血縁関係がある場合、似ていることは当然だと思われ、「生き写し」、「蛙の子は蛙」などと呼ばれてきました。一方、血縁関係がない場合、「他人の猿似」という謂い回しが使われ、音が近い「空似」が次第に好まれるようになり、江戸後期から「他人の空似」が普及したようです。「猿似」は「猿がみなよく似ている」ように見えることからでした。単に似ていることだけを強調すれば、「赤の他人の空似」となるのでしょう。
血縁関係によって似ている例には、いずれもベロニカ属のオックスフォードブルー、マダムマルシア、オオイヌノフグリがあります。一方、偶然に似ている空似の例として、カジイチゴ、リキュウバイ、アネモネの花があります。
では、似ている理由がある場合とない場合で、何がどのように違うのでしょうか。カジイチゴ、リキュウバイ、アネモネは植物分類上、直接の関連はないのに、その花の形態だけが似ています。系統的関係がないのに似ている、つまり、偶然に似ていることから、正に他人の空似という訳です。実際、カジイチゴ、リキュウバイ、アネモネの画像を見ると、花の姿だけが似ているだけで、系統的な近縁関係はありません。
オックスフォードブルー(Veronica peduncularis)、マダムマルシア(Veronica petraea)の花はオオイヌノフグリによく似ています。三つの画像を見比べると、実によく似ていて、近縁関係もあります。花のサイズもオオイヌノフグリ(Veronica persica)が僅かに小さい程度で、ほぼ同じです。そして、何より属名のVeronicaは同じです。
生物の「似ている」と「似ていない」の基準として、私たちは進化的な系統関係があることを利用してきました。進化の歴史的な系統関係を使って、「似ている」ことを説明してきました。その典型が親子関係であり、「蛙の子は蛙」となるのですが、時には「鳶が鷹を生む」こともあり、「似ている」ことの絶対的な基準ではありません。
赤の他人の空似の場合、なぜ似ているかの説明が放棄され、それは全くの偶然と諦めることなのですが、それでも「相似器官」という適応の存在を使ってきました。
*相似器官は別の器官であったものが、進化の結果、形や働きが似るようになった器官で、昆虫の翅と鳥の翼がその一例です。
**最初の3枚の画像はベロニカのマダムマルシア、オックスフォードブルー、オオイヌノフグリの花、残りの3枚の画像はリキュウバイ、カジイチゴ、アネモネの花です。