皇帝ダリアと辰巳団地

 昭和の風景の代表の一つが団地であり、それが今でも現役の辰巳団地。皇帝ダリアだけでなく、今のマンションの狭い庭には見ることができない多様な樹木、草花、野菜が栽培され、業者の手になる造園、植栽とはまるで違った植生風景を見ることができる。そんな中の一つが大きく伸びた皇帝ダリアで、背の低い植物を圧倒して伸びている。

 そんな辰巳団地でも昭和のアパートが次第に取り壊され、高層の新しいアパートが同じ団地内につくられ、次第に令和の風景に変わりつつある。その移り変わりがまた暫しの風景として私を惹きつけるのだが、すべて新しくなると、何とも平凡な団地風景になってしまうのだろう。それもまた寂しい限りで、今のちぐはぐな風景、完成後の風景が昭和の辰巳団地に勝るかどうか私にはわからないが、花壇も家庭菜園もなくなるのは確かだろう。

 辰巳団地(都営辰巳一丁目アパート)に入ると時間が逆戻りして昭和の世界だと錯覚してしまう。タイムスリップのような体験など滅多にないのだが、辰巳団地を歩くと、いつも同じ印象を味わう。それが懐かしく、甘酸っぱいのは私の青春と重なるからである。私が東京に出てきたのが昭和41年。初めて東京に住み、すべてが目新しく、その当時見た街の風景が辰巳団地のそれと重なる。それは私の青春の風景なのである。

 団地の建物のほとんどは昭和42年から44年までにつくられ、100棟近く3000戸以上ある大団地。5階建ての中層住宅が見事に並ぶ。現在は新築の高層住宅が三棟増え、さらなる建て替えが続いている。およそ50年の歴史をもつことになるが、時間が止まったかのような印象を与えるのは建物の大規模な修復がなかったためだろう。私の青春時代の東京の風景が残っているためか、私自身をその古い風景にはめ込みたくなる。はめ込まれた私は若返った私である。辰巳で自分が若いと錯覚することは、昔の自分を想起することの実にうまいやり方なのである。過去の自分を想起するには過去に住んでいた環境に自分を置けばよいのである(さらに、過去の友人、衣服、食べ物等、結局は過去のすべてが再現できれば完璧な想起になる)。住人はかつて工場、倉庫、港湾で働いていた人が多く、老人が多く、子供は少ない。辰巳は運河に囲まれていて、隣の東雲とは橋でつながっている。運河を隔てた対岸にはタワーマンションが並び、CODAN Shinonomeという名前の団地もある。こちらは若い夫婦と子供たちで溢れている。東雲はまさに平成、令和の風景で、昭和の辰巳とは好対照。モダンな東雲も昔は三菱製鋼東雲工場で、その跡地が現在の東雲団地群である。

 東雲を歩く私は現在の私。その私が辰巳橋を渡って辰巳1丁目に入ると、20歳台、30歳台の私に変わる。だからと言って歩きが軽やかになることはないのだが、若返った気分で昭和の街並みを歩くことになる。辰巳団地を抜けると、辰巳の森海浜公園、緑道公園が広がり、休日は親子連れがたくさん遊んでいる。その海浜公園の一角には東京オリンピックの水泳会場アクアティックスセンターができ上っていて、こちらは未来の風景。
 だから、辰巳団地はその両側を現在と未来に囲まれた、生きた過去(=私の青春)なのである。

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