「何事も謙信風に」と言われたら、あなたはどうしますか

 「何事も神の御心のままに」と言われても、キリスト者であれば、不平・不満をもつことはありません。門徒親鸞の教えを盲目的に受け入れます。信仰とはそのようなものだというのが常識です。でも、宗教を離れ、人の好き嫌いとなると事情は変わります。越後の人でも上杉謙信が好きな人ばかりではなく、嫌いな人もいます。そんな人が「何事も謙信のように考え、振る舞え」と頭ごなしに命じられたら、それは、強要、無理強いだと必ずや感じる筈です。それは迷惑極まりない命令だというのが、これまた常識です。

 「人生の第一義」は「道義に裏打ちされた生き方を貫くこと」というのが夏目漱石の主張で、彼はそれを『虞美人草』で巧みに描いてみせました。一方、「謙信風、謙信流」を強要するルールは、男子生徒に丸坊主を強要する校則のようなもの。とはいえ、「謙信風に」は謙信のどこを、何を見習えという具体的な指摘がない曖昧模糊としたもので、そのため、戦前の小学校に置かれていた二宮金次郎像とは違って、世間の批判に直接晒されることなく、これまで残ってきました。

 でも、「謙信風に」と子供たちに紋切り型で命じることには躊躇する人が多い筈です。どうして何事も謙信風にすることが正しくはないのでしょうか。「正しい謙信像」は相対的なもので、研究者、地元の人々、歴史的な常識などによって異なります。とりわけ、地元では「謙信の呪縛」とさえ呼べるような、英雄信仰が長く根付いてきました。歴史的な評価と英雄としての畏敬とは随分と異なります。

 地元での謙信像は仏教や儒教によって特徴づけられてきました。織田信長は謙信と違ってヨーロッパの科学知識を積極的に利用し、革新的な施策を実施しました。江戸時代は鎖国によって保守的な雰囲気が再び支配しましたが、それが明治になり、戦後になっても色濃く残ったのが故郷での謙信像で、謙信の考えを相対化し、乗り越えようというより、英雄謙信を讃えることに重きが置かれてきました。そして、それを象徴するのが唯一上越に残った謙信の遺品である泉岳寺山門の扁額「第一義」だったのです。