言霊と祝詞、お経など…

 声に出した言葉は、出来事に影響を与え、良い言葉を発すると良いことが、不吉な言葉を発すると悪いことが起こると信じられ、日本は「言霊の幸ふ国」とされました(『万葉集』)。古代には「言」と「事」が同じでした。これが言霊思想で、アニミズム的な思想に言葉と心の存在が加わったものです。万葉時代に中国の漢字文化に触れ、大和言葉が自覚され、言霊信仰が生まれました。その言霊思想が自国文化を再認識する仕方で論じられたのが江戸時代の国学でした。

 祝詞(のりと)は祭祀で神に対して唱える言葉です。ノリトのノリは「宣る」の名詞形で、呪的に重大な発言をすることで、トは呪的な行為や物につける接尾語です。折口信夫は文学の起源を信仰に求め、呪言を想定しました。呪言には上から下へ宣り下す詞章と、下から上へ申し開きをする詞章があり、呪言は神が精霊に命令し、精霊が神に屈服する言葉です。これが天皇と臣下の関係に移行し、前者がノリト、後者がヨゴトになったというのが折口の考えです。

 お経は「仏の教えを説いた教典」ですが、祝詞は神を崇める内容の文章を神前で読み上げ、加護やご利益を願う神事です。『大祓詞(おおはらえのことば)』は「穢れ」、「罪」を祓う祝詞で、その言葉には「言霊」が宿るとされました。『延喜式』巻八「祝詞」には「六月晦大祓」として記載されていて、現在の大祓詞はこれを元にしたものです。前段では、葦原中国平定から天孫降臨し、天孫が日本を治めるまでが語られ、人が犯す罪の内容を「天つ罪、国つ罪」として、罪の祓い方が述べられます。後段では、祓を行うと罪、穢れがどのように消滅するか語られます。

 お経の内容は多岐にわたりますが、世界の真理、人が心安らかに生きていくための考え方、仏の恵みやご利益の素晴らしさ、といったものです。このような内容が、『〇〇経』として残っています。「お経」の「経」には道筋、過程というという意味があり、悟りへの道筋がお経です。葬式や法事で、亡くなった人の供養をする時にお経が読まれます。お経を読む目的は、釈迦の教えを学び直し、お経の功徳やご利益を頂き、感謝することです。お経はその内容がわからなくても、読んだり聞いたりするだけで功徳やご利益が得られるとされてきました。

 言霊思想によれば、言葉には神秘的、霊的な力が宿り、その言葉を口に出すことによって言葉に宿っている霊力が生まれます。『般若心経』は神道の「大祓詞」にあたるようなもので、その『般若心経』には私たちが生きる上で重要な教えが詰まっています。その教えは、世界の本質、その本質を知るとどうなるのか、そして、その本質を知る方法です。神仏習合のためか、神社の敷地の中にお寺があったり、お寺の中に神社があるところは今でもたくさんあります。今でも祝詞の一つとして、『般若心経』を唱える神社があります。

 祝詞、お経に限らず、声明、念仏、さらには讃美歌まで、様々な信仰表現があります。それらはどれも発声という身体運動につながり、恐れや穢れから心身を健康に保つことになると考えられて来ました。