修那羅大天武とは一体誰なのか?

 朝日新聞デジタルの「純朴な石神仏800基並ぶ修那羅山 鳥居の先に広がるパワースポット」という記事に、妙高市出身の修験者修那羅大天武が創建した安宮神社と石神仏群が紹介されていました。そこで、少し調べてみると、次のようなことがわかりました。

 修那羅峠(しゅなら峠、しょなら峠)は長野県小県郡青木村田沢と東筑摩郡筑北村坂井の境にある峠で、かつては「安坂峠」と呼ばれていました。でも、修那羅大天武が広く庶民の信仰を集めたことによって、修那羅様への参道として、「修那羅峠」と呼ばれるようになりました。その峠に地元の人が「ショナラさま」と呼ぶ「修那羅山安宮(やすみや)神社」があります。修那羅大天武という修験行者が江戸時代末期の安政年間に、土地の人に請われ雨乞いの法を修して信頼を得て、古くから鎮座する大国主命の社殿を修し、安宮神社の開祖となります。修那羅大天武は全国の霊場を巡って約60年修行し、この地で弟子たちとともに更なる修行を積み、人々の信仰を集めました。没後は地域の人々に偲ばれ、彼を開祖とする現在の神社が生まれました。

 修那羅大天武は1795(寛政7)年、現在の新潟県妙高市大鹿に生まれ、60年間に渡り全国各地で修行。本名は望月留次郎。1882(明治5)年に現在の長野市篠ノ井で78年間の生涯を閉じました。9歳で天狗に従って家を出て、名山・神社仏閣を巡って修行を重ね、この間に学問は豊前坊という岳天狗に習い、越後の三尺坊からは不動三味の法力を授けられて、霊験を身につけました。信濃の地で弟子や信者たちと修行を行い、各地から人々が集まることになりました。村人たちは、願いをかなえてもらったお礼に手づくりの石仏・石神を奉納し、その熱い信仰と感謝の気持ちが積もり積もって800余体となりました。

 以上は私がとりあえず集めた情報ですが、偉人というより、超人と呼びたくなる異能者修那羅大天武について調べ、考えてみたいと思います。