「ふるさと」に拘ることへの疑念

 私はこれまで私の「ふるさと」について述べてきました。生まれ故郷を離れることによって私自身によって意識され、私の記憶をもとに観念的に生み出されたのが私の「ふるさと」です。「田舎と都会」と「ふるさとと都会」との大きな違いは一体何なのでしょうか。田舎や地方が即「ふるさと」では決してないというのが私の世代の多くの人たちの考えだと思われます。

 私の世代より前、私の世代より後と比べると、私の世代は世間で団塊の世代と呼ばれてきた少々特異な世代です。私の「ふるさと」は唱歌「故郷」や石川啄木の和歌が多くの人によって共有され、それによって大衆化され、日本中に広がったものです。それは都会という異郷で追憶され、懐かしがられ、郷愁を誘う「ふるさと」です。私の子供や孫の世代は親の私の「ふるさと」を発見し、概念化して捉えるのかも知れません。かつて集団就職が盛んだった頃、つまり1955年頃から1975年頃までの農村部から都会への激しい人口移動の時期を通じて醸成された「ふるさと」が私の世代の「ふるさと」なのです。

 私は奈良時代から明治時代までの「ふるさと」を当然知らないのですが、内心では私の「ふるさと」はどの時代にもなかったように思えてならないのです。私と共通の体験は国替や江戸詰めで生まれ故郷を離れた武士たちが自分の生まれた場所を懐かしく思い出すという体験に見出すことができます。でも、他の大多数の人たちは異郷への移動を禁じられていましたから、追憶する「ふるさと」はなかった筈なのです。私の「ふるさと」は存在したとしても、極めて少数の体験に過ぎなかったのです。

 私の世代をN世代とすれば、(N-1)世代や(N+1)世代についてはどんな「ふるさと」をもっているか部分的には推測できます。でも、それが(N+n)世代となれば、見当さえつきません。彼らがどんな「ふるさと」をもっているのか私にはわかりません。また、大昔の人たちがどんな「ふるさと」をもっていたか、子孫たちの「ふるさと」がどうなるのか、まるでわからないのです。そもそも「ふるさと」は消えてなくなっているかも知れません。「ふるさと」の喪失とは無関係に生れ故郷が再生され、それによって新しい「ふるさと」が生まれるかも知れません。

 私の「ふるさと」を語るのに相応しいのは物語の形式によってであり、理論や事実をもってしてはうまく語ることができません。その文学的な語りによって、誰もが自分の「ふるさと」にこだわり、無視できないと感じるのではないでしょうか。田舎と都会の関係は、「ふるさと」と異郷の関係とは違うと私は思っているのですが、それは私の世代だけの特別な思い込みに過ぎないのか、それとも世代とは無関係に違うと言えるか、今の私にはよくわかりません。

 これまでの話から私の「ふるさと」は私の世代に独特のものなのではないでしょうか。私の世代から離れた世代には存在せず、僅かにあったとしても無視して構わないものなのではないでしょうか(たとえ少数でも、彼らの「ふるさと」は私のそれと同じだと私は思っています)。

 ですから、地方や田舎、あるいは人口が疎で、農業、林業、漁業が主になっている地域と都会との関係は「ふるさと」を関与させずに扱うのが正しいのかも知れません。しかし、私のような世代にはディジタル関連の事柄に馴染めず、自らをアナログ人間と自虐的に捉えるように、「ふるさと」に拘り、田舎や地方を都会と同じレベルで比較考量できないのかも知れません。その意味で、私はなんとも厄介な世代に属しているのです。