アインシュタインの時間革命

 アインシュタインの出発点の一つは相対性原理。ガリレオの相対性原理は17世紀以来すべての物理学者に受け入れられてきたが、19世紀中葉この原理に疑いをもったのがマクスウェルだった。マクスウェルの電磁気学ガリレオの不変性に従わないように見えた。つまり、私たちがどのくらい速く動いているかは光を使わないと測定できないことを認めているように見えた。そして、これを実験で確かめようという物理学者も現われた。アインシュタインはそれとは違って、相対性原理を仮定し、光の振舞いとその原理を両立させようとした。つまり、アインシュタインの物理学はガリレオニュートンの物理学とマクスウェルの物理学を統一しようとしたものだった。

<相対論的時空>

 現代物理学が基本としているのは相対論の時空概念。時間の測定は絶対的ではなく、その経路に依存している。ある参照枠内で静止した観測者は自らの固有時間を時計で測定するが、彼に対して運動している別の観測者はその固有時間を二人の距離と時間の測定を使って計算できる。

(特殊相対論での時間)

光は電磁気的な波と考えることができるが、光の波動方程式ガリレオ-不変ではない。この事態を処理するために二つの選択の可能性があった。

 

  • 力学はガリレオ変換に関して不変であるが、電磁気学は他に優先する参照枠をもつ。そこには宇宙を満たすと信じられていたエーテルが存在する。
  • 不変性の原理(相対性原理)が存在し、力学と電磁気学の両方に適用される。それはガリレオの相対性原理ではあり得ない。だから、力学はこの原理を含むように修正されなければならない。

 

ローレンツが(1)を選択したのに対し、アインシュタインは(2)を選んだ。(1)が正しいことを言うためにはエーテルの存在証明が必要だった。1881年のマイケルソン-モーレイの実験はこの仮定の正しいことの験証になるはずだった。だが、その確証は得られなかった。一方、アインシュタインは力学と電磁気学に共通する単一の相対性原理を好み、1905年の論文で次の二つの仮定を置いた。

 

1 特殊相対性の仮定:直線上を互いに等速で動くすべての慣性系は物理的に等価である。

2 光速度一定の仮定:慣性系の光速は一定で、光源と観測者の運動状態から独立している。

 

 相対性の仮定はアインシュタイン以前にも既にあったが、光速度一定の仮定は前例がなく、論文発表当時まだ験証されていなかった。これらの仮定から出てくる時空構造は慣性系の適切に定義された変換によって決定される。力がないとき、粒子は慣性系に関して直線的、一様に運動する。光速度は慣性系では定数値cでなければならない。このような慣性系はローレンツ系と呼ばれるが、もはやガリレオ変換によっては互いに関係していない。力学と電磁気学の法則を不変に保つローレンツ変換に置き換えられなければならない。ローレンツ変換では、新しい参照枠I’の時間座標t’は参照枠Iの時間座標tの関数だけではなく、Iの空間座標xj j = 1, 2, 3)の関数でもある。この結果、普遍的な時間という概念、普遍的な同時性という概念は意味を失うことになる。したがって、空間と時間を完全に異なるものとして語ることは無意味になり、4次元の時空を単一の対象と観なければならなくなる。これがミンコフスキー世界である。

 その基本的な考えはこうである。光はどんな観測者にも、観測者がどんな運動状態にあろうとも、同じ速度で伝わらなければならない。簡単には、マクスウェルの法則はすべての観測者に対して妥当でなければならない。この単純な考えが時間に関してどのような結果をもたらすのだろうか。

 一定の距離で鏡から光のパルスをはねかえす「光時計」を考えてみよう。一つのパルスが帰ってくると、次のものが送られる。この時計をロケットの中に入れて、地上にいる観測者の眼から光線の経路がどのように見えるか考えてみよう。地上の観測者は光線が右に経路をとることを見るだろう。明らかに、この経路はロケットが止まっている場合より長い。だから、光も同じ速度で旅行しているように見えるなら、往復旅行のパルスは地上の観測者には動いているロケットではより長くかかるように見えるだろう。これはロケットが速ければ速いほど、一層長くなるだろう。言い換えれば、地上の観測者はロケットの時計はゆっくり進んでいると言うだろう。同じように、ロケットの観測者も地上の時計はゆっくり進んでいると言うだろう。

 この議論を使うと、相対性原理と観測者に対する光速度一定の仮定から長さに関しても幾つかのことが言える。ロケット内に縦に置かれた最初の時計に対して90度向きが異なる二番目の時計を用意してみよう。二つの時計が同じように時を刻むようにするため、(ロケット内の)私たちの観点からそれらを同じ長さにする。地上の観測者にはそれらは同じ長さに見えるだろうか。同じ長さに見えない。二つの時計が同じ時を刻むためには、(地上の観測者の観点からは)垂直の時計は水平の時計より長くなければならない。

 地上の観測者の観点から、なぜ二つの時計が同じ時を刻む必要があるのか。ロケットの観測者にとって同じ時を刻むという仮定からであり、このようなことは観測者が違えば異なるというものではない。

 それゆえ、アインシュタインの仮定(相対性原理+マクスウェル)は静止している観測者に対して、動く対象は(運動の方向に)短くなることを意味している。この議論は逆にも同じように適用できる。つまり、地上の対象はロケットの観測者には短く見える。

(同時性について)

 相対性原理とマクスウェルの原理の組み合わせはニュートン的な世界に根本的な変更を迫るものだった。アインシュタインは次のような問いを考える。私たちが実際に観測するものに対して、ニュートン的な世界観の中で何の意味ももっていない、無駄なものは何なのか。それまでの多くの人と同じように、彼はニュートンの絶対時間や絶対空間がこの無駄なものだと考えた。だが、それだけでなく、彼は二つの空間的に離れた出来事が同時であるかどうかは自明のことだという考えにも疑問をもった。この疑問は彼以前には誰ももたなかったものである。二つの出来事が同時であるというのは何を意味しているのか。同時性を定義するアインシュタインは全くの操作主義者である。その定義は、

出来事Aと出来事Bそれぞれからの光が同じ時刻に中間点で観測者に到着するなら、AとBは同時である、

という操作主義的なものである。互いに運動している観測者はどの出来事が同時かについて意見が一致しない。 

(重力)

 相対性原理と同じように、アインシュタインの特殊相対論は一様運動にしか適用できない。この理論を加速度をもつ運動に対しても広げる幾つかの理由がある。彼は時間の関係論とマッハの原理を信じ、ニュートンのバケツのような場合に答えようとした、彼はまた重力の理論をつくろうとしていた。アインシュタインの目からは、ニュートンの重力理論の中で、重力が瞬時に遠隔的に働くことが解せなかった。このことは「絶対的な」同時性を否定することと衝突するのである。重力についての別のパズルは、ニュートン理論に表われる二つの質量であった。ニュートンの第二法則は、力=質量×加速度であり、彼の重力の法則は、質量1×質量2/距離2であった。第二法則の質量(慣性質量)は、力の作用に物体が抵抗する性質であり、重力法則の質量(重力質量)は力をつくるのにあずかるものである。これら二つの明らかに異なる性質はどんな対象に対しても同じであることがわかる。実際、これがガリレオの発見の基礎であり、落体はみな同じ割合で加速する。だが、ニュートンの理論ではこれが説明できず、偶然の一致としか言いようがない。アインシュタインはこの偶然の一致を説明しようとした。彼はこの一致に基づく仮設からスタートする。それは「等値性の原理」と呼ばれている。

・物理学の法則は加速度をもつ参照枠と重力場では(局所的に)同じである。

(重力と時間)

 等値性の原理から重力場では時計は遅くならなければならないことが示される。光時計を加速度をもつリフトに入れ、1秒に一つパルスを放出するとしてみよう。リフトが上がるので、各パルスはリフトの静止した高さよりもっと飛ばなければならない。より重要なのは、リフトが加速しているので、溝は毎秒大きくなる。だから、各パルスは以前のパルスより到着するのに長い時間がかかる。リフトの天井の観測者には、リフトの床の時計は毎秒1パルスより小さく時を刻んでいるように見える。等値性の原理から、重力場でも同じことが真でなければならない。類似の思考実験を使って、等値性の原理から光は重力場では曲がることが導き出される。加速するリフト内では、どうして曲がるのか。なぜ加速度が重要なのか。リフトの速度が一定ならどうなるのか。光のビームは重力によって回折するだろう。この予測の験証が一般相対論の最初の観測テストとなった。光線が重力で曲がるというのは不正確な表現である。ある意味で、アインシュタインの理論には重力は存在しない。その代わり、時空自体は物質があることによって曲がっている。そして、光線はこの曲がった時空内の直線に沿って動く。まとめると、

 ニュートン;空間+時間+物質+重力

 アインシュタイン;時空+物質

となる。ニュートンにとっては、重力のもとでの運動は力の制約を受けた運動である。アインシュタインにとっては、重力のもとでの運動は自由落下の運動である。

 最後に一般相対論の基本的主張をまとめておこう。

一般相対論の核心にある論証

  1. 加速度は幾何学を歪める。
  2. 加速度は重力と同じである。
  3. それゆえ、重力は幾何学を歪める。