金子みすゞの詩をめぐって

 ヨーロッパの近代的な倫理思想を背景に置いて書き直された「山椒大夫」と冥顕思想が背後に伏在する人魚伝説に基づく「赤い蝋燭と人魚」との違いを述べてきましたが、もう一つ、それらとは別の背景、状況をもつ童話、童謡について考えてみましょう。それが金子みすゞの詩です。

 金子みすゞは1903(明治36)年山口県大津郡仙崎村(現長門市仙崎)に生まれました。大正後期に童謡詩人と呼ばれ、どの作品からも優しさに貫かれた「一視同仁」の独特の宇宙観、世界観が滲み出ています。みすゞは23歳で結婚し、娘を授かりますが、4年で離婚。彼女は親権を要求しますが、受け入れられず、そのため、1ヶ月後に娘を自分の母に託すことを求めた遺書を残し、服毒自殺します。とても短い一生でしたが、その詩は恐ろしい程に哲学的な優しさ、美しさに満たされています。

(矢崎 節夫、『みすゞコスモス―わが内なる宇宙』1996、『みすゞコスモス〈2〉―いのちこだます宇宙』2001、JULA出版局)

 まずは、金子みすゞの作品を読んでみて下さい。

 

「星とたんぽぽ」

青いお空の底ふかく、

海の小石のそのように、

夜がくるまで沈んでる、

昼のお星は眼にみえぬ。

  見えぬけれどもあるんだよ、

  見えぬものでもあるんだよ。

 

散ってすがれたたんぽぽの、

瓦のすきに、だァまって、

春のくるまでかくれてる、

つよいその根は眼にみえぬ。

  見えぬけれどもあるんだよ、

  見えぬものでもあるんだよ。

 

 この詩に驚く人が多い筈です。みすゞ独特の驚きは萩原朔太郎宮沢賢治の詩の持つ驚きとも、北原白秋西條八十の童謡の驚きともまるで違っています。

「夕焼け小焼け」の「小焼け」は何を意味しているのでしょうか。こんなつまらない問いから始まった話は、科学的な「小焼け」のもっともらしい説明を的外れにする「朝焼け小焼け」の表現によって言語レベルの説明に頼ることになりました。その「朝焼け小焼け」は金子みすゞの詩「大漁」に出てきます。

 

大漁

朝焼小焼だ

大漁だ

大羽鰮の

大漁だ。

 

浜はまつりの

ようだけど

海のなかでは

何万の

鰮のとむらい

するだろう。

 

 金子みすゞの詩は多くの日本人の共感を得てきました。彼女が世界を見る複眼的な手法は感覚と思考が混じり合った独特の誌的世界観を生み出しています。彼女の詩への人々のシンパシーは『万葉集』、『古今和歌集』などの和歌の場合にはまず存在しないものです。芭蕉や一茶、子規などの俳句について今の私たちがもつシンパシーの多くは金子の上記の詩へのシンパシーとよく似た面を持っています。私にはこのシンパシーの有無、範囲、質などがとても気になるのです。日本語を母語としない人たちはこのようなシンパシーをそもそも持てるのでしょうか。和歌や俳句の外国語訳がありますが、訳によってその内容はある程度伝わるのでしょうが、シンパシーは果たして伝わるのか、その辺の事情、知識、そして感性も十分に持っていた漱石の答えを是非知りたくなります。

 俳句や詩はシンパシーを持たれることによって人々に好まれたり、嫌われたりするのですが、人々のもつシンパシーの力はどのように生まれるのでしょうか。恐らく、同じような体験に基づくものを核にして、共通の知識、感覚を活用した共通の記憶によって生まれる感覚的、感情的な共通意識なのではないでしょうか。大袈裟に言えば、民族、一族、家族などの共通生活体験が基礎になって生まれる共通経験の意識的で感情的な側面がシンパシーだと思われます。

 俳句や和歌を重ね合わせたような金子の詩は、表現対象に対する複数の視点、感情が詩の中に連句のように並列されていて、その複眼的表現が私たちのシンパシーを獲得しています。風景へのシンパシー、言葉から生み出される風景と言語表現に対するシンパシー、知覚のシンパシーなど、いわゆる認識の風景を複数同時に感じ取ることができるのが金子の詩の特徴で、自然の風景と変化の直観(芭蕉)、人と自然への共感(一茶)が両方登場していて、彼女の詩へのシンパシーは「共観(共通直観)」と呼んだ方が適切なのかも知れません。

 

(1)「なぜ、どうして」と問われ続けたら、子供たちにどう答えたらいいのか?

 昔から童謡の歌詞には意味が明瞭でなかったり、謎めいていたりして、それが逆に童謡がもつ特異な世界を醸成してきました。とても古く、意図が明瞭な例が「いろは歌」です。

 

いろは歌

 いろはにほへと ちりぬるを(色は匂へど散りぬるを)

 わかよたれそ つねならむ(我が世誰そ 常ならぬ)

 うゐのおくやま けふこえて(有為の奥山 今日超えて)

 あさきゆめみし ゑひもせす(浅き夢見じ 酔ひもせず)

 

 平安時代に起源を持つ「いろは歌」は仏教の根本にある諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽の四つを表しています。この世は無常で、生滅の法則に支配され、生と死のない涅槃の境地に至ることによって真の大楽が得られるというのが「いろは歌」です。

 次の例は「通りゃんせ」で、この歌は母と門番の掛け合いになっています。

 

門番 とおりゃんせ とおりゃんせ(通りなさい、通りなさい)

母 ここはどこの ほそみちじゃ(この細い道はどこに行く道でしょうか)

門番 てんじんさまの ほそみちじゃ(天神様が奉られている神社へいく細い道です)

母 ちょっと とおしてくだしゃんせ(ちょっと通して下さいな)

門番 ごようのないもの とおしゃせぬ(用のない人は お通しすることは出来ません)

母 このこのななつの おいわいに おふだをおさめに まいります(この子の7歳のお祝いにお札を納めに行ってくるのです)

門番 いきはよいよい かえりはこわい(行くのは簡単だが、帰り道は暗く危ない)

母 こわいながらも(危なくてもいいのです)

門番 とおりゃんせ とおりゃんせ(通りなさい 通りなさい)

 

 七五三の7歳になった報告として神社にお参りに行くのであれば、夕暮れでなく、日を改めればよい訳です。門番を説得している様子から、どうしても今行かなくてはという覚悟が感じられます。時代背景と子供を神社に置いてくることを考えると、神様への生贄だったことが推測できます。

 童謡の背景にある神話や宗教を知ることによって説明される場合が上記の二つの例ですが、その他に子供の心理から童謡内容が説明される場合もあります。未明の多くの童話はこのように文脈が説明できます。でも、それ以外の場合となると、とても厄介で、その代表例が金子みすゞの詩です。私には子供の「なぜ、どうして」の問いに答える自信がなくなるのです。

 先入見なしに次の二つの童謡を見比べて下さい。

西條八十「かなりや」

唄を忘れた金絲雀(かなりや)は

うしろの山に棄てましょか。

いえ、いえ、それはなりませぬ。

唄を忘れた金絲雀は

背戸の小藪に埋めましょか。

いえ、いえ、それもなりませぬ。

 

唄を忘れた金絲雀は

柳の鞭でぶちましょか。

いえ、いえ、それはかはいそう。

唄を忘れた金絲雀は

象牙の船に、銀の櫂

月夜の海に浮べれば

忘れた歌を想ひだす。

 

 多くの人は白雪姫やピーターパンを連想しながら、この童謡を読み、唄うのではないでしょうか。背後にある不気味さは微妙に抑えられ、子供世界の危うさが垣間見えるのですが、私たちが直接に問題を突きつけないような配慮がなされています。そのような大人の配慮がまるでないのが次の童謡です。

 

北原白秋「金魚」

母さん、母さん、どこへ行た。

紅い金魚と遊びませう。

母さん、歸らぬ、さびしいな。

金魚を一匹突き殺す。

まだまだ、歸らぬ、悔しいな。

金魚を二匹締め殺す。

なぜなぜ歸らぬ、ひもじいな。

金魚を三匹捻ぢ殺す。

涙がこぼれる、日が暮れる。

紅い金魚も死ぬ死ぬ。

母さん、怖いよ、眼が光る。

ピカピカ、金魚の眼が光る。

 

 白秋の「金魚」は強烈です。子供の本性が直接に表現され、多くの大人には残酷で無慈悲な内容です。でも、反倫理的にみえる子供の行為は無垢のもので、人の本能を素直に表現したものになっているのです。でも、子供の心理については今でも多くの推測が入り混じり、白秋の子供観が強く出ているのも確かです。小学校の音楽の時間に歌うには不適切と考える大人がほとんどでしょう。

 八十、白秋の上記の童謡は子供の心理が大人と違うことから説明、解釈されるのですが、次の金子みすゞの詩はそう簡単にはいかず、子供の「なぜ、どうして」の問いにとても答えにくいものです。

 

金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」:一視同仁

 妙高市小出雲の賀茂神社の石碑は「賀茂神社」と「一視同仁(いっしどうじん)」です。「一視同仁」は「視を一にし仁を同じくす」と読み、「一視」は平等に見ること、「同仁」はすべてに仁愛を施すことです。一視同仁は依怙贔屓(えこひいき)の反意語で、ほぼ公平無私という意味で、すべての人を分け隔てなく、平等に愛することです。

 「一視同仁」は中唐の文人政治家韓愈(かんゆ、768-824)の『原人(人の本質を原(たず)ねる)』の中に出てきます。韓愈は古文復興運動を勧め、儒教の復興を目指し、古文復興運動を提唱しました。「原人」、つまり人の本性を探ることによって「一視同仁」の主張となるのですが、人の本性は同じどころか多様性に満ちています。人の本性(Human Nature)は依怙贔屓の塊、好き嫌いの塊であり、個人差に溢れています。しかし、その違いを乗り越え、「一視同仁」の扱いをすることは民主主義のスローガンにさえなってきました。人には差異があり、それが個人差として、個性として、社会的に認められてきたのに対し、人の権利として自由で平等でなければならないと叫ばれたのです。ここで改めて私が述べる必要もないことですが、「異なる個性、形質をもつ人たちを一視同仁の立場から捉える」ことは実はとても厄介で、困難なことです。でも、人はその途方もない願いを目標にして、今でもその夢を飽くことなく追い続けています。

 個性、多様性、相対性を認めながら、自由平等を訴えることが一視同仁の主張であったとすれば、金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」の「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」も同根の主張と言えるでしょう。「ちがっていても、みんないい」と言えるにはちょっとした仏教的な悟りが必要かもしれません。

「私と小鳥と鈴と」

 私が両手をひろげても、

 お空はちっとも飛べないが

 飛べる小鳥は私のやうに、

 地面を速くは走れない。

 私がからだをゆすっても、

 きれいな音は出ないけど、

 あの鳴る鈴は私のやうに

 たくさんな唄は知らないよ。

 鈴と、小鳥と、それから私、

 みんなちがって、みんないい。

 

 さらに、金子みすゞの作品を二つ挙げます。

「星とたんぽぽ」

 青いお空の底ふかく、

 海の小石のそのように、

 夜がくるまで沈んでる、

 昼のお星は眼にみえぬ。

  見えぬけれどもあるんだよ、

  見えぬものでもあるんだよ。

 

 散ってすがれたたんぽぽの、

 瓦のすきに、だァまって、

 春のくるまでかくれてる、

 つよいその根は眼にみえぬ。

  見えぬけれどもあるんだよ、

  見えぬものでもあるんだよ。

 

「雀のかあさん」

 子供が

 子雀

 つかまへた。

 

 その子の

 かあさん

 笑つてた。

 

 雀の

 かあさん

 それみてた。

 

 お屋根で

 鳴かずに

 それ見てた。

 

 「雀のかあさんが何を見て、何を感じたか、なぜ見ているだけだったのか」と子供たちに問われると、私は答えに窮してしまうのです。童謡の背景にある神話や宗教、子供たちの心理からでは説明できない「一視同仁」の思想が通奏低音として響いているのですが、具体的に答えるにはまるで不十分なのです。

 

(2)「なぜ、どうして」への私とは違うA君の解答

 西條八十は童謡や御伽噺の古今東西の常套手段を巧みに用いて、大人が考える子供世界を十分に描写しながら、彼独自の童謡世界をつくり出しています。ただ、その世界は極めて優等生的な世界で、模範的な少年少女の世界になっていて、それは閉口だと言うのがA君の実感。既に子供ではなく、でも大人にはまだなっていないA君には大人による子供世界の解釈がしっくりこないのです。

 北原白秋の詩は強烈で、子供の世界は狂気の世界であり、分別とは何かが反面教師の如くに炙り出されている、と言うのがA君の最初の直感です。この詩を児童心理の文学的表現などと解釈したのではわからない子供の魔性が、飾ることなく直接的に表現されている、というのがA君の「金魚」への評価で、そこに白秋の正直さをA君は感じています。

 A君は金子みすゞに対しては点数が辛く、彼女のどの詩も大人の世界の不条理を子供に託して詠ったもので、詩の中で人間の問題を表現し、巧みに気付かせてくれているのですが、解決の糸口はどこにも与えられていないと思うのです。問題の指摘は実に見事なのですが、そして、そのために子供の感性が職人技のように使われているのですが、白秋の詩が訴えている子供の本性さえどこにも登場しないのです。そこにあるのは子供の言葉を巧みに駆使した冷静な大人の問題意識で、問題を提起してくれるのですが、解決の糸口、ヒントは与えられていないのです。素直にカナリアをどうするか提案している八十の「カナリア」の方がずっと正直なのではないか、それがA君の素直な気持ちなのです。

 でも、A君は金子の冷徹な眼識も嫌いではなく、世俗の世界のもつ冷たいずる賢さに立ち向かっている姿には感動しかないのです。金子はとても寂しい問題提起者、独りぼっちの抵抗者であるというのがA君の素直な人物評です。

 八十も金子も既存の知識に対しては反抗的ではなく、常識への対抗は見られないが、白秋の「金魚」は子供の世界や子供の地位に対する独立宣言のようなもので、それを児童心理による凡庸な解釈に貶めたのでは、この詩の誤った解釈どころか、白秋を冒涜するものだというのがA君の少々生意気な考えなのです。

 これらの点から、A君にとって秀逸なのは白秋で、八十は誠実に子供世界を大人の目で描いているが、金子は子供を通して大人の問題提起をしていると思われたのです。むろん、A君も三人がそれぞれ異なる文学的なセンスを持ち、それを見事に表現している点で比較はできても、順位はつけるべきではないと思っています。

だから、「なぜ、どうして」への答えはA君自身がそれぞれの問いに応じて答えていかなければならない、というのがA君流の解答です。

 

(3)「赤とんぼ」と、夕焼けと夏の赤とんぼ

 「イトトンボ」と「ナツアカネ(夏茜)」は夏の季語、「アキアカネ(秋茜)」は秋(三秋)の季語、「桑の実」は夏(仲夏)の季語であると確認した上で、「赤とんぼ」の歌詞を見直してみよう。

 夕焼け小焼けの赤とんぼ おわれてみたのはいつの日か

 山の畑の桑の実を 小かごに摘んだはまぼろし

 十五で姐(ねえ)やは嫁にいき お里の便りも絶えはてた

 夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先

 三木露風が「赤とんぼ」を発表したのは大正10年、歌詞は露風自身の幼少時代の体験です。露風5歳の時に両親が離婚し、祖父に養育されることになり、実際は子守り奉公の姐やに育てられ、そのときの印象を歌にしたもの。姐やの背中におんぶされて肩越しに見た赤い夕焼けが主題です。また、「お里の便りも絶えはてた」の意味は、母は離婚し、実家に出戻るが、その母が息子を不憫に思い、実家の近くの娘を子守り奉公に出すように図り、時々実家に帰る姐やを通じて母の消息を聞くことが出来、母も姐やを通じて息子の消息を知ることができました。その姐やが嫁にいき、母の消息も途絶えてしまったというのが詩の内容です。

 「赤とんぼ」の歌詞を一番から四番まで見ると、四番だけが現在形、一番から三番までは過去形になっています。大人になった露風がふと竿の先にとまった赤とんぼを見て、自分の幼い頃を回想しているのです。

 「夕焼け小焼け」の「小焼け」は語調を整えるために添えられたもので、夕焼けに同じというのが普通の解釈。文部省唱歌の「夕焼け小焼け」(作詞中村雨紅、作曲草川信)にも「夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる」と詠われています。「小焼け」は「夕焼け」と語調をそろえていう語で、特に意味はなく、単語として組み合わせると、リズムがいい、という訳です。これだと、「仲良し」を調子良く言った言葉が「仲良しこよし」ということになります。つまり、「こ」は語調を調えるための接頭語。「夜」でよいところを「小夜」と詠み、音節を調えることは和歌にしばしば見られることです。

 一方、太陽が沈むとき、空が赤く染まる現象が「夕焼け」で、「小焼け」は沈んだ太陽に照らされた空がもう一度赤くなること、というのが科学的な説明。では、「朝焼け小焼け」はどうなるのでしょうか。「小焼け」は昇る前の太陽に照らされた空が先に赤くなることなのか。それなら、「小焼け朝焼け」の順ではないのか。さらに、「おお寒こ寒、大波小波」について科学的な説明をしようとすると、それぞれについて「夕焼け小焼け」とは異なる自然現象に言及せざるを得ないことになり、説明の一貫性はなくなってしまいます。

 「夕焼け小焼け」のように、「仲良し小よし」、「おお寒こ寒」、「大波小波」などの似た表現がすぐに挙がるのですが、さすがに「朝焼け小焼け」は実際には使われていないだろうと思っていたところ、なんと金子みすゞの詩にあったのです。

 

 大漁

 朝焼小焼だ 大漁だ 大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ。

 浜はまつりの ようだけど 海のなかでは 何万の 鰮のとむらい するだろう。

(『金子みすゞ 童謡全集』JULA 出版局)

 

 さて、「赤とんぼ」のトンボはどんなトンボなのか。まずは、冒頭の文を思い出そう。「赤とんぼ」がナツアカネなら、秋の季語です。すると、気になり出すのは「山の畑の桑の実」の歌詞。「桑の実」は夏の季語で、季節感のズレが気になるのです。狭義の赤とんぼ(アキアカネ)が大挙して現れるのは秋。でも、羽化するのはちょうど桑の実の6月頃で、アキアカネは羽化した後,高い山で夏を過ごし,大挙して稲刈りの終わった里の田んぼなどに降りてくる。アキアカネと他のアカネ属のトンボを区別するのは難しく、アカネ属、いわゆる「赤とんぼ」は日本に22種もいます。ナツアカネは6月ごろ羽化し、夏の間もそこに止まります。ですから、アキアカネは平地で炎天下の真夏に見かけることはなくても、ナツアカネは真夏に平地にいるのです。

 

(4)異安心を巡って

(『歎異抄』第10章:念仏は無義である)

 『歎異抄』の10章は次の二つの文からなっている(カッコ内は訳文)。

 

念仏には無義をもって義とす。不可称・不可説・不可思議のゆえに、と仰せ候いき。

(念仏は、一切の自力のはからいを離れている。それは、言うことも、説くことも、想像することもできないのだから、と言われた。*ここで私たちが問題にしたいのは最初の文である。)

 人は言葉を使うだけでなく、言葉で遊ぶことを憶え、言葉で世界を表現できることを知るのですが、言葉遊びが過ぎると、危険な火遊びになってしまうことを忘れてしまいます。言葉は薬と毒の二役を演じてきました。言葉に騙され、言葉に対して距離を置く節制は文学と自然科学にはそれぞれ違った意味であるのですが、人文科学や社会科学、宗教や倫理の言葉の使い方は時に大胆で、放縦でさえあります。そこには言葉で表現ができると、それだけで分析や解釈ができたと思い込むようなところがあって、その思い込みを正しいと取り違えると、レトリックしかないことになりかねません。

 これを防ぐ常識的な解決は語彙の還元主義です。それは『歎異抄』の10章にも通用し、「義」が登場したら、義を使わない別の表現に直し、「義」を還元することです。そうすることによって、「義」という語彙にまつわる訓詁学、文献学も教養も使えなくなり、注釈を通じたレトリックが通用しなくなります。余計な装飾を取り去ることによって、肝心の話が直接できるようになります。実際、「義」は様々な状況で様々な意味で使われ、義の無政府状態を生み出してきたのです。

 さて、10章の従来の注釈には次のようなものがあります。ここでの「義」とは、意義とか意味ということであるから、直訳すれば「念仏においては意味づけを超えているということが本当の意味である」ということになるでしょう。では、意味づけを超えているとはどのようなことを言うのでしょうか。親鸞は「義」を「はからい」と訓読しています。「はからい」とは、思い計ることですから、自分の人生の意味を考え、価値を計ることです。このような「はからい」は、一体どこからやってくるのでしょうか。生まれたばかりの赤子や幼児が「人生の意味を問う」などということはしません。大人になって言葉による知識を多く持つようになると、意味や価値が問題にされるようになります。ですから、「はからい」は、いわゆる大人の問題ということになりますが、だからといって知識を捨てればよいとか、赤子に戻ればよい、ということでは問題は解決しません。なぜなら、そんなことは本来できないことだからです。

 最初の「無義」というのは、人間があれこれ計らわないということ。ですから、これは人間のはからいであり、それを行うのは自我であって、後の「義とする」というのは、仏である阿弥陀如来のはからいなのだ、というような理解が伝統的な理解として存在してきました。でも、義を人のはからいと神のはからいに一文の中で読み分けるという芸当は常人にはできない技です。

 注釈はさらに続きます。真宗は「弥陀のはからい」の物語に出遇うことによって、大きな自由と喜びの体感に感謝(念仏)していこうとする、極めて特徴的な仏教です。弥陀のはからいに出遇う喜びによって、おのずと自分のはからいがなくなります。人間のはからいが自然を妨げます。そのはからいによってできなければ、任せるしかありません。煩悩具足の自分を救うために阿弥陀仏(=救済原理)は存在します。その仏からたまわったその信心によって、自我に囚われた状態から救済されるのです。

 さて、このような注釈が何を言っているかわからないと素直に表明すれば、どのような別の把握の仕方があるのでしょうか。たった一文の理解ですから、思想や哲学など持ち出すような仰々しいことは不自然、不健全です。

 かつてタルスキ(Alfred Tarski(1901-1983)はポーランド生まれの数学者、論理学者)は次のように提案しました。真であると述べられる文そのものを文が真であるための条件を記述するために使おう。例えば、「雪が白い」が真であるのは,雪が白いときかつそのときのみである。この提案を借用し、「念仏には無義をもって義とす」に登場する「義である」が「真である」、「不義である」は「偽である」、「無義である」は「真でも偽でもない」と定義してみれば、「念仏には無義をもって義とす」は、「「念仏は真でも偽でもない」は真である」となり、タルスキの真理述語によって、「念仏は真でも偽でもない」と同値になります。つまり、タイトルの「念仏は無義である」が導出でき、

 

念仏には無義をもって義とす⇔念仏は無義なり

 

となります。

 ところで、タルスキの提案は「真であると述べられる文そのものを文が真であるための条件を記述するために使うこと」でした。ですから、「雪が白い」が真であるのは、雪が白いときかつそのときのみです(つまり、「雪は白い」は真である⇔雪は白い)。このような文をある言語の文すべてについて考えれば,それらはその言語における「真である」という述語の振る舞いを十分に記述していると言えます。

 こうして、「義述語は真理述語と同じである」というのが10章についての私の無義、義の解釈です。

*「門徒もの知らず、法華骨なし、禅宗銭なし、浄土情なし」という各宗派を揶揄する駄洒落がありますが、「門徒もの知らず」をソクラテスの「無知の知」と引っ掛けるなら、「念仏には無義をもって義とす」は「念仏には無知をもって知とす」です。念仏とは何かなど知らぬことを知っている、つまり(上記の義述語の解釈を「知る」述語に転用し)念仏が何か知らない。それが「門徒もの知らず」の真意なのです。

 金子みすゞの母も祖母も門徒で、みすゞもその環境で育ちました。そこで、最初の「大漁」に戻って、読み直してみると、そこに門徒の気持ちを感じることができます。

 

(5)他力本願と自由意思

 金子みすゞ門徒の中の門徒のように言われます。実際、彼女の多くの詩が他力本願の世界を表現していて、次の詩もその一つです。

 

さびしいとき

わたしがさびしいときに よその人は知らないの

わたしがさびしいときに お友だちはわらうの

わたしがさびしいときに お母さんはやさしいの

わたしがさびしいときに ほとけさまはさびしいの

 

 私がさびしい時の私と他者との関わり方が様々に表現されています。私がさびしい時、他人、友人、母親はそれぞれ違った接し方をします。他人は私の気持ちを分かってくれません。友達は私の気持ちを察し、明るく振舞ってくれますが、なかなか気持ちは通じません。母親は、さびしい私を一方的に励ますことはせず、やさしく接してくれます。でも、私には本当の意味でさびしさを共有できる存在が必要なのです。私がさびしい時に「さびしいね」と素直に言われる方がずっと助かるのです。

 では、次の詩はどうでしょうか。

 

雀のかあさん(左側がみすゞの詩、右側は私のパロディ)

子供が        子供が

子雀         鼠(ハエ)

つかまへた。     つまえた。

その子の       その子の

かあさん       かあさん

笑つてた。      笑つてた。

雀の         鼠(ハエ)の

かあさん       かあさん

それみてた。     それみてた。

お屋根で       お屋根で

鳴かずに       静かに

それ見てた。     それ見てた。

 

 左側がみすゞの詩で、右側は私のパロディです。左側の詩を読むと、多くの人はハッと何かに気づかされるのですが、右側のパロディには良心のようなものを(ほとんど)感じない筈です。その違いは雀と鼠やハエに対する私たちの対応の違いとその意味を暗示しているのですが、「雀」を選んだみすゞの適確な感性が伝わってきます。

 みすゞは篤信な浄土真宗の家に育ち、幼年期祖母と共に毎日欠かさず仏壇に手を合わせていました。次の詩は他力本願の本質を表現し、人生の不条理を理屈抜きで受け入れ、キリストの云う許し(愛)をもって生き抜くことを表明しています。植物も、動物も、そして人間も、いずれも同じで、自力でそれを行ったのではないという他力本願の考えは神や仏の絶対性に繋がっています。となると、私たちの持つ自由意志との関係はどうなるのかというお決まりの問題が顔を出すのです。

 

蓮と鶏

泥のなかから 蓮が咲く。

それをするのは 蓮じゃない。

卵のなかから 鶏(とり)がでる。

それをするのは 鶏じゃない。

それに私は 気がついた。

それも私の せいじゃない。

(どんな環境の中でもハスが咲く。でも、ハスが咲きたいと思ったからではない。卵が孵ってヒナが生まれ、ニワトリになる。でも、ニワトリが自ら望んでしたのではない。そんなことに私は気づいたのだが、自覚的に気づこうとしたわけではない。私の自由意志で気づいたのではない。)

*ハスの開花やニワトリの誕生、意識の存在は生物の進化の結果として説明するのが今の科学。

 この詩は浄土真宗の他力ということを如実に表現した詩と言われてきました。「泥のなかから蓮が咲く、卵の中から鶏が出る」ことを誰もが事実として知っています。でも、みすゞはそれをするのは蓮でも、卵でもないことに気がつきます。そして、その気がついたことも私のせいではないと否定し、仏の働きによって気づくように仕向けられたと考えるのです。そして、この考え方こそ浄土真宗の「他力本願」の考え方なのだと言われてきました。「蓮と鶏」では、蓮が咲くのも、鶏が卵から出るのも、自分の力ではないこと、そしてそのことに気づかされるのも、自分の力ではないことを詠っています。

 他人の決定は私には関与できず、全くの他力でしかないのですが、自分の決定は私が関与し、全くの自力だというのが私たちの意思の自由主義です。それは意思決定の自由であり、自覚的な決定です。信仰は他力で、日常の行為は他人頼みではない自力という分業が通常の私たちの生活になっています。金子みすゞの詩も日常世界の出来事を表現していて、自力と他力が混在している筈です。となると、彼女はこの世界とは別の世界を詠っていると考えるべきなのかも知れません。

(5)山頭火のルール無視を真似てみる

 現在は「季語がなければ川柳だ」と簡単に断言できませんが、川柳には俳句にみられる季語や切れのルールがなく、現在ではもっぱら口語で、字余りや句跨りの破調、自由律や駄洒落もよく見受けられます。将棋とチェスは似ていますが、二つが異なるゲームであるように、俳句と川柳は似ていても、異なるルールをもつ違う文芸です。とはいえ、俳句のルールも川柳のルールもとても曖昧ですから、いずれとも区別のつかない作品が多く生み出されることになります。その典型例が種田山頭火の作品。

 山頭火と言えばラーメン屋さんと思う人が多いでしょうが、俳人種田山頭火は酒浸りの廃人のような生涯を送りながら、自由律の俳句を作り続けました。何も飾らず、何も隠さず、ただ感じるままに、「語ること=詠うこと=呟くこと=想うこと」が混然一体になって彼は自分の世界を表現しています。でも、どれほど直截に表現しようと、背後の傷ついた自分が滲み出てきてしまうのです。

 その山頭火でさえ、日本語の文法はしっかり守っていますし、それより基本的な論理ルールにも違反していません。俳句のルールは勝手に破ったのですが、日本語の文法ルールや論理ルールはしっかり守っています。それらを破ると、折角の句が単なる文字系列に堕してしまうことを彼は熟知していました。彼は意味が通じる最低限の表現を自分に課しているかのように余計な虚飾はすべて剥ぎ取っていますが、文法や論理のルールはしっかり守っています。山頭火は俳句のルールは無視し、時には破ったのですが、文法や論理のルールは破っていないのです。

 彼の句の幾つかを下のような二つに配置してみます。どれも素直に俳句とはいえないものばかりですが、配置してみると、二つの詩として詠むことができます。私の勝手な配置換えですから、半ば遊び心で見て下さい。俳句と詩の距離が随分と近くなることが実感できるのではないでしょうか。

 

 まっすぐな 道で さみしい

 どうしやうもない わたしが 歩いてゐる

 風ふいて 一文も ない

 

 お天気が よすぎる 独りぼっち

 こんなに うまい水が あふれてゐる

 あたたかい 白い飯が 在る

 

 次は山頭火風の俳句が金子みすゞの詩に似ていることです。彼女の詩を知っている方は、似たような印象を持ち、そして、山頭火の句からなる上記の詩(?)に似ていると思う筈です(下の三つの文は私がつくったもの)。

 

 人はみな 同じ人でも 違う顔する

 人はみな 違う顔して 違うことする

 人はみな 違うことしても みな同じ

 

 山頭火の俳句ルールの無視は俳句の可能性を広げ、新しい地平を切り開いたと言われるのですが、私も彼流のルール破りをしてみると、素人ながら少しはその意味をわかったような気がするのです。