さいの神

 マーティン・ルーサー・キング・ジュニアMartin Luther King, Jr.)は「I Have a Dream」(私には夢がある)と呼びかけましたが、私には既に大した夢はないのですが、それでもまだ残る僅かな記憶と、その記憶から生まれる知りたいことがあるのです。

 まず、私の記憶の中に「さいの神」があるのかどうかで、まるで自信がないのです。妙高市上越市には「さいの神」の風習が数多く残っているのですが、私自身の怪しげな記憶では一回しかそれに参加した経験がないようなのです。私が生まれた近くの空き地で見たような気がするのですが、これがまるで自信がないのです。その他には「さいの神」の記憶は私には一切ないのですが、そのことさえも私自身が参加しなかっただけなのかも知れないのです。

 2020年の「さいの神」の妙高市での実施状況を「上越タウンジャーナル」の記事で見てみると、1月11日から13日の間になんと54か所で実施されているのです。私の生まれた地域の近くでも、小出雲3丁目や学校町の会場が挙げられています。上越市の「さいの神」の実施数はこれを遥かに上回りますから、頚城地域の「さいの神」の伝統はしっかり残っているのがよくわかります。「さいの神」は民俗学的にとても重要な行事ですから、もっと注目されてしかるべきなのです。

 このような今でも盛んな「さいの神」行事を見ると、子供の頃の私の「さいの神」の記憶はまるで信用できないことになるのですが…何とももどかしい限りです。

 「さいの神」は、全国的には左義長(さぎちょう)と呼ばれ、平安時代宮中行事で、3本の毬杖(ぎっちょう)という呪術をまとった杖に、扇子などを巻きつけ燃やし、その霊力で魔を払うという「三毬杖(さぎちょう)」に由来し、これが民間に広まったようです。また、道祖神の祭りとされる地域も多く、道祖神祭の名で呼ばれるところもあります。福島、新潟、富山では、「さいの神」、西日本を中心に「どんど焼き」と呼ばれています。

 道祖神祭りとも呼ばれていることからも、「さいの神」は道祖神を表しており、「邪霊の侵入を防ぐ神」→「さえぎる神」→「さえの神」→「サイノカミ(賽の神)」と変化したとも言われています。

 ところで、中国で紀元前から祀られていた道の神「道祖」と、日本古来の邪悪をさえぎる「みちの神」が融合して道祖神が生まれたと考えられていますから、ここにも中国と日本の神の習合をみることができます。ですから、私の「さいの神」の記憶が何かを知りたいことの次に知りたいのは「さいの神」の民俗学で、それも頚城地域の「さいの神」の実態ということになります。