これまで二度修那羅大天武について記してきました。主な資料は信州のもので、それも多くの人には信じがたいものだった筈です。ところが、彼の生まれ故郷である妙高市の大鹿の資料は何もありませんでした。そこで、手に入る範囲の大鹿に関する情報を探してみました。
現在の妙高市大鹿に多い姓を調べると、3番目が望月(1位内田、2位宮下)で、修那羅大天武の本名の「望月」が上位にあることがわかります。ひょっとすると、彼の親族の方々がまだ住んでおられるかもしれません。今では「大鹿庚申堂(こうしんどう)清水」の名前で、名水として多くの人に知られています。
有名になった清水近くの鳥居の脇には標柱が立てられていて、そこには「安宮神社参道入り口」と記されています。庚申堂は庚申信仰に基づいて建立された仏堂で、しめ縄が張られた大鹿庚申堂の境内から清水が湧出しています。
そんな情報をまとめている時に思い出したのが「妙高かるた」。妙高村周辺の歴史や自然をかるたとして子供用にまとめたものです。かるたの札は「お」で、「大鹿出身 神様になった しょならさん」とあり、「筆神楽」と呼ばれる占いによって信州の人々を助けたことが表現されています。説明文は「修那羅さん:大鹿に「安宮神社祭神誕生の地」と称する里宮がある。修那羅さんは江戸時代の寛政7年(1795)に大鹿で生まれ、9才頃に家を出て全国各地を修業し、霊験を得て安宮神社の祭神となった。…(省略)」となっています。このかるたの説明は私がこれまで書いてきたこととある程度符合しています。
大鹿では大鹿庚申堂が「安宮神社」とも呼ばれていて、修験道と庚申信仰が結びついていたことが窺えるのですが、修那羅山安宮神社から分祀されたものと思われます。