社格や寺格

 神社に社格と呼ばれる身分、階級があったのは戦前までの話なのですが、「神宮」、「大社」という名称はそれだけで格式の高い神社であることを誇っているように見えます。戦後はそのような格式の区別あるいは差別はなくなり、民主的になった筈なのですが、私たちは相変わらず旧来の格式を盲目的に受け入れていて、格式の高さがご利益の高さにつながると思っているようです。人間は誰も平等というのが当たり前でも、神社は社格の違いがあるというのが当たり前という二重基準が未だに通用しているように思われます。多神教の神々に神格の上下があるように、神社にも社格の違いが今でも歴然と存在しています。その歴史は古く、平安時代から昭和21年にGHQによる神道指令によって廃止されるまで続いてきました。

 平安時代社格を定めたのが『延喜式』。朝廷から幣帛(神への捧げ物)が奉献される神社が「官社」ですが、「延喜式神名帳」にはその官社のリストが掲載されています。そこに掲載されている神社の数は、2861社。これらの神社は「式内社」とも呼ばれ、格式の高い神社とされてきました。掲載されていない神社は「式外社」と呼ばれました。

 明治時代には新しい社格制度が整えら、神社は「官社」と「民社」に分けられることになります。神祇官の管轄である官社は更に官幣、国幣、別格官幣社に分類されました。地方官の管轄である民社は府・藩・県社と郷社、村社、無格社に分けられました。戸隠神社社格国幣小社。斐太神社は式内社で、社格は郷社。関山神社は式内社の論社で、社格は県社。戦前まではこのような社格によって神社を分類し、身分づけをしていました。

 では、仏教に関して社格に似た寺格はあるのでしょうか。『延喜式』では官寺も定められていました。さらに、天皇祈願寺は「勅願寺」と呼ばれました。中世には皇族・貴族が住職を務める門跡寺院ができます。官寺や門跡は、朝廷における序列ですが、鎌倉幕府臨済宗の「五山」の寺格を制定し、それに続く室町幕府では、それを発展させ臨済宗寺院を五山・十刹・諸山・林下に区分したことから、その他の諸宗派内部の序列、格式としての寺格が成立しました。江戸幕府は本山-末寺の寺格制度を導入し、各宗派の本山を通じて仏教界全体を統制しました。明治維新後、政教分離により、国家による認定がなくなります。でも、現在でも各教団ごとに、大本山、本山、別格本山といった本末関係に基づく寺格(寺院等級)が存続しています。

 多神教の神々は神話の中で神格だけでなく、様々な特徴、役割が付与されています。これはギリシャ神話や日本神話を見れば明らかです。神々の社会があり、そこには神の身分があり、神格をもった神々がいます。とはいえ、神格や仏格は人格ではなく、社格や寺格とも異なります。神や仏への私たちの信仰は社格や寺格に左右されるとは考えたくないというのが建前であっても、実際には自分が住む場所の神社や寺より伊勢神宮本願寺の方がご利益があると考える人が多いのもまた確かなことです。信仰は自由で平等であるべきなのですが、俗世ではいまだに神も仏も不平等の世界の存在であるようです。