年号

 年号と元号はほぼ同義でつかわれています。年号(元号)は「年につける称号」であり、漢の武帝の時(西暦紀元前140年)に『建元』と号したのが始まりのようです。日本の始まりは645年で『大化』と号しました。でも、年号と元号には違いがあります。明治天皇が即位し、改元がおこなわれた時、天皇がくじを引いて選んだのが「明治」でした。年に漢字の名称を冠したのが「年号」、天皇の即位から数えるのが「元号」です。
 西暦以外の暦を用いている国は少なくありません。イスラム暦や仏教暦だけでなく、台湾では「民国」という年号を使用し(民国元年=1912年)、北朝鮮でも「主体」(主体元年=1912年)が使われています。日本にもかつて皇紀(正式名称は「神武天皇即位紀元」)がありました。皇紀元年は紀元前660年で、明治5年に公的な暦として制定されました。江戸時代までの日本の年号は、天皇の代替わりごとに変えるだけでなく、災害などで変えることもありました。例えば、「慶応」はその始まりと終わりがどの天皇の即位とも対応していません。
 時間と空間はいつも私たちに様々な問題をもたらすのですが、その典型的な身近の例となれば、暦と度量衡です。時間に関わる暦、空間的な長さ、重さ、速さに関わる度量衡はよく似ている部分と異なる部分をもっていて一筋縄では扱い切れない、厄介なものです。ですから、時間と空間が如何に異なるか、そしてどれほど同じかを見極めるのはとても複雑な事柄を含んでいるのです。
 尺貫法からメートル法への移行は微かに憶えています。でも、子供の私には何の厄介もありませんでした。子供の頃のお相撲さんの身長体重は尺貫法で放送され、それを私は今でもよく憶えています。お相撲さんの体重は何貫、身長は何尺何寸と言われ、その取り組みをラジオを聞きながら楽しんでいました。
 貨幣の単位と度量衡の単位は違います。貨幣の単位は完全に恣意的であり、人が勝手につくったものです。でも、度量衡の単位はすべてが人によってつくられたのではなく、人が関与して生まれたものです。太陽暦太陰暦のような暦法になるとそれはより鮮明になります。暦法の作成には天文学の知識が不可欠で、これまで幾種類もの暦法がつくられてきました。西暦も年号も暦法を使ってつくりますが、暦法をつくるには西暦も年号も必要ありません。
 確かに恣意的ではあっても、そこには人々の望みが十分に反映されていて、多くの国民が良しとする年号が選ばれることになるのでしょう。年号は人の名前のようなものですから、その名前の付け方も似通っています。ですから、子供の名前をどのように付けるかに似た心持ちになるのではないでしょうか。