ダリアとラナンキュラスの花

 冬の寒さなど無関係といった風に咲いているのがダリア。寒さに無頓着で、時を超えて存在するかのようで、それが堪らなく見事である。切ない風情などなく、何か即物的で、リアルである。人の造作の入らない姿は「花そのもの」、「花自体」と表現するに相応しく、端的にダリアそのものなのである。そして、「ダリア」という名前さえ余計なもの、邪魔なものに思えてくる。そう云えば、ものには本来名前などなかったのだ。

 ラナンキュラスは幾重にも重なった、明るい花弁が魅力的な秋植え球根。近年、切り花用品種を中心に改良が急激に進み、花色だけでなく、花形も変化に富んだ品種、香りのよい品種が登場している。丸く整った花姿はやはり気候とは関係ないかのように見事で、名前など忘れて、見惚れてしまう。

 一見すると、ラナンキュラスとダリアはよく似ている。だが、目を凝らすなら、二つの違いを指摘することは易しい。人の視覚は変幻自在で、人により、場面により、同じと違うが入り乱れる。「似ている」なら何が、「似ていない」なら何が、と問い直しても、それが判然としない場合がほとんどで、「同じ、違う」と同じように、「似ている、似ていない」も判定は意外にややこしいのである。

*4枚の画像はダリアとラナンキュラスが2枚ずつだが、ダリアを選び出してみよう。

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