量と数の歴史的なメモ

 「量と数」の関係は「量と質」の関係に似ています。では、数は質かと問うと、何やら哲学的な雰囲気が漂ってきます。ヘーゲルは「量から質への転換は弁証法的な止揚プロセスだ」と断言して憚らなかったのですが、量や質についての議論は怪しい魅力をもち、それは数についても同様です。そこで、ここでは量と数の関係について考えてみましょう。「量を偏ることなく表現する言葉として数を創造し、その数を使って量を正しく表現する」ことを少々刺激的に辿ってみることにします。要するに、数は量を表現するが、量とは別物だということであり、それはもの(量)と言葉(数)が別物であるというのとほぼ同じことです。

 古代ギリシャでは数と量という概念は異なるものとされていて、『原論』では次のように述べられています。

・数とは、基数(cardinal number、事物の個数を表す数で、順序を表すのは序数(ordinal number))のことである。

・量とは、長さ、広さ(さらに、重さ,速さ)のような、互いに比較できるものである。

・同じ種類のものの量しか比較できない。

 最後の「同種の量しか比べられない」という主張は,ユークリッドの卓見に見えます。確かに、人の体重と身長は比べられないし、知力と体力を混同すべきではありません。ですから、ギリシャでは量の積が意味をもたず、存在しないことから、それぞれの量の数の積も存在しないと見做されました。でも、これでは今の私たちがしているような自由な代数的な計算ができません。そのため、「量」を代数の世界から追放することが「純粋」数学の成立に不可欠なのです。数概念の確立に至る歴史は、ギリシャ以来数学における最も重要な概念の一つと考えられてきた量という概念を数学から消去する歴史だったのです。要するに、量と数は相性が悪かったのです。つまり、量という物理世界とつながった概念が追放されたことと純粋数学という概念が市民権を得たこととは同じことだと言えます。19 世紀に入って数学の「算術化」運動が起こります。これはすべての数学は算術に還元できるという主張です。量概念が駆逐されたのもこの運動の一環であり、「還元」という形式によって量概念が純粋数学から駆逐され、否定されたのです。

 まずは量ですが、高木貞治によれば,量とは次の性質を満たすものです。

  1. 同種の量は大小の比較ができる。
  2. 加法+を持ち,足し算ができる。
  3. 同種の量の足し算は順序を変えない。つまり、A<B → A+C<B+C。
  4. どの量も正である。つまり、A<A+B。
  5. 同種の量は大きいものから小さいものを引くことができる。
  6. 同種の量の大きさには切れ目がない(量の連続性)。

これらを前提に量と数の関係の歴史を振り返ってみましょう。

 ディオファントス(『算術』: 3世紀頃)は分数(つまり、有理数)を数と認めています。これがアラビア世界、そしてヨーロッパに受け継がれ、「数」と言えば、分数を指すようになっていました。

 16世紀の技術者シモン・ステヴィンは小数を利用しましたが、数を線型的に捉え、それぞれの数を平等に見ることに大きく貢献しました。ステヴィンの著書『算術』(1585)には「数はそれによって物の数量が説明されるものである」と述べられています。また、数は連続的で、連続的な水が連続的な湿度に対応するように連続量は連続数に対応しています。

 ヴィエトは代数の曖昧さは幾何学的な「次元」を統一しないことに由来すると主張し、次元の統一を要請しました。つまり、現行の記号で書けば,xの3乗は立方体を表し、xの2乗 は正方形を表すのだから(xの3乗)+3x = 2といった式はナンセンスだと言うのです。ヴィエトは自分の創始したパラメータを表す文字を使うことによって、例えば、xの3乗+ 3(aの2乗)x = 2(bの3乗)というように次元を統一することを提案しましたが、これこそデカルトの「すべての量は線分として把握できる」という主張の先駆となるものでした。

 有理数から実数を構成する(あるいは,説明する)方法はカントル、ワイヤシュトラス、デーデキントらによって提案されました。フレーゲも『算術の基本法則』第II 巻(1903)において独自の実数論を展開しています。

 19 世紀末の自然数論はどうなっていたのでしょうか。デーデキントの仕事(「切断」による実数体の定義、および自然数論の研究)、クロネッカーの有名な主張も算術化運動として理解することができます。有理整数環、実数体複素数体などの代数系を厳密に定義する作業が一通り終わって、最後に残ったのが自然数論(算術)の体系の扱いでした。すべての数学を算術に還元する算術化運動は最終局面に達して、その算術そのものをどのように厳密で揺るぎないものとして捉えるかが問題になりました。その中で大きな役割を果たしたのはデーデキントとフレーゲでした。デーデキントは『数とは何か』(1887)において素朴な立場で集合論を展開し、算術の体系の集合論的基礎付けを行います。この著作は,公理的集合論の先駆けとなるものです。この著作を現代数学の目で精査するとき、

1.無限集合の存在の素朴な「証明」、

  1. デーデキント無限と通常の無限の同値性の「証明」、
  2. 性質Pを満たす要素x の全体はつねに「集合」になるという「内包原理」、

といった問題点が挙げられますが、無数にある自然数に関する命題の本質を、数学的帰納法を含む幾つかの命題(いわゆる「ペアノの公理系」)に還元したのはデーデキントの偉大な功績です。一方、論理学者フレーゲは人間のあらゆる理性的な判断に普遍的な部分を論理学と捉え、数学も論理学の一部であると主張し、その観点から自然数論の基礎付け(論理学への還元)を探求しました。

 少々ややこしい話になりましたが、量から解放された数は最終的に自然数とその算術へと形式化されたのです。