変化の歴史(4)
[原子論]
原子論はレウキッポスとその弟子デモクリトスによって唱えられた。デモクリトスは紀元前460年生まれなので、ソクラテスより10歳若い。彼の主張によれば、原子は不可分で、その部分の間に差はなく、原子の中は充満している。実在するものが複数である以外はパルメニデスの考えと一致し、アナクサゴラスやエンペドクレスのように多元論であるが、質的ではなく、量的な多元論である。各原子は一様、均質、無色、無味、そして不可分である。原子はサイズ、形、重さをもち、動くことができる。(つまり、ロック風には原子は第一性質をもつが、第二性質はもっていない。あるいは、原子は不変の本質的な性質と可変の位置や速さという状態をもっている。この点で、古典物理学の粒子の固有の性質と状態によく似ている。)
デモクリトスの原子論的な宇宙では原子が真空の中を動き、互いに結びつき、複合的な対象をつくる。これら複合的なものは二次的性質をもつが、それらは構成要素である原子の性質に還元できる。したがって、原子の複合は新しい性質の生成に見えるが、それらは原子に還元でき、実在的なものではない。実在するのは原子だけである。この考えは全く還元論的、機械論的である。原子の運動を説明するのに他の要因を何ら必要としない。また、ここでは因果的な決定論も成立している。個々の原子は自由に運動するのではなく、運動はすべて決まっている。原子の複合体も自由ではなく、構成要素である原子の運動の総和に過ぎない。すべての説明は原子からなされるという意味で構成的である。このような意味で原子からなる世界は決定論的で、そこには起こる現象についての新しい驚きは何もない。原子論は後で見るニュートン的な世界観にある点で類似しているが、量子力学によってもたらされた(原子に関する)非決定論的世界観とは大きく異なっている。
だが、古代の原子論には近代的な物理学の考え、ニュートン力学とも、量子力学とも違っている点がある。それは何か。原子論のそもそもの動機は物理学的な探求からではなく、パルメニデスとゼノンの形而上学的主張に由来する。原子は物理学的な要請からではなく、実在は一つで不可分というエレア派の見解に対処するための要請として主張された。では、どのような意味でデモクリトスの原子は不可分なのか。デモクリトスの答えは次のいずれかだろう。
1 原子を分割することは物理的に不可能である。
2 原子を分割することは概念的に不可能である。
1がデモクリトスの立場なら、部分に分けることが物理的に可能ではないにしても、原子の部分について語ることは意味があるだろう。だが、2の立場なら、原子の分割は技術的ではなく、概念的な不合理であり、全く意味をもっていないことになる。では、デモクリトスはいずれの立場なのか。これは研究者の間でも意見が分かれているが、2の形而上学的な意味に軍配を上げる人が多いだろう。
*ギリシャの自然哲学の中で最も卓越した科学的なアイデアが原子論である。だが、それが同時に優れた形而上学的なアイデアではないと判定されたのはプラトンやアリストテレスの哲学のためである。彼らは原子論に反対した。
[原子論と数学]
原子論では連続的変化を異なる数の原子によって表現しようとする。だが、その表現のための実数は当時知られていなかった。デモクリトスは物質だけでなく、空間も原子論的に考えたかもしれない。すると、一個の原子のサイズが原子的空間であり、測定の基本単位は原子のサイズということになる。この枠組では原子的空間の半分といった概念はないことになる。だから、デモクリトスは原子が理論的に不可分でも、サイズをもっていると言うことができる。だが、このような原子化された空間ではユークリッド幾何学が成立しない。というのも、ユークリッド幾何学では空間は連続的に分割できるからである。
例えば、正方形を考えてみよう。各辺の長さは原子を使って測定される。そして、ある整数が測定結果として得られる。(それは原子の個数である。なぜか。)では、辺の長さが1原子単位の正方形の対角線の長さはどうなるか。対角線を底辺とする二等辺三角形について、ピタゴラスの定理から、対角線の長さは2の平方根となる。これは無理数であり、原子単位では表現できず、結果として、この正方形には対角線が存在しないことになる。したがって、原子論的なユークリッド幾何学は成立しない。
次にゼノンの飛ぶ矢のパラドクスを考えてみよう。空間が連続的で、無限に分割できるなら、飛ぶ矢のパラドクスは容易に避けることができるが、不可分な原子を主張する原子論では空間が無限に分割できることを否定しなければならない。すると、ゼノンのパラドクスが重くのしかかってくる。どのように矢は原子からなる空間を動くのか。空間が分割できなければ、矢の先端は単位空間の端から別の端まで一挙に進まなければならない。ある瞬間t1に矢はある場所p1にある。少し後の瞬間t2に別の場所p2にある。そこで、t1とt2の間の任意の瞬間ti を考えたとき、矢はまだp1 にあるか、既にp2に動いているかである。これは連続的な変化を想定すると、越え難い難問に見える。
*連続的でない空間と時間:世界はどのようにつくられているか
物理世界で適当な長さをどんどん分割していったとしてみよう。直に私たちは分割される区間を眼で見ることができなくなるだろう。一体どこまで分割できるのか。際限なく分割することは可能なのだろうか。それともどこかで分割はできなくなるのだろうか。空間の連続性、分割性に関して現在ではどのように考えられ、それはギリシャの原子論が直面した難問に答えることができているのだろうか。
物理世界では分割がそれ以上できなくなる長さがあり、それが「プランクの長さ」と呼ばれてきたものである。最近の理論では、空間は無限に分割可能な連続体ではない。空間は滑らかではなく、顆粒状で、プランクの長さが顆粒の最小のサイズとなっている。このプランクの長さを通過する光が要する時間は「プランク時間」と呼ばれるが、想像できる時計の最短の時間である。これら二つの考えを組み合わすと、時間と空間は構造をもっていることになる。通常、特徴のない真空として考えられてきた空間はこれらの小さな単位、つまり、量子からつくられている。
空間の顆粒性のヒントはアインシュタインの一般相対性理論と量子力学を統一するという試みから来ている。相対性理論は重力の理論であり、量子力学は電磁気力、弱い相互作用、強い相互作用の三つの力の働き方についての理論である。それらの統一の結果は単一の枠組であり、しばしば量子重力と呼ばれているが、宇宙の粒子と力のすべてを説明しようとしている。さまざまな統一化の試みの中でもっとも際立つのが超紐理論と呼ばれる理論で、時空は微細な構造をもつことを強く示唆している。
古代ギリシャ以来、実在は実数の連続性のように完全にスムーズでなければならないという主張がなされてきた。二点をとったとき、それらがいかに近くともそれらの間には無限の数の点がある。他方、すべてのものは還元できない単位に分割され、その単位は自然数によって表現できるようなものだという主張もなされてきた。
19世紀の近代原子論の展開は宇宙が連続ではなく、不連続だという見方を優勢にさせた。20世紀の初頭、プランクが光さえ粒のようであることを見出したとき、さらにこの傾向は強まった。予想外の発見から量子場の理論が生まれたが、そこでは重力を除くすべての力が粒子によって運ばれている。科学者は重力も他の力と同じように量子的であることがわかるだろうと考えてきた。しかし、重力以外の力が時空の領域内で作用するのに対し、重力は時空そのものである。
時空の顆粒性が巨視的世界で認識されなかったというのは不思議なことではない。陽子や中性子をつくっているクオークさえプランクのスケールで存在する凹凸を感じるには大きすぎる。だが、つい最近、物理学者はクオークやその他のすべてはより小さい対象からできていると考え出した。それが超紐である。拡大鏡のもとでは織物の縦糸と横糸が見えるように、プランクのレベルで時空の織りは明らかになっている。最小のサイズという考えを最初にそれとなくもったのはプランク自身だった。むろん,彼はその長さの意味については確信がなかった。そして、その意味探しは今でも続いている。