フランソワーズ・サガンの『ブラームスはお好き』(Aimez-vous Brahms?、1959、朝吹登水子訳、「世界文学全集」新潮社、1960年、河野万里子訳、新潮文庫、2024年)のあらすじは次の通り。パリに暮らすインテリアデザイナーのポール(女性の名前)は離婚歴があり、39歳。恋人の建築家ロジェを愛しているが、移り気な彼との関係にずっと孤独を感じていた。そして、そんな彼女が出会ったのが美貌の若者シモン。ポールに一目惚れしたシモンは14歳年上の彼女に夢中になり、一途な愛を捧げる。サガンは二人の男の間で揺れる大人の女の感情を繊細に描いていく。
この小説はサガンがデビュー作『悲しみよこんにちは』(Bonjour Tristesse)から5年後の23歳の時に書いた作品で、題名の中の「ブラームス」は作曲家のヨハネス・ブラームスのこと。「ブラームスはお好き」というタイトルはシモンがプレイエル・ホールでのコンサートにポールを誘う手紙の中で「ブラームスはお好きですか?」と書いた一文から取られている。1961年に「さよならをもう一度(Goodbye Again)」というタイトルで映画化されている。そして、映画の主題曲としてブラームスの交響曲第3番の第3楽章が編曲され、巧みに使用されている。確かに1961年では、パリでも39歳の女性と25歳の男性の恋愛はスキャンダラスだったが、今では24歳の年齢差があるフランス大統領マクロン夫妻を誰もスキャンダラスとは言わないだろう。それより、この作品は主演のイングリッド・バーグマンは監督のロベルト・ロッセリーニと不倫関係になった後、ハリウッドに復帰してからの作品だった。
原作には次のようなくだりがある。「ポールはプレイヤーの蓋をあけ、レコードをさがし、全曲をそらんじているワーグナーの序曲の裏に、一度も聴いたことのないブラームスのコンチェルトを見つけた。ロジェはワーグナーが好きだった(Elle ouvrit son pick-up, fouilla parmi ses disques et retrouva au dos d’une ouverture de Wagner qu’elle connaissait par coeur un concerto de Brahms qu’elle n’avait jamais écouté. Roger aimait Wagner.)。」ワーグナーと犬猿の仲と言われたブラームスが同じレコードに入っているというのも不思議なのだが、確かに原文にはconcertoと書かれている。小説の「ブラームスはお好き」はシモンがポールをコンサート(concert)に誘う文句だが、ブラームスのconcertoは協奏曲(英語とフランス語は演奏会(concert)と協奏曲(concerto)で、綴りも発音も違うので区別できるのだが、イタリア語はいずれもconcerto、スペイン語もいずれもconcierto)のこと。私の全くの推測だが、ブラームスの協奏曲はヴァイオリンとピアノの協奏曲があり、二人が行った演奏会の演目はピアノ協奏曲第1番ではないのだろうか。
ロジェとの自由に、互いに束縛されない関係を続けている39歳のポールだが、ロジェが泊まらずに帰る夜などに感じるのは深い孤独。そんな日常にふと割り込むように現れたのが、14歳年下の青年シモン。そのシモンからの誘いが冒頭の引用だが、思わぬ展開にたじろぎながらも、単純に喜びを隠せないさまが描かれている。
ブラームスの演奏会に誘うシモンをブラームスに擬えてみると、ポーラがクララ・シューマンに思われてくる。ロジェはワーグナーで、シモンはブラームスと捉えれば、彼らの関係がわかりやすくなる。今は年末でベートーヴェンの第9があちこちで流れている。とても男性的で、それは合唱で極みに達し、歓喜のうちに終わる。そのすこぶる男性的なエンディングに対して、ブラームスの交響曲第3番のエンディングはとても静かで、女性的である。そして、それが中年女性の心情に合って、何とも切ないのである。
こんな能書きより、実際に小説を読み、映画を観て、ブラームスの交響曲第3番の第3楽章を聞くべきである。19世紀のブラームスの作品が20世紀にサガンの小説に使われ、イングリッド・バーグマンが演じ、それを21世紀の私たちが楽しみ、論じ合う。そのためには同時代の別の作品との比較が不可欠になる。