大袈裟な比較?:ヨーロッパの「人間」との比較

 16 世紀の大航海時代はヨーロッパの人々を様々に刺激し、ヨーロッパは啓蒙時代に入り、新しい人間観が生まれました。それを生み出したのは合理主義と個人主義でした。

 近代思想の創始者ルネ・デカルト(1596-1650)は「我思う、故に我在り」を第一義にして、テキスト注釈中心のスコラ哲学に対し、数学を基本にした確実な知識を探究しました。それは伝統を拒否し、合理主義を採用し、当時のスコラ哲学を否定するものでした。合理主義者、個人主義者であるデカルトは自然を客観的な対象と捉え、数理科学によって世界を理解しようとしました。

 デカルトと同時代を生きたのがブレーズ・パスカル(1623-1662)。彼は宇宙の驚異に畏れ、孤独感に苛まれます。無限大の宇宙に対して人間は実に儚い存在。そのような絶望感の中で、彼は人間の地位を「考える葦」に喩えます。パスカルは自然と宇宙に対して思考する人間という関係の中に人間の特徴を見出すのです。人間は自分が惨めであることを知っている。だから、彼は惨めである。だが、彼は偉大である。なぜなら、惨めであることを知っているからだ。このパスカルの自覚は現実の悲惨さの中の自己の尊厳を表しています。デカルトの「考える自我」だけでは人間の謎は解けません。パスカルは「幾何学的精神」に対立する「繊細な精神」を説き、繊細で矛盾を孕む人間の精神はこの第二の方法によって解明されるべきと考えました。

 ライプニッツ(1646-1716)はあらゆる学問をマスターし、同時にそれらを一つにまとめようと試み、「一つのものに還元された多様性」を追求しました。そこで、彼は万人に共通する言語と普遍的な記号学(普遍数学)を考案しました。そして、新しい自然科学の精神とキリスト教の根本原理とを和解させようと生み出されたのがモナド論でした。

 初期のカント(1724-1804)にはまだキリスト教的な枠組みが残っていますが、それが消滅し、哲学が神学から解放され、近代的な主体性を示す「自由意志」は「自律」として確立されることになります。カントは理性的存在者たる人間を道徳的存在者としても捉えています。カントは道徳性の主体であるかぎりの人間性に神聖性と完全性をつけ加え、「人間の尊厳」を道徳性と結びつけて考えています。

 このように啓蒙思想を導いてきた多様な理性の光は、近代市民社会に大きな変化をもたらします。これによってヨーロッパは啓蒙時代から革命時代に移行します。フランスの人権宣言、アメリカの独立宣言が示すように、人々は人権を所有し、政治の目的はそれを保証するように変わります。政府は人権を維持し、擁護するために存在し、その限りで権力を行使することができます。そこでは、人間が生まれながらもっている権利、つまり自然権として人権の不可侵性が認められています。

 西欧で確立された人間観は21世紀に入り、様々な問題を引き起こしています。幕末から明治にかけての修験道絡みの話をヨーロッパでの人権としての人間観の確立と比べた時、比較すること自体が無謀なことだと多くの人が思う筈です。その当たり前に見える反応は、上述のような歴史的理解が一般的に教えられ、修験道や占い師の話は古い時代の民間信仰に過ぎないという常識が下敷きになっているからではないでしょうか。

 修那羅大天武を代表として、信州や越後の人たちの人間観はどのようなもので、それはデカルトやカント後のヨーロッパの人々とどのように異なっていたのか。こんな問いを少し真面目に考えてみるのも故郷を見直すきっかけになるのではないでしょうか。彼が没する明治5年に修験宗は明治政府の「修験宗廃止令」によって禁止されます。その意味で修那羅大天武は江戸期最後の修験者の一人でした。