「妙高山関山神社」と神仏習合

 妙高市には関川、関山があり、いずれもかつては村だった。二つの地名は山や川に因んでいるのだろうが、私には正確な由来がよくわからない。とはいえ、関川関所、関山神社は今では共に有名な観光施設になっている。

 今年の関山神社の火祭りのポスター(画像)を見ると、「令和五年妙高山関山神社火祭り」の文字が中央で踊っている。「妙高山関山神社」とは言い得て妙で、私に宝蔵院の日記の名称「妙高山雲上寺宝蔵院」を連想させるのである。それは関山権現の神仏習合の歴史を無意識に表現しているとも、あるいは意図的に表現しているとも言えそうなのである。修験道の修行者が意図的に「妙高山関山神社」という正に神仏習合的な表現を使ったのだとすれば、実に心憎いポスター表現になっている。一方、「妙高山関山神社」は神仏習合の長い歴史が未だに消えずに残り、それが図らずもポスターの表現に登場してしまったとも考えられる。意識的、無意識的のいずれであれ、神仏習合の深い刷り込みがポスターの字面を通じて滲み出ているのではないか。

 ところで、寺院の正式名称は○○山○○院○○寺で、それぞれ山号院号、寺号である。浄土宗総本山の知恩院は「華頂山知恩院大谷寺」、浅草寺の正式名は「金龍山伝法院浅草寺」 である。江戸時代の宝蔵院は東叡山寛永寺の直末の寺院であり、歴代の院主は本山から任命された。ところで、宝蔵院流槍術は奈良の興福寺宝蔵院主胤栄が考案した十文字槍を使った槍術。俵星玄蕃宝蔵院流の天下無双の槍の名人であるとされ、三波春夫の名曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃」の前口上で紹介されているし、私が大好きだった漫画「赤胴鈴之助」には宝蔵院流槍術の使い手岳林坊が登場する。そんな私の記憶を離れ、上述の寺院の正式名称に従えば、「妙高山宝蔵院雲上寺」ではないのか。日記の名称と寺院の名称のズレは何を示しているのか気になる。だが、調べてみると、「江戸時代初期より天台宗東叡山末妙高山雲上寺宝蔵院と号した」とあり、日記の名称は寺院の正式名称だったのだ。

 私のとりあえずの結論は、寺と院の違いはファーストネームとミドルネームの違いのようなもので、順番が入れ替わっても時には不思議ではない、というもの。

高台寺は京都にある臨済宗建仁寺派の寺院で、北政所が秀吉の冥福を祈るため建立。山号は鷲峰山。寺号は高台寿聖禅寺で、院号高台院にちなむ。

*「神宮」は伊勢神宮を指す正式名称。また、霧島神宮平安神宮明治神宮などもある。「神社、社」は一般の神社に対する社号として使われている。「宮」や「大社」の社号の他に、神仏習合の影響による「権現」も社号に類するものとして使われている。