鬼は冥界の存在

 今日は節分で、豆をまく。豆まきの理由は、季節の変わり目には鬼(邪気)が生まれ、それを追い払うため。寺の節分会では法要とともに豆まきが行われる。鬼の面を描き、豆をまいた節分の鬼が思い出される。

 鬼は(1)祖霊や地霊、(2)天狗、(3)邪鬼、夜叉、羅刹などに分けられるが、ここにも神仏習合が浸透していて、様々な要素が混淆しているのが日本の鬼。「鬼(キ)」 は「死者の魂」を意味していた。元々は死霊を意味する中国の鬼が6世紀後半に日本に入り、日本に固有の古来の「オニ」と重なり、「鬼」になった。古来の「オニ」は祖霊や地霊であり、「一つ目」の姿をもち、死霊というより民族的な神の姿を彷彿とさせる。また、説話の「人を食う凶暴な鬼」のイメージは平安時代の人々が冥や闇に感じていた恐怖の具体化である。

 鬼とは顕の世界に侵入する冥界の存在である。平安時代から中世にかけての説話に登場する多くの鬼は、怨霊の化身や人を食べる怪物である。京都の大江山には酒呑童子と呼ばれる鬼の親分が住み、京の町で拉致した若い女性の肉を食べていたという。社会不安の中で頻出する人の死や行方不明は冥界の鬼の仕業と解釈された。鬼は冥界からの来訪者であり、人を向こう側の世界に拉致する悪魔だった。

 平安時代には仏教経典に鬼が描かれ、人々に大きな影響を与えた。『源氏物語』に登場する鬼は怨霊で、女性の姿で出てくる。能の世界には多様な鬼が登場する。鬼退治の能には「紅葉狩」、「土蜘蛛」、「大江山」などがある。人の情念が鬼となる能には「道成寺」、「葵上」、「安達原/黒塚」などがある。また、「土蜘蛛」や「大江山」は土蜘蛛や酒呑童子という鬼を退治する英雄譚である。「道成寺」や「葵上」では、想い人に裏切られた女性が鬼女になってしまう。「安達原/黒塚」」では、鬼として生きてきた自分への深い後悔と、それを隠したかったのに暴露されてしまう老婆の悲しみが描かれている。

 こうして、冥と顕との習合によって人と鬼とが共存し、交流し合う世界が現出し、それが中世の世界となり、現在までつながっている。とはいえ、今日は鬼を追い払う日である。