無常を感じて、それを表す

 人の死は人それぞれに特異な出来事でありながら、人であるゆえに、多くのものを共有しています。多くの人が無常を想い、感じてきました。死は苦しいものでありながら、宮沢賢治は「そこらは青くしんしんとして どうも間もなく死にさうです けれどもなんといい風でせう」と、無常の中の平穏を詠っています(「眼にて云う」)」。

 人々が共感する無常観はこれまで実に様々に表現されてきました。慈円の「昨日見し人はいかにとおどろけどなほ長き夜の夢にぞありける」は私たちが昨日は元気だったのにと思いながら訃報を知る時の気持ちが素直に詠われています。『萬葉集』から歌われてきた「無常」の歌に続き、『新古今和歌集』でも、「衰え老けゆく」、「亡くなる」、「はかなし」、「常なし」が多く用いられています。

 土岐善麿の「あなたは勝つものと思ってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ」は、戦後生れの私を孫の立場で祖父母の会話を盗み聞いているような気分に導くのです。無常の世界の世俗的な出来事への妻の立場からの慎ましい表明なのですが、寡黙だった妻の背後には多くの人の死があります。