『愚管抄』への素朴な疑問

 末法思想を背景に、冥顕論、真俗二諦論、道理を習合させて論述されたのが『愚管抄』だという日本史の解説の主張に疑問をもったことなどなかったが、それらが上手く習合しているかどうかが私の疑問である。つまり、それら三つの習合は無矛盾なのかと問うと、そうとは思えないというのが正直な私の感想で、歴史で習ってきた『愚管抄』の内容の一貫性についての専門的な論評を再検討したくなるのである。

 「道理」は古代中国で「道」と「理」の習合として成立した。物事がそうあるべき筋道、人の行うべき正しい道などが道理である。『荀子』、『韓非子』、『史記』などに登場し、日本でも『続日本紀』に現れている。ヨーロッパの似た概念を探すと、自然法や正義が道理に近い概念だろう。この「道理」の観点から日本歴史を通観し、歴史を支える理念を明らかにしようとしたのが『愚管抄』と説明されている。慈円は歴史における因果関係を「三世因果の道理」、歴史が推移することの必然性を「法爾自然の道理」、この世界が生長衰退することを「劫初劫末の道理」など、「道理」の必然的な展開としてとらえる一方、「道理」自体の変質も「うつりかはる道理」、「つくりかふる道理」という風に表現した。

 『愚管抄』の著者慈円は関白九条兼実の弟で、当時の代表的知識人であり、政治家、僧だった慈円について、次のように言われてきた。個人的には阿弥陀信仰をもっていたが、彼は最澄以来の「真俗二諦」、つまり、仏法と王法を統合する伝統に立って、歴史を貫く理法、すなわち「道理」を明らかにしようとした。真諦は世間的でない絶対的真理を、俗諦は俗世の真理を指す。大乗仏教では「すべてのものには実体がなく、空である」と知ることが真諦、言葉や思想で表現されるものが俗諦、そして真諦を表現するには俗諦に依存する必要があると説いている。『愚管抄』と並び、中世社会をささえる武家の政治理念を「道理」を中心に成文化したのが『御成敗式目』。この式目は武家社会の慣例と「道理」によって法の公平と国制の定立を図ったものである。

 このような常識的な理解について、素朴な疑問を挙げてみよう。

・既述の冥顕の違いを真俗二諦論はどのように説明するのか。冥界は俗諦なのか否か。

・道理は自然法、正義、あるいは史的弁証法のようなものなのか。

末法の世の道理が異なるなら、冥顕の区別も史的に変化するのか

 こんな簡単な疑問についても、すっきりした解答は厄介で、その理由はそれぞれの主張が整合的に習合されていない故だと、判断したくなる。その判断の蓋然性は極めて高いと私は思う。というのも、ヨーロッパでの自然法、正義論、聖俗の二重真理説の長い歴史をもつ議論を眺めれば、それらをすべてまとめて習合的に考えることはほぼ不可能と思われるからである。神と仏の習合、神仏と俗物の習合、冥と顕の習合、真諦と俗諦の習合という対が同じような習合ではなく、どれも異なることを考えると、異質なものが混淆しているだけと考えたくなるのは私だけではないだろう。