量子の世界の不思議

 相対性理論の中の時間や空間の概念は私たちの常識からかなりかけ離れているが、よくよく考えれば十分納得でき、合点がいくものである。だが、20 世紀物理学の根幹にある量子力学の世界の不思議さは人間の理解を遥かに超えている。毎日それを使い、慣れ親しんでいる物理学者ですら、心から得心して受け入れている人は少ない。にもかかわらず、今のところ量子力学の正しさは経験上疑う余地がない。

1 量子力学の不思議

 1900 年イギリス物理学会の大御所であったトムソンは「Nineteenth-Century Clouds over the Dynamical Theory of Heat and Light」と題した講演で19 世紀末のほぼ完成したかに見える古典物理学の世界に二つの暗雲があることを指摘した。それはマイケルソン‐モーレーの実験と黒体輻射の問題だった。前者は相対性理論、後者は量子力学の発見につながり、現代物理学の根幹に成長した。相対性理論アインシュタインの寄与が圧倒的に大きい。量子力学の建設にもアインシュタインは光量子論の提案などで大きな貢献をしている。だが、量子力学は壮大な体系で、一人の天才の力で作り上げられるものではなく、たくさんの物理学者が関与してきた。また、その影響も相対性理論の比ではない。現代の科学技術のほとんどがその上に立っており、影響はますます大きくなっている。だが、量子力学を理解するのは専門家にとってさえ難しい。

*William Thomson: 1824-1907、絶対温度の導入、熱力学の第二法則の定式化、ジュール‐トムソン効果の発見、地球年齢の概算(放射能を知らなかったため正確ではなかった)などで知られる。その業績によって男爵となり、Kelvin 卿と呼ばれることになる。

 相対性理論が示した時間や空間の相対性は、日常の常識からはかなり奇妙なことだが、時間や空間の意味をよく考えてみれば理解できることである。違和感があるにしても、その理屈はわかる。それに対して量子力学の世界の不思議は人間の理解を超えたものがある。歴史的に見ても量子力学の建設の時期からその解釈についてはさまざまな議論があった。量子力学的な原子模型の提唱者であるボーアとアインシュタインの論争は有名だし、アインシュタインが最後まで量子力学を受け入れなかったこともよく知られている。しかし、腑に落ちない問題を抱えながらも、量子力学はあらゆる分野に応用されており、量子力学の正しさには今のところ疑う余地がない。量子力学はこの世を成り立たせている最も基本的な法則である。原子や分子の構成要素である素粒子の世界を知るには、電子や光を作り出している「場」についての理論が必要になるが、すべて量子力学の法則の枠内のことである。

2 量子の世界の特徴

  1. 微視的な世界では、物理系の状態の変化が不連続的に起こりうる(粒々には思えない物質が実は原子から成っていたように、滑らかに連続的に起こると思われていた運動も飛び飛びに起こることがある)。
  2. その不連続的な変化では、ある状態から移りうる状態が複数あり、そのどれにいつ移るかは全く確率的なことがらである(原因と結果の1 対1 対応がなくなり、決定論的な因果性が成立しない。移りうる変化が一意的でないのは私たちの知識がまだ不十分だからではなく、世界が本質的に不確定だからである)。
  3. 宇宙を作る単位となる粒子(必ずしも普通の意味のツブではない)があり、同種の粒子は全く区別ができず、本質的に同じものである。
  4. 科学的世界観の根幹と思われていた「素朴な実在論」は成り立たない(量子力学を深く知ったはずの多くの人が「量子力学は理解できない」と言うのは、とくにこのことを意識しているからである)。

3滑らかに変わるもの,飛び飛びに変わるもの

 前世紀初頭に生まれた量子力学は、物質を作っている原子という単位があることを認めるだけでなく、その原子がさらに構造を持ち、特定の変化をすることを見出した。もちろん、それ以前にも物理学は物の変化の様子を探求してきたが、それはすべて連続的な変化と考えられていた。ところが、原子の世界では場合によっては、飛び飛びの状態変化しか許されないということがわかった。ギリシャ以来の原子は、粒々だが、その運動は連続的なものだった。新たな知見は、物質の構成単位が離散的なだけでなく、その運動も離散的でありうるということである。量子力学の言葉では、このような変化は「ある物理系の状態が別の状態に不連続的に遷移する」と表現されている。

 量子力学によって最初に詳しく調べられたのは、最も簡単な原子である水素原子の構造だった。水素原子は中央に正の電荷を持った陽子があり、周りに負の電荷を持った電子が雲のように広がっている。古典物理学の世界では世界を記述する言葉は粒子の位置と運動量(あるいは速度)だった。だが、量子力学は全く違った言葉を使う。それは「状態」という考え方で、われわれが注目する対象全体(物理学では系、システムと呼ぶ)の様子を表し、数学的には成分が無限に多い複素数のベクトルで表現される得体の知れないものである。「状態」を知れば、それから必要に応じて個々の粒子の位置や運動量の情報を得ることができる。とりあえずひとつの水素原子に注目すると、その中のひとつの電子はある特定の「状態」をもっている、ということになる。この水素原子中の電子の状態が、エネルギーの異なる飛び飛びのも値に限られるのである。それぞれの状態で電子がどこにあるかというと、エネルギーの高い状態ほど原子核の陽子から離れて大きく広がっている。しかし、ある瞬間にどこの位置にあるかを知りたいと思うと、いろいろ面倒なことが起こる。状態は決まっていても、位置は定まっていない。ふらふら動き回っていて定まらないのではなく、この「状態」が水素原子中の電子の様子そのものなのである。状態は変化しうる。水素原子中でエネルギーの違う状態に「飛び移る」ことが可能である。これが「遷移」である。エネルギーの高い状態から低い状態に変わるときに、その差にあたるエネルギーを光として放出する。逆の過程が起きるのは、初めに光があって、それを電子が吸収したときである。しかし、あまり大きなエネルギーの光を吸収すると、電子は原子から飛び出してしまい、水素原子はイオン化する.状態間の遷移では、二つの状態のエネルギーは正確に定まっており、そこから出てくる光のエネルギーも正確に決まっている。いろいろな原子が同じように光を放出するが、そのエネルギー、つまり振動数はそれぞれに定まっている。このように、今までは連続的な量や連続的な変化だと思っていたもののなかに、離散的な値しかとらず離散的な変化しかしない場合があることが分かった。

 状態と状態の間の不連続的な飛び移りという考え方を最初に提案したのはニールス・ボーア(Niels Bohr: 1885-1962)である。ボーアは、水素原子が規則正しく並んだ飛び飛びの波長の光を吸収することを説明するため、この奇抜な考えを出した(1913年)。ふつうの力学と電磁気学の考えに従うと、水素原子中の電子は陽子の周りを回っている。すると電子は電磁波を少しずつ放出して、徐々に軌道は小さくなり、最後は水素原子がつぶれてしまう。ボーアは軌道が連続的に変化することを禁止した。ボーアがどのような原子模型を提案して、どんな結果を導いたのか調べてみよう。その後10年以上かかってでき上がった量子力学によれば,水素原子中の電子は原子核の周囲を回転しているわけではない。

 

 ここで「時間」の意味について補足をしておこう。原子から出てくる光は振動数が決っているから、これを時計に使うことができる。ここで重要なことは、原子は時計屋に並んでいる精密時計とは違って、どの原子もまったく同じものだということである。単に見分けがつかないのではなくて本質的に同じ物なのである。つまり、原子時計は絶対的に正確で狂わない、と言うよりは時間の進み方そのものを表すと言える。もしこの時計が遅れたらどうなるか? この時計だけでなく、あらゆる原子が同じように遅れる。あらゆる物の運動がみな同じように遅れる。相対性理論では「光速に近い速度で運動すると時計が遅れる」とか「強い重力場のもとでは時計が遅れる」と表現されている。このことを「時間が遅れる」と言うのである。しかし、どこかに絶対的な時間があってそれと較べて遅れるのではない。重力の影響がほとんどない、慣性系の時間と較べているのである。「もしそれも含めて遅れたら?」と言うような問いは立てられない。何故なら原子の世界の周期的な運動が時間そのものなのだから、この運動と離れた時間というものはない。存在するのは時間ではなく、時計なのである。原子や分子の振動を使った現代の時計は、その針の示すものが時間そのものとしか言いようがない。