キムチ、カレー、タコス

 「反日嫌韓」といった言葉が毎日飛び交い、世界情勢が波立つ中で不安が先立つ昨今、何とものんびりしたタイトルである。タイトルから連想される国となれば、韓国、インド、メキシコ。そこに北朝鮮パキスタンバングラデシュ、そして日本を加えても構わない。確かに多くの日本人はキムチ、カレー、タコスが大好きである。まずは、現在マスコミには登場しない歴史認識から始めよう。
 ガンディー率いる「インド国民会議」は統一国家を目指したが、彼と対立する「全インド・ムスリム連盟」はイスラム教徒の国を作ることを決め、 1947年インドとパキスタンに分かれて独立した。カシミール地方は、藩王ヒンズー教徒、住民の77%がイスラム教徒という複雑な状況にあったが、藩王はインドへの所属を決定。だが、パキスタンは自国の領土だと主張し、1947年に義勇軍カシミールに送り込む。これに対し、藩王はインドに助けを求め、インドも軍を送り、カシミールで両軍が衝突。これが第一次インド・パキスタン戦争である。1949年国連が仲介し、カシミール地方の3分の2をインド、3分の1をパキスタンが支配するようになった。
 1954年アメリカはパキスタンと相互防衛援助協定を結ぶ。また、1959年にはチベットで大規模な反乱が起き、ダライ・ラマ14世がインドに亡命。中国が激怒し、1962年中国がカシミール地方のチベットと隣接したラダク地域を占領。その後、アメリカはインドに軍事援助し、中国はパキスタンを援助する。1965年には中国の侵攻に影響を受けたパキスタンが停戦ラインを越え、第二次印パ戦争が勃発。パキスタンは東西で経済格差が激しく、西はアーリア系パンジャブ人(イラン系に近い)、東はモンゴル系ベンガル人で、民族も異なっていた。1969年にパキスタン中央政府軍が鎮圧に出動し、東パキスタンと武力衝突。東パキスタンはインドの援助を得て全面戦争(第三次印パ戦争)に発展し、パキスタン中央政府軍は完敗、1971年に東パキスタンバングラデシュとして独立する。さらに、インドとパキスタンが核を保有、緊張が高まり、それは現在まで続く。
 印パ、中近東だけでなく、日本と韓国、アメリカとメキシコの昨今の緊張した関係も連日のニュースで繰り返し語られている。「…first」なる表現は世界中を駆け巡り、保守的な民族主義がヨーロッパでさえ息を吹き返している。自由経済グローバル化愛国主義のもとで変質しようとしている。そんな中で、少々異なる視点から現状を捉え直してみたい。

 胡椒の原産地はインド。そして、唐辛子の原産地は唐ではなくメキシコ。メキシコでは数千年前から食用として栽培されていたが、唐辛子が広く知られるようになったきっかけは、15世紀のコロンブスの新大陸発見。「インドの胡椒」を発見しようとしたコロンブスが、カリブ海に浮かぶ西インド諸島をインドと思い込み、その際コロンブスが現地で見つけた唐辛子をコショウと勘違いして伝えたのだ。そのため、今でも唐辛子の英語名はred pepper。その後、唐辛子は急速に世界中に広がった。
 中国では西方から伝来した香辛料という意味で、胡椒と呼ばれた(胡は西方、北方の異民族を、椒はサンショウ属の香辛料を指す)。日本には中国を経て伝来。756年聖武天皇の77日忌にその遺品が東大寺に献納され、その目録『東大寺献物帳』の中にコショウが記載されている。コショウはその後も断続的に輸入され、平安時代に入ると調味料として利用されるようになった。唐辛子が伝来する以前は、サンショウと並ぶ香辛料として現在より多くの料理で利用されていて、うどんの薬味としても用いられていた。
 唐辛子が日本に入ってきた時期は二説ある。16世紀半ばに鉄砲とともにポルトガル人宣教師が伝えたという説と、17世紀はじめに豊臣秀吉朝鮮出兵の際、日本に持ち帰ったとする説である。だから、前者の説では「南蛮」、後者の説では「高麗胡椒」と呼ばれてきた。また、朝鮮半島へは豊臣秀吉が伝えたという説もある。さらに、中国に唐辛子が伝わったのは日本より後で、明の時代の末期(17世紀半ば)になってから。
 十七世紀初頭に書かれた朝鮮半島の記録には「日本から伝わったので、倭芥子と呼ぶ」と唐辛子について記載されている。「南蛮椒には大毒がある。倭国からはじめて伝わったので、倭芥子と呼ぶが、近頃これを植えているのを見かける。酒家では、その辛さを利用して焼酒(焼酎)に入れ、これを飲んだ多くの者が死んだ」(『芝峰類説』1614年)とある。まず、ポルトガルから大分に伝わった唐辛子が、倭寇か秀吉の兵によって朝鮮に持ち込まれたが、この時点ではまだ日本の本州には伝わっていない。そして、唐辛子が朝鮮で栽培され出した頃、九州出身でない日本人が本州へ持ち帰ったのではないか。

 局所的-普遍的(local-universal)という物理学での区別に似て、地域的-世界的、あるいはローカル-グローバル(global)といった区別をよく聞く。祖国を愛する、同じ民族で団結するという考えと移民や同化を推進するという考えは衝突する危険を常に孕んでいて、アフリカや中近東からのヨーロッパへの難民が引き起こす諸問題がその衝突を鮮明化してきた。今アメリカやヨーロッパに蔓延する愛国主義はいつでもどこにもあるもので、家族への愛を核にした半ば本能的なものだと考える人が多いのではないか。だが、民族主義歴史教育の結果であり、歴史が民族の歴史である限り、そこで中立的な教育を行うことは至難の業である。ここで私が強調したいのは歴史教育は偏向せざるを得ないということではなく、民族主義は教育の結果、学習成果であって、本能的なものではなく、血縁や地縁に関する評価判断は学習によって学ばれた知識に基づくということである。
 一方、タイトルのキムチ、カレー、タコスは評判の高い、ほぼ誰もが好きな食べ物であり、人の感覚的、本能的な嗜好が素直に反映されている。学習して好きになるのではなく、美味しいから飽くことなく食べるのである。知識なら真偽、正誤があるが、嗜好には好き嫌いしかない。さて、そのような対照的な特徴を意識して、国際問題を眺めるなら、争う国々の間で嗜好に大きな違いはなく、同じ食べ物を好みながら、学習した知識をもとにいがみ合っているという何とも滑稽で、微笑ましいとさえ言える光景が見えてこないだろうか。カレーを食べながらインドとパキスタンは対峙し、アメリカとメキシコの間の壁の両側でタコスをほおばり、日韓両国でキムチに舌鼓を打ちながら、争い合っている。それらの姿をE.T.や子供たちはどんな眼で見るのだろうか。
 文化や伝統は嗜好だけではなく、そこに知識や技術が入り込んでいる。その知識や技術はグローバル、ユニバーサルなものであり、文化や伝統の担い手たちがローカルな個人や集団であるのとは違っている。では、グローバルな経済に比べて政治はグローバルなのか。経済とは違って政治はローカルなままである。国が独立して存在し、世界が多くの国に分かれているのは、明治維新前の日本によく似ていて、国内政治と国際政治に分かれているのが当たり前になったままである。現在の国は歴史的な産物以外のものではない。だが、その歴史的で、偶然的な産物に対して、どの国も歴史的に自らを正当化しようとしてきた。歴史は自己正当化の都合のよい道具として使われてきた。戦争を正当化するには歴史を使うのが常套の手段だった。その常套の手段を取り除き、氏や育ちを忘れ、衣食住の生活だけを冷静に見比べるなら、人々は何ともよく似た生活を楽しんでいることがわかるのではないか。キムチ、カレー、タコスだけでなく、和食やラーメンを含め、多くの料理を誰もが楽しむように、世界のあちこちで同じように日々が過ぎている筈なのである。欲望に具体的な姿を与え、その実現に駆り立てるのは民族主義的な教育以外にはなかなか見つからない。だが、自国の歴史に誇りをもつことは良いことばかりを結果せず、時には戦争にまで至ることを忘れてはなるまい。とはいえ、人が科学的に振る舞うことにこだわり過ぎると非人になりかねない。