悲しみの表現

 既に「男女関係のモラリティの例」で述べたように、イングリッド・バーグマンは1950年にロベルト・ロッセリーニが監督するイタリア映画『ストロンボリ』に主演し、二人は共に既婚者であったにもかかわらず、不倫関係を持つようになる。この不倫関係とその後の二人の結婚は大きなスキャンダルとなり、バーグマンはその後の数年間アメリカに戻ることができなくなった。

 1952年のルネ・クレマンの「禁じられた遊び」の「愛のロマンス」や、1954年のフェデリコ・フェリーニの「道」の「ジェルソミーナ (Gelsomina)」はいずれも切ないメロディで、今でも私の記憶に刻み込まれている。1940年から50年にかけてのイタリアのネオレアリズモ(Neorealismo)の監督の中に上記のロベルト・ロッセリーニ、そして、ヴィットリオ・デ・シーカがいる。第二次世界大戦後にデ・シーカ監督が制作した「靴みがき」や「自転車泥棒」はネオレアリズモを代表する作品である。時代は過ぎ、デ・シーカ監督の「ひまわり」(1970)にはソフィア・ローレンが主演し、音楽はヘンリー・マンシーニ。そのメロディはブラームス以上に切ない。

 そのヘンリー・マンシーニ(1924-1994)は昨年生誕100年を迎えた。マンシーニの名声を不動のものにしたのは「ティファニーで朝食を」の「ムーン・リバー」だろう。さらに、「ひまわり」は、第2次世界大戦のソビエト軍とイタリア同盟軍との戦いに巻き込まれ、引き裂かれたイタリアの男女の悲劇を描いている。仕事帰りのアントニオが汽車から降り、それを待つジョアンナに再開する場面、そして、駅でソビエトに戻るアントニオを見送るジョアンナがこみ上げるものを抑えきれなくなる場面には「ひまわり」のテーマが流れ、エンドロールにはウクライナのひまわり畑が重なる。戦争の持つ悲惨さが「切ない悲しみの極み」の画像と音楽として見事に表現されている。

 第二次世界大戦でもっとも多くの死者を出した国はかつてのソビエト連邦で、二千数百万人と言われている。今、ロシアとウクライナの戦いが続いている。そして、かつての悲劇が形を変えて、再現されている。誰も「ひまわり」の悲劇を繰り返したくない筈なのに、戦争は繰り返され、ガザやタイ、カンボジアで同じようなことが起こっている。