昔から童謡の歌詞には意味が明瞭でなかったり、謎めいていたりして、それが逆に童謡がもつ特異な世界を醸成してきました。とても古く、意図が明瞭な例が「いろは歌」です。
「いろは歌」
いろはにほへと ちりぬるを(色は匂へど散りぬるを)
わかよたれそ つねならむ(我が世誰そ 常ならぬ)
うゐのおくやま けふこえて(有為の奥山 今日超えて)
あさきゆめみし ゑひもせす(浅き夢見じ 酔ひもせず)
平安時代に起源を持つ「いろは歌」は仏教の根本にある諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽の4つを表しています。この世は無常で、生滅の法則に支配され、生と死のない涅槃の境地に至ることによって真の大楽が得られるというのが「いろは歌」です。
次の例は「通りゃんせ」で、この歌は母と門番の掛け合いになっています。
門番 とおりゃんせ とおりゃんせ(通りなさい、通りなさい)
母 ここはどこの ほそみちじゃ(この細い道はどこに行く道でしょうか)
門番 てんじんさまの ほそみちじゃ(天神様が奉られている神社へいく細い道です)
母 ちょっと とおしてくだしゃんせ(ちょっと通して下さいな)
門番 ごようのないもの とおしゃせぬ(用のない人は お通しすることは出来ません)
母 このこのななつの おいわいに おふだをおさめに まいります(この子の7歳のお祝いにお札を納めに行ってくるのです)
門番 いきはよいよい かえりはこわい(行くのは簡単だが、帰り道は暗く危ない)
母 こわいながらも(危なくてもいいのです)
門番 とおりゃんせ とおりゃんせ(通りなさい 通りなさい)
七五三の7歳になった報告として神社にお参りに行くのであれば、夕暮れでなく、日を改めればよい訳です。門番を説得している様子から、どうしても今行かなくてはという覚悟が感じられます。時代背景と子供を神社に置いてくることを考えると、神様への生贄だったことが推測できます。
童謡の背景にある神話や宗教を知ることによって説明される場合が上記の二つの例ですが、その他に子供の心理から童謡内容が説明される場合もあります。でも、それ以外の場合となると、とても厄介で、その代表例が金子みすゞの詩です。私には子供の「なぜ、どうして」の問いに答える自信がなくなるのです。
先入見なしに次の二つの童謡を見比べて下さい。
(1)西條八十「かなりや」
唄を忘れた金絲雀(かなりや)は
うしろの山に棄てましょか。
いえ、いえ、それはなりませぬ。
唄を忘れた金絲雀は
背戸の小藪に埋めましょか。
いえ、いえ、それもなりませぬ。
唄を忘れた金絲雀は
柳の鞭でぶちましょか。
いえ、いえ、それはかはいそう。
唄を忘れた金絲雀は
象牙の船に、銀の櫂
月夜の海に浮べれば
忘れた歌を想ひだす。
多くの人は白雪姫やピーターパンを連想しながら、この童謡を読み、唄うのではないでしょうか。背後にある不気味さは微妙に抑えられ、子供世界の危うさが垣間見えるのですが、私たちが直接に問題を突きつけないような配慮がなされています。そのような大人の配慮がまるでないのが次の童謡です。
(2)北原白秋「金魚」
母さん、母さん、どこへ行た。
紅い金魚と遊びませう。
母さん、歸らぬ、さびしいな。
金魚を一匹突き殺す。
まだまだ、歸らぬ、悔しいな。
金魚を二匹締め殺す。
なぜなぜ歸らぬ、ひもじいな。
金魚を三匹捻ぢ殺す。
涙がこぼれる、日が暮れる。
紅い金魚も死ぬ死ぬ。
母さん、怖いよ、眼が光る。
ピカピカ、金魚の眼が光る。
白秋の「金魚」は強烈です。子供の本性が直接に表現され、多くの大人には残酷で無慈悲な内容です。でも、反倫理的にみえる子供の行為は無垢のもので、人の本能を素直に表現したものになっているのです。でも、子供の心理については今でも多くの推測が入り混じり、白秋の子供観が強く出ているのも確かです。小学校の音楽の時間に歌うには不適切と考える大人がほとんどでしょう。
八十、白秋の上記の童謡は子供の心理が大人と違うことから説明、解釈されるのですが、次の金子みすゞの詩はそう簡単にはいかず、子供の「なぜ、どうして」の問いにとても答えにくものです。
(3)金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」:一視同仁
妙高市小出雲の賀茂神社の石碑は「賀茂神社」と「一視同仁(いっしどうじん)」です。「一視同仁」は「視を一にし仁を同じくす」と読み、「一視」は平等に見ること、「同仁」はすべてに仁愛を施すことです。一視同仁は依怙贔屓(えこひいき)の反意語で、ほぼ公平無私という意味で、すべての人を分け隔てなく、平等に愛することです。
「一視同仁」は中唐の文人政治家韓愈(かんゆ、768-824)の『原人(人の本質を原(たず)ねる)』の中に出てきます。韓愈は古文復興運動を勧め、儒教の復興を目指し、古文復興運動を提唱しました。「原人」、つまり人の本性を探ることによって「一視同仁」の主張となるのですが、人の本性は同じどころか多様性に満ちています。人の本性(Human Nature)は依怙贔屓の塊、好き嫌いの塊であり、個人差に溢れています。しかし、その違いを乗り越え、「一視同仁」の扱いをすることは民主主義のスローガンにさえなってきました。人には差異があり、それが個人差として、個性として、社会的に認められてきたのに対し、人の権利として自由で平等でなければならないと叫ばれたのです。ここで改めて私が述べる必要もないことですが、「異なる個性、形質をもつ人たちを一視同仁の立場から捉える」ことは実はとても厄介で、困難なことです。でも、人はその途方もない願いを目標にして、今でもその夢を飽くことなく追い続けています。
個性、多様性、相対性を認めながら、自由平等を訴えることが一視同仁の主張であったとすれば、金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」の「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」も同根の主張と言えるでしょう。「ちがっていても、みんないい」と言えるにはちょっとした仏教的な悟りが必要かもしれません。
「私と小鳥と鈴と」
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
金子みすゞは1903(明治36)年山口県大津郡仙崎村(現長門市仙崎)に生まれました。大正後期に童謡詩人と呼ばれ、どの作品からも優しさに貫かれた「一視同仁」の独特の宇宙が滲み出ます。みすゞは23歳で結婚し、娘を授かりますが、4年で離婚。みすゞは親権を要求しますが、受け入れられず、そのため、1ヶ月後に娘を自分の母に託すことを求めた遺書を残し、服毒自殺します。とても短い一生でしたが、その詩は恐ろしい程に哲学的な優しさ、美しさに満たされています。
以下に金子みすゞの作品を二つ挙げます。
「星とたんぽぽ」
青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
散ってすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
「雀のかあさん」
子供が
子雀
つかまへた。
その子の
かあさん
笑つてた。
雀の
かあさん
それみてた。
お屋根で
鳴かずに
それ見てた。
「雀のかあさんが何を見て、何を感じたか、なぜ見ているだけだったのか」と子供たちに問われると、私は答えに窮してしまうのです。童謡の背景にある神話や宗教、子供たちの心理からでは説明できない「一視同仁」の思想が通奏低音として響いているのですが、具体的に答えるにはまるで不十分なのです。