天狗の鼻

 「天狗は鼻が長いのか、それとも高いのか」という問いの前に、「ゾウは鼻が長い」の主語はゾウなのか、鼻なのかが、かつて話題になり、「一つの文中に二つの主語がある」という日本語文法の特異性が問題にされたのが思い出されます。今日の問いは文法ではなく、表現上の意味の問題で、多くの人は「天狗の鼻は長く、高い」と答えるでしょう。「天狗になる」という言葉があり、「うぬぼれる」という意味です。「鼻が高い」(誇らしい、得意である)の慣用句と、天狗は鼻が高いという伝説が下敷きになっています。これらを知らなければ、「天狗になるな」という表現は意味不明です。

 「天狗」は天の狗(いぬ)という意味で、神社の狛犬からわかるように、本来の意味は「お遣い」、「使者」であり、中国の「天狗」は凶事を知らせるものでした。ところが、日本での天狗は仏教、特に密教とともに広がります。古来、日本の山々には神がいると考えられてきましたから、人間にわからない事象を山の天狗の仕業と思うようになっていきました。つまり、天狗は神仏習合の作品の一つで、鬼に似ているのです。

 高下駄を履いた山伏風の姿になったのは鎌倉末期で、全国的に広まったのは江戸時代と言われています。鼻ではなく、くちばしが長い姿の烏天狗の時代が長く続きました。霊山で修行をする山伏たちが使う術が天狗の妖術と重なり、烏天狗の姿はくちばしのある山伏姿となりました。現在も、この烏天狗姿の像が幾つかの寺社に残されています。

 天狗は鼻が長くなり、より人間的な姿に変化していく過程で、翼を失い、飛翔するために手に団扇を持つようになりました。天狗は基本的には「妖怪」で、悪さをし、祟り、堕落したものです。「天狗=怨霊」であることを示すのが平安時代崇徳天皇の怨霊です。堕落した僧侶も天狗と呼ばれ、破戒僧は天狗道に落ちると考えられていました。

 ところが、強大な力を持った天狗たちの中から、各地で人々を助け、天変地異を防ぐ正義の味方が生まれてきます。多くは、京都・鞍馬寺愛宕山、東京・高尾山などの霊山に住む天狗たちで、やがて彼らは神として崇められていきます。信州飯縄山に住む飯綱三郎は戦勝の神として信仰され、上杉謙信武田信玄などもその信者でした。飯縄権現は日本第三の天狗といわれ、謡曲鞍馬天狗」に「飯縄三郎」という天狗で登場します。白狐に乗った剣と索を持つ烏天狗形で表された飯綱権現は神となった天狗であり、戸隠や飯縄の山岳地域の風土と修験道から生まれた神です。