無限についての天狗の神通力

 平安末期に天狗は憑依する怨霊だという考えが広がりました。団塊世代の私には「牛若丸と天狗」や大佛次郎の『鞍馬天狗』で親しみのある「天狗」ですが、天狗の古い一例が仏道を妨げる「天魔」でした。『源平盛衰記』の後白河法皇住吉大神との天狗問答に「天魔という鬼を天狗と呼ぶ」とあります。天狗には六つの神通力があり、人なら誰もが潜在的、可能的に持っている能力を顕在化、実在化したものと言われています。

 ところで、無限には可能無限と実無限(Potential Infinity and Actual Infinity)があり、現在の数学では両方の無限が自由に使われています。限りなく続く無限小数を考え、それが完結した数列になっているとしてみましょう。完結していると認識できるのが冥界にいる神通力をもった天狗です。でも、人間の視点で数列を捉えた場合、どこまでいっても終わらず、ただ限りなく続くだけです。これが可能無限です。つまり、天狗は完結した無限を経験できるのですが、私たちは終わりのない可能無限しか経験できないのです。ですから、経験主義者のアリストテレスは可能無限しか認めませんでした。

 冥界の天狗は顕界にいる私たち人間より能力が高く、実無限を実際に経験し、理解することができます。でも、私たちは具体的、構成的に実無限を作り出すことができません。ですから、顕界では自然数や実数は限りなく続く可能無限として構成することしかできず、自然数の集合や実数全体という実無限は物理的なものではなく、数学的な存在ということになります。でも、冥界の天狗は無限を完結した対象として経験し、認識できるのです。

 任意の数xについて、その数が自然数なのか、整数なのか、有理数なのか、無理数なのか問われたとしましょう。まず、この数xが0.・・・・・のような、0より大きく、1未満の数なら、この数は有理数無理数のどちらかです。でも、どちらなのか判定する術がありません。有理数の定義によれば、その数が、途中で終わっているか、または小数部分のどこかから、数の並びが循環になっているかのどちらかなら、それは有理数です。このとき、0.2を0.1999999・・・・とするなら、有理数は小数部分のどこかから数の並びが循環している数と考えることができます。循環の代表例に1/7があり、1/7=0.142857142857142857・・・・というように142857が無限に繰り返される部分がみつかれば、それは有理数だと判定できます。

 では、与えられた数x有理数無理数かを可能無限の立場から考えてみましょう。与えられた数xは最初の小数第一位から順にどこまで見ていっても循環する部分が見つからない場合、これは実数であると判定していいでしょうか。小数第n位までは循環している部分は見つかっていないということしか言えず、もしかしたら、小数第n+1位からは循環しているかも知れません。これでは、いつまでたっても有理数無理数か決められません。そもそも実数を確定的に存在させることができないのが可能無限なのです。

 でも、実無限なら、与えられた数x有理数無理数かを判定できます。なぜなら、天狗の視点で見れば、無限に続くか否かが容易に見てとれるからです。無限につづく小数部分さえ、それはすべて決まっており、それゆえ、天狗には分かっています。無限につづくものがすべて分かっていれば、それが有理数無理数かの判定は簡単です。このような実無限の存在を保証しようというのが公理的集合論ZFの無限公理です。無限公理は、

0を含むある集合があり、しかもある数nがその集合のメンバーなら、その次の数n+1も同様にその集合のメンバーであるような集合「自然数」が存在する、

と主張しています。「自然数という集合が存在する」と宣言することによって、自然数という無限にある数のすべてを含むものとして完結させています。

 しかし、実無限は矛盾を孕んでいます。例えば、実無限を認めると、自然数のすべての数が書き尽くせることになります。限りなく続くものが、全て分かっていると考えるのは、人間には理不尽です。でも、このような理不尽な実無限を認めることによって無理数の存在が結果します。私たちには無理数は実無限によって理不尽に生み出されたものであっても、天狗には無理数は実無限によって正当に生み出されたものなのです。

 実数は自然数にない性質を多くもっています。最も実数らしい性質が「完備性(completeness、連続性)」(*)であり、この性質のお陰で微積分が可能となり、それを使って自然を連続的に考えることができています。連続する時間や空間を表現するのに最も適した実数は数学者の関心の的となってきました。ギリシャ人が使わなかった実数こそ古典物理学の不可欠の表現装置として使われ、まずはニュートンライプニッツの無限小(infinitesimal)、次にコーシーの極限(limit)といった概念を通じて実数の理解が浸透していきました。

*「完備性」は私たちが天狗擬きになるための性質なのです。