「諸行無常」は仏教の理念を示した「三法印(さんぼういん)」の一つ。三宝印は、
・諸行無常(世の中のすべてのものは常に変化し、永久不変なものはない)
・諸法無我(すべてのものは因果関係にあり、独立しているものはない)
・涅槃寂静(煩悩をなくすことによって、悟りの境地に達する)
で、この三つの考え方を心がけておくと、苦難から解放され、心穏やかに生きることができると説くのが仏教と要約したA君。さらに、「諸行無常」の類語を探し、『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」から「盛者必衰」を見つける。さらに、ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの「万物流転」、つまり、「世の中にある全ての物事は、変化し続けること」を思い出した。そして、それらの対義語として、「万古不易」、「永久不滅」を確認。
妙高市ではあちこちにSDGs(Sustainable Development Goals)が登場するが、それを訳せば「持続可能でよりよい世界を目指す国際目標」。目標は、環境、差別、貧困、人権といった問題を2030年までに解決しようという目標で、「持続可能な」は「人間の活動が自然環境に悪影響を与えず、長期間に渡って、その活動を維持できる」という意味だと確認。そこで、「SDGsは諸行無常、万古不易のいずれの考え方と両立するのか」と言うのがA君の問題で、まだ解答できていない。
旧盆の前後は祭りが多い。関山神社の火祭りは終わったが、日本中に火祭りは多い。「松引き」でいつもA君が思い出すのは二月堂修二会で、暗闇の中を大松明の火の粉が舞い上がるさまはこの世のものとは思えない。A君がこのように考えたのには理由があった。外観が少しも変わらず、ただ時間だけ流れているのが東大寺だと感じたのが司馬遼太郎。そして、彼は二月堂修二会の行法が兜率天(とそつてん)のコピーであり、歳月は宇宙のようにゆるやかだとNHKの番組で述べ、それをA君が視聴したからである。 彼には「兜率天の巡礼」(司馬遼太郎著『ペルシャの幻術師』収録)という短編がある。キリスト教の異端ネストリウス派は中国に伝わり、景教となり、それが日本に推古天皇や聖徳太子の頃に伝わる。その子孫の幻想の話が語られるのだが、A君は未読。
須弥山(しゅみせん)の訳は妙高山(みょうこうせん)で、我らが妙高山の語源。古代インドの世界観が仏教に取り入れられ、世界の中心の高山が妙高山。その頂上には帝釈天がいて、四天王や諸天が階層を異にして住む。そのような仏教世界観の天界の一つが兜率天で、内院と外院があり、内院は将来仏となるべき菩薩が住む所。A君は「天」が世界と神のいずれをも指すことに戸惑いながら、兜率天は諸行無常の世界ではないが、万古不易の世界でもないと判断した。
かつて、天災、疫病、反乱などは国家の病気で、そうした病気を取り除き、鎮護国家、五穀豊穣などを願うのが修二会。東大寺の長い歴史の中で、修二会は「不退の行法」として、1250有余年の間一度も絶えることなく、引き継がれてきた。日本の多くの寺社の祭りもこれに似ていて、関山神社の火祭りも1200年余りの歴史を持っている。この時の流れは万古不易に近い。兜率天のように変わらぬ行事が長い時の流れの中を生きてきた。