決定論は、すべての出来事はそれに先行する出来事によって完全に決定されている、と主張します。すると、ただ一つの未来が過去によって決定されていて、偶然的なものが存在する余地はどこにもないことになります。したがって、行為を決定するために複数の選択肢を前提とする自由意志は、その存在が否定されることになります。
しかし、もし決定論が主張するように、意志決定の自由が存在せず、すべての行為が因果的に必然的であるならば、行為に対する人間の責任はないことになります。ここに、自由な行為の余地を求めて人間の意志決定を特別視し、自由な選択を可能にする非決定性の存在を主張する非決定論が唱えられる理由があります。
現在の私たちは自らの意志を自由に決定できると考えている一方で、未来の出来事は十分な知識をもつことによって予測できるとも考えています。この二つは常識的には両立しません。既にギリシャの昔からこのことが問題になり、「決定論と自由意志」、あるいは「決定と自由」の問題として議論されてきました。端的に、「自由と決定は両立するのか」という問題です。
<古代>
メガラ派は論理的決定論を主張しました。排中律によってどんな命題も真か偽のいずれかでなければなりませんから、現実に起こる出来事を述べた命題はそれが起こる前から常に真であったということになります。そこから、あらゆる出来事ははじめから起こるべく定められているという決定論が導かれます。アリストテレスは、人間の行為に左右される出来事に関しては、このような決定論が成り立たないと考えていました。彼は行為の初期条件として「随意性」と「不随意性」(強要と無知)をあげ、排中律に基づく論理的決定論を行為論へ適用することには懐疑的でした。
同時代のストア派は、すべてが運命によって生じるとしながら、同時に自由な行為の余地をも主張しようとし、運命の不可避性を必然性から区別するとともに、原因に種類の区別を設けました。またエピクロスは、原子論的唯物論を採りながら自由意志の存在を自明とし、原因をもたない偶然的逸脱を原子の運動に認めることによって、その存在の余地を生み出しました。
アカデメイア派のカルネアデスは、どんな出来事も原因によって起こる、人間の意志決定は先行する外的原因によらず、意志そのものの自然本性を原因とするゆえに自由である、と主張しました。
<中世:キリスト教>
キリスト教世界では神学的決定論が問題になります。中世以降は神の全知、全能、完全性を前提にした決定論が主張されました。神が全知であれば、あらゆる真理は神によって予知されることになりますから、決定論が容易に導かれます。また、神が全能であれば、神はあらゆる出来事を前もって予定することができるはずです。自由意志による人間行為についてアウグスティヌスはこれを神の全知とは矛盾しないと考えましたが、人間の救済は全能の神の選択によるものですから、人間の意志には左右されないとみなしていました。中世では、神の全知・全能と人間の自由意志との関係が問われ、神の予知と予定による神学的決定論が唱えられる一方、永遠性と時間性との区別を根拠にして、人間の自由と責任の救済が試みられました。
キリスト教の時代になると全知・全能の神との関わりの下に、決定論の問題は新たな様相を帯びることになりますが、これに対応した周到な考察を行ったのがアウグスティヌスです。彼は、神の予知と自由意志との関係について、神のものであれ人間のものであれ、およそ予知が意志の自由を排除することはないと論じました。
自由意志という人間の自由の根幹に関わる問題は古くて新しい哲学的問題であり、絶えずある種の決定論との対決のなかで主題化されてきました。中世哲学ではそれは神の全能性を前提にした上で問題となります。神は創造主として世界のあらゆる出来事を把握し決定できます。そのなかには人間に関わるすべての出来事も含まれるので、人間はそのすべてを神によって決定されることになり、その限りで人間は自由な存在ではないことになります。
物理的あるいは機械的な因果関係についての決定論は既に古代のデモクリトス、エピクロスの原子論にみられます。エピクロスは原子が運動する際に自発的に逸脱することを認め、ここに自由意志の働く理由を見出そうとしました。近世の機械論では、デカルトが心身二元論によって意志の非決定的自発性を認めたのに対し、ホッブズは唯物論に立って意志的行為といえども決定的な原因をもつとし、自由とはただその行為が外から妨げられないことであると解釈することによって、決定論と自由を両立させようとしました。
自然法則が発見されると、この問題はさらに深刻になります。神を究極原因とみて、自由意志を否定したスピノザに対して、ホッブズ、ヒューム、デカルト、そしてライプニッツらは、機械的な因果必然性と自由な行為の両立を説明しようとしました。
精神と物体を異なる実体と区別し、それによって二元論的哲学をつくり出したデカルトは、意志決定は純粋精神の働きであり、それゆえ、それは物体的世界の因果性から独立していることを強調しました。これに対してスピノザは、汎神論的な一元論に立って、自由意志の存在を斥けました。
科学革命の時代になると、こうした神学的な決定論からは解放されたものの、その代わりに登場するのが自然科学の決定論的世界像です。古典力学的な世界観によれば、力学法則が世界のあらゆる出来事を決定しています。そうなると、人間の意識から行為まで人間に関わるすべての事柄も古典力学によって原理上は説明可能になります。
この問題に関するホッブズの歴史的意義は、徹底的な唯物論を自由と決定の問題に適用したことです。その結果、行為に対して精神や主体のような非物質的なものが関与する余地は完全に排除されることになります。唯物論的決定論と自由意志との軋轢については、古代にエピキュロス派によって考察されていたと述べました。しかし、唯物論と自由を両立させるために原子の「逸脱、ぶれ(swerve)」という概念を導入して非決定論の余地を残したエピキュロス派と対照的に、ホッブズは因果的決定性をもった説明だけを許すという還元主義を貫徹しました。そして、その徹底ぶりは、自由意志を持つ主体としての私たちについての決定論的な因果的説明ができない以上、そもそも「自由な主体」という概念自体が実は理解できないものであると主張します。こうして、それまで自明とされていた「自由な主体」という概念が本当に整合的に理解できるのかどうかを問う、自由意志に関する「理解可能性の問題(the intelligibility question)」を引き起こすことになりました。
ホッブズの次の意義は、このような徹底的な決定論を採用しながら、それでいて、なおかつ人間は自由であると主張したことです。彼はいわゆる両立主義(compatibilism)を初めて明示的に主張したのです。ホッブズによれば、私たちが整合的に理解できる「自由」の概念は「強制からの自由」以外にはありません。そして、そのような自由であれば、因果的な決定論と両立すると考えました。すなわち、決定論と自由は両立しないという自明の前提が崩され、いわゆる「両立可能性の問題(the compatibility question)」に対して肯定的に答えられることになったのです。
しかし、「決定論と自由が両立可能である」という一見過激に見える主張も、ホッブズが徹底した唯物論者であることを考えるなら、実はごく自然な帰結でした。というのも、ホッブズの意味での自由とは、自由落下する石でさえもまさに「自由」であると言えてしまうような、無害化され、漂白された自由でしかないからです。極言すれば、彼の両立論は、自由意志を持つはずの私たちを、いわば落下する石のような存在者とすることによって成立するものでした。落下する石は強制されていないので、自由に落下します。同じように、運動する私たちも強制されていないので、自由に運動するのです。唯物論的決定論者であるホッブズにとっては、これが私たちが自由であることであり、彼には何ら抵抗のない立場でした。問題は、果たして私たち自身もそれを私たちの自由であるとして受け入れられるかどうかということです。こうして、自由についての「意義の問題(the significance question)」も、結局ホッブズによって顕在化されることになります。
ヒュームとカントが関わるのは心理的な決定論です。既に述べたホッブズと同様な考え方は、ロックやヒュームの経験論的な心理分析にもみられます。ロックによれば、自由な行為とは、意志によって選択される行為のことですが、意志は好みや欲求によって決定されます。ヒュームは一般に因果関係は現象の恒常的な継起に過ぎないと考えましたが、人間の自由意志による行動も、そのような恒常的な要因が見だされるものであり、これなしには道徳も成立しません。しかし、カントが自然法則と道徳法則を区別し、道徳的責任は同一条件のもとでの別な行為の可能性を予想することを指摘したように、道徳的領域における決定論と自由の問題はいっそうの困難を含むものとなっていきました。
カントは物質と精神の二つの世界の共存と人間存在の二重性のテーゼに基づいて、自由を非決定性ではなく、道徳法則による自己決定性と理解して、自由と決定論との矛盾を解消しようとしました。
カントはそれを『純粋理性批判』のなかで第三アンチノミーとして定式化します。テーゼは「自然法則に従う因果性が唯一の因果性ではなく、それ以外に自由の因果性を想定する必要がある」と主張し、アンチテーゼは「世界のすべての出来事は自然法則に従い、それゆえに自由は存在しない」と反論します。こうして自然科学の提供する世界像のなかに人間的自由をどのように位置づけることができるのか、あるいは両者の折り合いをどのようにつけるかという自由意志と決定論をめぐる問題のカント的な枠組みがつくられました。
<現代の決定論>
カントの場合は、アンチテーゼを現象界に、テーゼを叡智界に振り分けるといった二世界論的な両立論であり、いわば「柔らかい決定論(soft determinism)」です。それに対して、人間の自由か世界の決定性のどちらかのみを肯定するのが普通で、世界の決定性を否定すれば、「自由意志説」となり、世界の決定性のみを肯定すれば「固い決定論(hard determinism)」になります。
20世紀に入ると、決定論と自由意志との両立不可能性を唱える論者と両立可能性を唱える論者とが対立し、現在も論争が続けられています。
主な両立不可能論には次のものがあります。1)自由意志擁護の立場に立ちながら、〈自然法則と過去の世界の状態との両方が現在の行為を含意する〉という論理的な関係に依拠して新たな論理的決定論を呈示し、両立可能論を論駁することによって決定論を斥けようとするのがヴァン・インヴァーゲンの「帰結論証」と呼ばれるものです。2)デカルト的非決定論をカルネアデス的な行為者内在原因の主張と組み合わせることによって、因果法則的な決定性を免れた第一原因としての自由意志の存在を主張し、人間の責任と決定論ばかりでなく、また単なる非決定と両立不可能性をも回避しようとするのが、チザムの「行為者因果説」です。
これに対して両立可能論には次の二つが有名です。3)ヒューム的決定論を発展させ、自由意志を強制や拘束が排除された随意性に帰着させた上で、自由意志が前提する選択可能性については「条件法分析論証」に従って、「もしも人が他の仕方で行為することを選択したならば、他の仕方で行為したであろう」という意味に還元するのがエアーの議論です。4)デネットは、自由な選択の余地を、人間の認識が有限であることによって可能となる、主観的で相対的な「認識的可能性」に求めます。
分類と列挙というつまらない話になりましたが、現在でも「自由と決定」に関して決定打がないということです。自由意志を認めなければ議論は単純でわかりやすいのですが、私たちは経験的に自由意志をもつと教えられ、実際そのように信じて生きています。通常は固く信じていればいいのですが、それを疑い出すとどこにどのように自由意志があるかうまく説明できなくなるのです。その意味で自由意志は心がもつ謎の一つなのです。