は甘く、甘いものに目がない熊の大好物。
ヤマボウシの実を生食できるのは、触るとわらかい感じがしたときで、実が完熟して、落ちた直後の実が食べ頃になる。ヤマボウシの実の一番「おいしい」食べ方はジャム。
*画像のヤマボウシはサマーフレアーと呼ばれるトキワヤマボウシの園芸種



鳥のホトトギスはカッコウ科で、「杜鵑、杜宇、蜀魂、不如帰、時鳥、子規、田鵑」などと、漢字表記のとても多い鳥。ホトトギスは甲高い声で鋭く鳴き、口の中が赤く、「鳴いて血を吐く」と言われる。正岡子規は結核を患い、喀血した自分をホトトギスに重ね、ホトトギスの漢字表記の一つ「子規」を俳号とした。彼が創刊した俳句雑誌『ホトトギス』もその俳号に因んだもの。
さて、ホトトギス属の植物は19種知られており、いずれも東アジアに生育。日本には12種が分布。この分布の仕方から、日本はホトトギス属の分化の中心地。ホトトギスはユリ科の植物で、園芸種としても人気があり、白〜紫の花弁に濃い紫の小さい斑点がつく。ホトトギスの開花時期は8月〜10月。
「ホトトギス」の名前は花びらにある紫色の斑紋が鳥のホトトギスの胸の斑紋と似ていることから付けられた。鳥のホトトギスは横縞模様だが、野草の斑紋には横縞模様から大小の斑点まで様々ある。シロバナホトトギス(あるいはシロホトトギス)は「白楽天」という園芸名がついている。雄しべの葯がピンク、白、黄色などがある。植物のホトトギスは杜鵑草、時鳥草、油点草などと書かれる。
さて、今一度俳句に戻ろう。江戸時代の俳人山口素堂の俳句に「目に(は)青葉 山ほととぎす 初鰹」がある。青葉の頃の「ホトトギス」は鳥で、夏の季語。ところが、紅葉の頃の「ホトトギス」は植物で、秋の季語。何とも紛らわしい。


